(浦ノ内から横波を経て安和まで)

(すべて原文のまま)

さあ、元気をもらった後はすいすいあるこおっと。
といいつつも、腹がへったっす。店ないか?
ないなあ。

しかし、このグネグネした曲がり道はなんやねん。標識に表示されてるよりも長く感じるゾ。まさか直線で距離表示を書いてるんとちゃうやろうなあ。

そうか。ゆで卵があったやんけ。国民宿舎で支配人さんに朝もらったやつ。
あ、さっきから休憩のたびにリュックを放り出してるけど、卵さん無事かな?

じゃあ、この道を曲がったら食べよう。
・・・・・・・・・・ということで港町のところでゆで卵を食べる。いただきま-す。


しかしこの道は単調やなあ・・・。通る人も車もない。
でもそりゃそうやろう。今日は大晦日やもん。
                                                             


宿に電話をした。
「あと5時間位はかかるわねえ。」
マジ?そろそろ弱虫になりそう。いや、とっくに弱虫にはなってる。
今回の俺はあかんなあ。いろんな人に元気をもらってるのに、すぐに忘れてしまう。

でも、本当に辛い。今回のプランは無理があったのかなあ。夏には一日40キロは歩いてたから、そのつもりでくんだのに30キロもあるかれへん。
こうやって急ぐよりも、楽しみながらいけるプランにすべきやった。
次からは一日25キロが目安でいいよな。そうしたら心も安らぐし。
よし!次からはそうしよう。

もうあかんわ。地図見てもいっこも進んでへん。
どうしよう、さびしい。誰か僕に声をかけて欲しい。一人がしんどいなあ。こんなとき遍路の先人たちはどうしてたんやろう?頼りの「サンダル遍路旅日記」も今はリュックの奥底にあって取り出すのが大変や。とはいっても今回の旅もまたこの本にすくわれたのは事実だ。続編、でないかなあ・・。俺も本書きたい。



まあそれはともかく、ため息をつきつつあるいてると、道はだんだん上り坂になっていく。地図で見ると浦ノ内トンネルがあるらしい。
山が深くなっていく。海が遠ざかり山の中に入っていく。うっとおしい坂道が続いて、正直いやになってくる。今日も俺は文句だらけや。あかんなあ・・。



坂を上りきったところに大きな建物がある。小学校かあ。今頃子どもたちも家で宿題をやってるのかな?いや、大晦日やからもちをみんなでついてるかもしれない。

おや?

なんかある・・・・・・・・・・。

                                                                 

「良心市」「おせったい」の文字が見える。
歩き遍路のために浦ノ内小学校の5年生が作った石細工が並べてある。
「年末年始 お年玉 おへんろさんへ 
お金はいりません。
気をつけて歩いてください。」
との文字がある。

どの石もかわいらしい色づけがしてある。素晴らしいお守りである。
僕も一番小さいお守りを頂いた。そして納め札をコップの中に入れておいた。このHPのURLを書いておいたけど誰か来てくれるかな?いつかこの日のことをHPに書くだろうけど、5年生の子が卒業する前に書かないとな・・。
遍路を始めたときに感じたこと、すなわち札所も遍路シールもみんな私を待っていてくれていたというあの感覚。今回も、小学校の子どもたちがみんな私を待っていてくれたのではないか、そうおもった。いや、そうに決まっている。
      

歩いているとこんな素敵な出会いもあるもんなあ。
ちょっとだけ歩いていることに感謝する。

一度も出会わず、そしてこれからも決して出会わないであろう、子どもたちのことがたまらなく好きになった。
(あの時いただいたお守りはもちろん今も私の部屋にある。どんな子が作った作品だろうか?どうしても解けない疑問が心に引っかかったままだ=2005年現在)。



そして浦ノ内トンネル。このトンネル怖い。壁が土みたいになってるし。

どこにも店がない。見えるのはこんな単調極まりない景色だ。
    
店はないし、腹は減ったし、左のアキレス腱は痛いし。ところどころにポンカンの無人販売がある。かんきつ類は大好きや。でも300円で袋いっぱい入ってるねんな。こんなに食べられへんよー。
結局立ったままカロリーメイトを食す。これでナベさんに頂いた差し入れも終わりだ。

それに、あー雨が降ってきた。やめて・・。



遍路をしていて一番多く見る景色がいまも俺の前にある。
すなわち右には木々が見え隠れして、左は土砂崩れ防止のコンクリートがある。
そして緩やかなカーブ。
車もいない車道。
あるのかないのか分からない歩道。
向こうには緑濃き名前も知らない山。
どうだろう、みなさんもこんな景色をずっと見つめながら歩いておられたのではないだろうか。                                                           

遍路道はやがて横波の集落にはいっていった。家の数が増えてくる。ようやく小さな酒屋でおにぎりとジュースを買った。チャリの青年が「こんちは」と挨拶をしてくれた。いい人が多いなあ、四国。



日が傾き始めた。
多ノ郷の街並みに入るとさらに都会となる。道の駅すざきで休憩を取る。
「君は歩きですか。」と話しかけられる。見ると一目でライダーと分かるおっちゃんがいた。逆打ちをしているそうだ。久しぶりに遍路を見ることが出来た。

道の駅を出るとまた坂道。少しだけ緩やかだが、残念ながら私を慰めるほども優しい道ではない。トンネルの横に遍路道があるそうな。だが、私はトンネルを行く。   
同じようなトンネルを三つ越えると、安和の町に差し掛かる。町といっても道の両側に民家が立ち並ぶだけのものだ。

そして今日宿泊する宿にたどり着いた。                           
中には高知弁バリバリのおばちゃんがいる。
「あの、大晦日やけどいいんですか。泊らせてもらっても。」
「いいわよ。それにしても・・・・・・・・脚が痛そうやね。お風呂に薬草入れてあげる。」
「ありがとうございます。明日、早朝に出発したら37番には着きますか?」
「大丈夫、急いでいけば夕方には着くわよ。」

・・・・・・・・急いでいけば夕方にはつく・・・・・・・・・・!?
実に微妙だ。高知龍馬空港、18:20発の飛行機に間に合うかどうか。そして俺の脚は?
結論は・・・・・・・・・・・明日の朝、初日の出を見ながら考えよう。
部屋に着いたとき、荷物を全て放り出し、ズボンもかなぐり捨てて倒れこんだ。
とりあえず、今日は、今日はもう歩かなくていい。
          
                ↑すべてサポーター。両脚合計で4枚まいている。
窓の外は振るか降らないかギリギリのところで迷っている雲の下、海が困ったような灰色の顔色をしていた。           

泊り客がいるみたいだが、夕食は私一人だった。正直なところ、すっげえ居辛い。大晦日に他人の家にお邪魔しているみたいだった。
                           
今年最後の晩餐を一人で食べるとは思わなかった。
                

部屋に戻る。
今、8時前。テレビから紅白歌合戦が聴こえてくる。旅空の下でこれを見られるの、実はうれしい。なのになぜか辛さが前面にでてくる。

外はひっきりなしに車の音がする。大晦日の晩にみんなどこに行こうとしてるのだろう。窓の外は真っ暗だ。車の音の合間にかすかに波の音が聞こえる。

明日、どうしようかな?旅を続けて37番まで行くか、それとも?


道で挨拶してくれたおねえさん、ゆで卵をくれた支配人さん、そして小学校のみんな、ごめんなさい。俺、やっぱ辛くてこの旅やめたいです。やめてもいいですか。
                               次回予告 感動の最終回
         
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