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みんな、ありがとう 普段着お遍路の記 2003年 冬編 第21回
(二度目の宇佐大橋、そして須崎町)
大晦日に一人で歩くというのはやはり特異なことなのだろうか。出発当初は旅への喜びから意気揚々としていたものの、今は「旅の現実」に打ちのめされている。
それは学生時代に今の職業を、命をかけんばかりの思いをもってめざしていたのに、現実の厳しさを知るに至って喜びよりも悲しさが先行する毎日を送っているのに、似ていなくもなかった。
何なんだ、この不愉快な灰色の空は。出発前は透き通るばかりの青空を想像していたのに。
この原生林はどうしたことか。確か私はどこまでもまっすぐに続く、線路沿いの快適な道を歌いながら歩くはずだった。
そして、脚の激痛。十日間を歩いた夏の旅よりも数段痛い。
これまでなどで表現してきたが、それではすまなくなっている。
太ももに少し触っただけで、脚全部が破裂しそうな気すらする。
出発前には軽やかな足取りの自分を想像していた・・・・・。
うっかりすると、ずるずると滑り落ちそうな山道を下る。苦痛にゆがんだ自分の顔はどんなだろう。見たくすらない。
この先も急なくだりになっている。一歩踏み出すのに大変な勇気がいるのだ。
途中、小さな小川があり木の橋がかけてあった。夏なら情趣あふれる光景なのだろうが、今の私には憎悪の対象でしかなかった。
なんでこんな道があるのか。
当時の日記より
あれ?道が二つに分かれた。
それに立て札がなくて、左右どっちに行っていいか
分からないよー。
何々?左は急な上り坂。
右はその逆。
どっちがすきか?決まってるやろー!
俺は自分の好きな道をつらぬく意志の強い男なのだ。 |
この遍路日記ももうすぐ終わる。今回は実際の日記を原文のまま掲載することが多かった。こうしてみると、実にアホな文章である。そして改めて自分の弱さというか、不安定さを感じてしまう。が、一年後に書いているこの文章ではやはり気取りというのだろうか、冷静さが出て来てしまうかわりに、臨場感が反比例して消えてしまう。だから、当時の日記を載せてみた。旅日記はあるがままがいいようが気がする。違うだろうか。
さて、私の「好きな道」はそのままゆっくりと下っていった。やがて目の前にこれが現れた。
36番霊場 青龍寺到着 12月31日 8時24分
山門をくぐっても何もなかった。いや、厳密にはこれだけがあった。
長ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい階段!
さっき山道へ向けられた憎悪はそのままこの階段へスライドしてきた。なんでこんなものがあるねん。
一瞬行くのをやめかけた。
でも、もしかしたらこれが最後の札所となるかもしれない。
出発前のプランでは37番までは行こうと思っていた。今晩、安和の宿に泊り明日の早朝出発すればおそらくは到着するだろう。そして夕方の飛行機で帰るのだ。
が、地図を見ると間に猛烈な長さの七子峠がある。この脚で果たして登れるだろうか。結論は明日の朝出すことになろうが、二分の一(あるいはそれ以上)の確立で36番が今回の旅の区切りとなることになるだろう。
私の足は激痛を引き連れて登り始めた。
もう、このときどれだけ脚が痛かったかとか、何が辛い、とかはかかない。まさに私ごときの筆力では及ばない程、惨めな状態だったからだ。それに脚の話はあなたも飽きたことだろう。
途中からは脚よりも手に力を入れて登った。
このとき、私はこんなお願い事をしていた。
「このお参りが今回最後となりませんように。あと、一つ、あと一つだけまいらせてください。」
お大師様にどういう意図があってのことだろう、雨が降りだした。
ここから37番まではスカイラインを行く道と、昨夜来た道を戻り国道を行くルートがある。昨日の国民宿舎の支配人さんも、そして今目の前にいる納経所の女性もそろって国道を勧めてくれた。スカイラインは眺望がいいかわりにアップダウンがあまりに強烈だからだ。
国道への道は、かの宇佐大橋を戻ることになる。昨夜は恐怖を感じた真っ暗な大橋は、今は灰色の陰鬱な空の下で文明のすごさを誇示するかのように、海をまたいでいた。
今自分がいるところは決して寂しい街並みではない。片側にはぽつぽつと民家があり、左には漁港が存在している。だが、私は孤独に震えていた。室戸岬に至る道は元から何もなく、独りである以外の選択肢はなかった。
比べて今はもしかしたら活気ある街並みかもしれないのに、なぜか誰もいない、私一人が歩いている。いや、はいずっている。
この町の家の中には私の知らない家族が明日の正月に備えて、忙しくしていることだろう。だから外にはでてこない。
何も無い孤独よりも、存在感のあるものに囲まれた状態で一人でいる方が、より孤独なのだとこのとき知った。
町境を教える看板だけが私を慰めてくれている。微々たる進み方ではあるが。
私はこの看板たち以外をすべて憎んでいた。本当なら今頃家のコタツでごろごろしているはずだ。そして独身の友人たちとだらだらと年越しの酒でもんでいるかもしれない。
俺はどうしてこんな休暇を選んだのだろう。これまで何度も思い出しては、答えが出ないままに放置してきた疑問がまた湧いてきた。
だが、いまやこの疑問を抱くことすらが、憎悪の対象だった。目の前にある道もみんな嫌いだった。遍路シールすらも痛みを思い出させる存在だった。
向こうから自転車が来た。狭い道だ。何気なく左に寄ったとき、その女の子が私見てこういってくれた。
「おはようございます。」
今まで私の心を覆っていた憎悪の黒い雲に隙間が出来た。
雲の隙間はたとえわずかであっても、地上に生きるものはそこからのぞく朝の光に喜びを感じる。
今の私は知らない人に挨拶をしてもらえる存在なのだ。これをどうして憎めよう。
そう思うと、雲の隙間は見る見る開いていき、やがて青空が見えるまでになった。
脚が痛いのは当たり前だ。歩いているのだから。
寒いのは当たり前だ。冬を旅しているのだから。
そして孤独なのは当たり前だ。一人旅なのだから。
孤独を感じそれに涙を流したからこそ、何気ない挨拶にも心を寄せることが出来るのだ。
それに気付かせてくれた彼女の姿をもう一度見たかった。振り返ったが目の前の道はこれまでと変わらぬ無人だった。私は誰もいない虚空に向かって礼深く頭を下げた。
また私は歩き出した。そしてこの先に、さっきの挨拶以上に心をふるわせる人たちが私を待っていてくれた。
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