みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
2004年夏編 第15回
道はどこまでも続いている。空の広がりはもちろん無限だが、今ここにある道もまた無限な気がする。
43番明石寺までの遍路道はアスファルト道路と山道を交錯している。
今、俺はずっとその土の道とアスファルトとの道を交互に歩いている。車道を歩いていると道端に遍路道を示す看板があり、それにしたがって歩くと山道に吸い込まれていくのだ。これを何度繰り返したことだろう。
楽しみなのは「鎖場」だ。ものすごい崖があり、鎖が上から垂れ下がっている。遍路はその鎖を頼りにして登るのだ。
おもしろい!実にセンセーショナルではないか。正直遍路ころがしは辛いけど、短距離の登山ならやってみたい。
なにより、今日で旅人ではなくなる。だから、二度とは来ないこの夏の思い出をより強烈なものにするためにも、「鎖場」は必要なのだ。
こんな風に般若心経を読むのも、
お寺でたたずむのも、
鐘をついたりするのも今日で最後だ。
年末年始の休みまで旅とはお別れなのだ。
そう思うと、胸が痛くなった。もう何度も旅をし、旅の終わりも経験しているのに、何度経てもこの寂しさに慣れることはない。
なぜか遍路道の途中に石畳があった。足元は斬新だが、頭上からは人がこの地を歩き出して以来、いや、人が生まれる前からかわることのない鳴き声をあげている小さな生き物がいた。
セミは悲しい生き物である。命の限りに鳴くその声を私たちには不快なものとしてとらえられているのだ。
悲劇の主人公たちは必死で鳴くことで、夏を終わらせまいと抵抗していた。私は歩くことで夏の終わりを自ら呼び寄せている。
目の前にトンネルが登場した。おんや・・・・・?
あの憧れの鎖場はこのトンネルよりも手前にあるはずだ。
地図を出して確認すると・・・・・・・・・・・やってしまっている。
遍路道の入り口をやり過ごしたようだ。
せっかく楽しみにしていたのに・・・。
戻ろうか・・・・・・?たっぷり5分はそのトンネルの入り口をにらみながら考えていたが、
トンネルの中にも
素敵な出会いがあるはずだ
と自分を無理に納得させた。
むろん・・・・・・・・・
トンネルはトンネルだった。
トンネルの中で誰と出会うというのだろう?
アホかー、おれ。
家の数が増えてきた。通りすがりのおっちゃんにお菓子をもらった。そうか・・。遍路でなくなるとこうしたお接待も消え果るわけだ。
そして、こんな遍路シールに目を留めることもなくなる。
珍しい!車用のシールを初めてみた。
が、このシールをスピードを出して走る車の中から見えるのかという疑問もわいてくるのだが・・・・・・。
このシールの先で道に迷ったが、それでも進む。迷えるのも旅人だからこそだ。
ああ、思考がどんどん自分の首を絞めるほうに進んでいく・・・・・。
近くの高校から生徒たちの歓声が響いてくる。そして相変わらずセミの声。
そしてものすごい急坂を登ったところに・・・・・・・・・・・・・・
大師うどんがあった。
おいおい・・・・・。
お参りもいいけど腹が減ってどうしようもなかったのだ。
おいしい。だが、「大師うどん」という名前から連想するものは入っていなかった。
数分の後食事を終わると・・・・・・・・・・・・・
いよいよ・・・・・・・・・・・・・・
最後の・・・・・・・・・・・・・・・・・
お土産コーナーだ!!
おいおい・・・・・・。
だって、ここを逃すと、もうお土産を買えそうになかったから・・・。
それに少しでも遍路でいる時間を長くしたかったから・・・。
そして、そして・・・・・・。
43番札所 明石寺 8月12日午後3時26分到着
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