みんな、ありがとう 普段着お遍路送迎車の旅 2003年 冬編 第20回
                                       (国民宿舎)

実にいい景色だった。宿にようやくたどり着いた。今日も長い一日だった。高い山のてっぺんにあるその国民宿舎からは眼下に夜景がひろがる。

さっき見えていた宇佐漁港の光と、対岸の街の光・・・・・・・・・。

大変に美しい。大阪の夜景とはまったく違う。とはいっても大阪の夜景などもとより観察したこともないのだが、それはそれ、旅に出ている以上は違ってくれないとこれもまた困るのだ。いや、それ以前に私の家から夜景は見えなかった。


その宿舎は歩き遍路用の部屋を用意しておられる。相部屋だが、そのぶん宿泊料は安くなっている。粋な計らいである。
なのに、この露天風呂!この旅、初の大浴場だ。
さっき見えていた夜景が風呂の中から見える。この国民宿舎には別のスタイルの旅でまた来よう、涼しい風にさらされている上半身と温かいお湯に包まれている下半身の両方で決意した。
          
食事については期待していなかった。他の宿泊客よりもずっと安い値段で泊らせていただいてるのだ。他の方がおいしいお造りやてんぷらを召し上がっていらっしゃっても、歩き旅人の私は、身がはなれた煮魚や、漬物で我慢しよう。時々、他の方の紀行文でも大きな宿舎だと安い値段で泊ったときのご飯の惨めさはかなりものだとある。まあよい。それも楽しきかな人生だ。

が、風呂に続いて夕食もサプライズ!お作りもてんぷらもちゃんとある!実に豪華だ。
             
先ほど部屋まで案内してくれた支配人さんがきて挨拶をしてくれる。一人旅だとこんな風に話しかけてこられることが実にありがたいのだ。



同室したのは、これまで何度か道中でお会いした歩き遍路さんだった。50代後半と思われるおっちゃんだった。
「兄ちゃん、区切り打ちか?」
「はい。おじさんも区切りですか?」
「いや、通しやで。」
「いいですね。そんなに休みが取れて。」
「いや、先月までとび職やってたけどな、リストラされたんや。だからずっと休みやな。」
「あ、すいません。変なこと聞いちゃって。」
「いや、ええんや。」

「あの、このあとどうするんですか?」
思わず聞いてしまった。今にして思えばよくない質問をしたと思う。
「この後のことは分からんよ。歩きながら昔のことばっかり思い出してるなあ。働いていたときのことをな。兄ちゃんはまだ先があるからええなあ・・。」
おっちゃんはベッドに入った。
「ワシはあす五時半には出るからここで挨拶しとくわ。兄ちゃんも元気でな。」
「じゃあ、僕も寝ますね。」私は見ていたテレビを消そうとした。
「ええよ。見てて。じゃあな、おやすみ。」


おっちゃんの好意に甘えてずっと年末番組を見ていた。
が、番組内容が頭に入らなかった。おっちゃんの言葉が余韻を持ったリフレインとなって心に居座っていた。「歩きながら昔のことばかり思い出してるなあ。」
私は歩きながら未来のことが心配でならない。この仕事つづけていいのだろうか、もっと楽しいことはないのだろうか。そうおもいながら歩いている。そんな悩んでいる私もおっちゃんからすると「ええなあ。」と思える存在であった。
未来のことが心配なのは、幸せなのだろうか。おそらくはそうなのだろう。だが、当事者は自分が幸せであることに気付かず、知らない間に取り返しのつかない無駄な時間のすごし方をしているのだろう。あのおっちゃんには、過去が宝物なのだ。もう、未来は残り少なくなっているからこそ、過去を思いながら歩いているんだ。
未熟な私は未熟なりに足りない頭でこんなことを考えていた。昼間の疲れは露天風呂で癒したが、今度は心が疲れてしまい、そのまま寝てしまった。テレビを消してはいなかった。



多分、朝五時半くらいだろうと思う。荷造りをしている音がする。もうおっちゃんはでかけるのだ。テレビの音がしないところからすると、おっちゃんが消してくれたようだ。
また私は寝た。



目が覚めたとき、思わずつぶやいた。
「今日は大晦日か・・・。」
旅空の下でハッピーニューイヤーを迎えるんだなあと感嘆していたが、随分先のことに思えていた。それが間近に迫っている。


7時10分に食堂へ降りる。あれ?向こうにいるのは?民宿かとりで出会った母娘遍路さんだ。向こうも私に気付いておどろく。二人は電車バスを利用しているのに、歩きの私が追いついたのが不思議なのだろう。でも、私もバスを使っている・・。
「今日はどちらまで?」
「足摺までです。」それなら追いつけないなあ。何かの縁だと思い、このHPのURLを書いた納札を渡す。お二人がその後来てくださっているのかどうかは分からない。

全ての宿の朝食で共通するメニューというか食材が生卵だ。でもどうしてもこれが食べられない。なんかお腹が痛くなりそうなのだ。アホみたいに生卵を見つめながらため息を付いていると、昨日の支配人さんがやってきた。「道中でどうぞ。」とゆで卵を渡してくれた。私の様子を見て心配してくれたのだろうか?それとも偶然だろうか?支配人さんにもURLをかいた納札をお渡しした。支配人さんはその後も掲示板に書き込んでくださっている。



部屋に戻り準備をする。脚がサポーターだらけだ。膝は言うまでもなく、太ももも足首も全部痛い。脚そのものが壊れている。でも、あと二日だ・・。そうもうすぐ終わる。
最後に写真を撮って部屋を出た。
                   
フロントで支配人さんのおっしゃった言葉が忘れられない。
「私は長旅が出来なくて、前の会社を辞めました。」

昨夜のおっちゃんといい、支配人さんといい、みんな私にいろんなことを教えてくださっている。人生の先輩の言葉は重きを持って今も私の心に残っている。
ありがとう、国民宿舎土佐の支配人さん、そして名前も知らないおっちゃん。



急な坂道の向こうには、昨日露天風呂から見えた海と山と道が、朝の顔で新年を待っていた。通る車もない。
                                                                        
予定では今日は36番を打った後、安和の宿に泊り、明日は37番へ行く予定だ。がこの脚の状態ではどうだろうか。途中で断念にならないだろうか。それに曇り空が不気味だ。この旅で一度も雨に遭遇していないのは私らしくない。
36番札所への遍路道が見えた。もしかしたらこの旅最後の札所かもしれない。心して歩き出す。どうぞ脚に優しい道でありますように。

こういう身勝手な願いはたいていは裏切られる。ものすごい原生林と急な坂が私を待っていた。

                         第20回終わり

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ですが、皆さんの疑問が聴こえてきそうだ。
「結局お前は、宇佐大橋を渡ってからどうやって宿舎にたどり着いたのか?歩いたのか、それとも車で迎えに来てもらったのか?ちゃんと説明せんかい、あほう。」

実は最初から答えが公開されている。この回のタイトルは?
                                            
            
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