みんな、ありがとう 普段着お遍路の記
2003年 冬編 第4回
遍路をしていると無条件に優しくなる気がする。それは自分もやさしくなってるし、他人もやさしくなっている感じがするのだ。
だからすれ違う人全てがいい人に見える。歩きながら出会うみんなに挨拶をしたくなるのも自然現象であった
あ、向こうから白衣を来た三人連れのお遍路さんが来たぞ。
「こんにちはー」とさわやかな青年を装って挨拶。
「まあまあごていねいに。ありがとうね。」おばあさんは立ち止まり私に向かって深々と頭を下げた。
すると傍らにいたその娘らしき人と、さらに孫と思われる若い女性も同じように頭を下げてくれた。
挨拶をしただけで、これほど深々と頭をたれ、さらにお礼を言ってくれた人を私は初めて見た。
お孫さんは私の素人判断だが知能にハンディキャップをお持ちのようだった。
昔は知能に「障害」をもった子どもが生まれると、村の宝として心の美しさを大切にし、周囲の人はそれを真似たそうだ。このご家族もそうなさってるのだろうか。
道は緩やかにカーブを描き、さらに田舎へと私を招き入れる。車道と分岐し山道へと姿を変えた。
傾斜が急だ。と思ったら早くも脚の付け根が痛くなり出した。
もうかよ・・・?早すぎるやんけ。もしかしたら夏よりも体が衰えていたのかもしれない。
初日の歩き出し数時間でこうなるとは思わなかった。
それでも景色の美しさに思わず声が出る。
もうこんなに登ったのか。
皮肉なことである。真夏の遍路ではほとんど見られなかった太陽の光がこんなにもあふれている。
その白い光線は海に照り返されなお美しい広がりを持っている。手前には日本の典型的な村々がそんな光に包まれながら、数日後に迫った正月を待っていた。
そうか・・。もうすぐ正月だ。今年はたった一人で正月を過ごす。
人生初の、
旅空の下の、
一人ぼっちの
・・・ハッピーニューイヤー。
そう思うとすこしさびしくなった。が、真なる孤独感ではなく、自分がそれをすっぽりと受け止める心のゆとりがあった。今は。
遍路道では一人でも、札所に行けば大勢の人がいて活気がある。真に寂しさを覚えないのは、この札所のおかげである。
そうおもうと、人の姿がみたくて、やさしいお遍路仲間に会いたくて足が速まった。右脚の付け根の鈍痛がひどくなったが、それでもスピードを落とさなかった。
霊場に着いた。
無人だった。
12月27日 11時23分 26番霊場金剛頂寺
でもこの写真をみて今気付いた。私の横にはお大師さんがおられる。このとき私は寂しさのあまり無意識に大師像の側で写真を撮ったのだろうか?それとも偶然なのだろうか。
今日は時間がない。すぐに下山をすることにする。後は27番神峯寺のふもとの民宿まで歩くのみだ。
バスの車窓から確認したがここから相当遠い。果たして暗くなるまでに着けるだろうか?
来た道と同じルートで下山した。降りきってから地図を見た。
あ・・・ショートカットルートを見落としているではないか。半島をぐるっと回る迂回ルートを行くことになるぞ。このままでは約3キロのロスだ。
急いでるときに限ってもったいない、そう思いながら何気なく振り返った・・。
あ、
あれは・・・・・。
室戸岬が見える!
120日前にずっとずっとめざしたあの場所・・・。なんだかすごく懐かしく感じる。
「わが心、空の如く、わが心、海の如く」
と弘法大師が境地に達した場所・・。
雨の中、心を奪われた山の上の風車も小さく、でもくっきりと見えていた。
もし、半島をショートカットする道を行っていたら、角度的に室戸岬は拝めなかったはずだ。
この遠回りも無駄ではなかった。
もしかしたら、私たちの日常に散らばっているいろんなくだらないこと、無駄なことも、それぞれに価値を秘めているのかもしれない。
ただ、私たちはそれを探していないだけなのかもしれない。
半島を回りきる前にもう一度振り返った。室戸岬、さようなら。もう二度と見ることはないだろう。
天からの優しい光とは対照的に、風がさすように冷たかった。東ノ川を越えた辺りから遍路道は国道を時々離れ、小さな街路に入っていく。国道を行ってもいいのだが、私は迷わず小さな路地裏を歩く。古い古い町並みがそこには待っていてくれた。
当時の日記より
僕は今意識して旧道を選んでいる。
風が来ないし、なにより趣がある。
それに素敵なものに出会ったし。
ここでゴアテックスのウィンドブレーカーを脱いで
赤のフリースに着替える。寒い気もするが、
ゴアテックスはがさついてしんどいのだ。
ん・・・・・?マジ・・・・・・?
今、ポツっと何かが来たぞ!またか!
でも、いい。ほうっておこう。ぬれるなら濡れろ!
古い街並だなあ・・。いいなあ・・。
でも、人がいないのはなぜ?お遍路さんどころか、
通る人がいない。淋しい。このノートは一日の終わりに書いているのだが、なぜかいつも実況中継風になっている。
日記にある「素敵なもの」とは、いったい何か。実に偏った私の趣味であり、あまり人にお見せするものでもないのだが、まあ、いい。せっかくなので写真を貼り付けておきます。
午後3時を過ぎると少しずつ日が傾きだした。海はただでさえ優しい冬の光を反射させ、もっと柔らかなライティングを作り出していた。
ええなあ、この感じ。
淋しいけど悲しくはない。
心細いけど、つらくはない。
そんな不思議な心地のまま私は歩き続けた。遍路をしていて優しく感じるのは、人だけではない。大自然に対してもなのだ。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||