トップページ  掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール 

 
みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
                          2003年夏編  第38回



今日は8月15日だ。この日から、あなたは何を連想するか。
そう言われると、それなりに安定した生活を送っている方や、信心深い人、たとえば普通のお遍路さんならば「お盆」を思い出すだろう。

だが、こんなときに私が思い出すのは、断然!!


「夏休みが終わる」

ということなのだ。社会人になったって、この思いが変わることはなかった。
何年も染み付いたこの癖がすぐに治ったりするものか。

朝、盛大に鳴いて起こしにかかってくるせみの声も、昼間遠くに見える入道雲も何も変わらないのに、
なぜかさびしくなってくる。
宿題が気になりだし、周りの大人も仕事の準備を始める。
心のどこかに「あと16日」という変な数字がこびりつくのもこの頃だ。
その数字は朝起きると一つずつ減っていく。あなたはどうだろうか?

遍路道にはたくさんのコスモスのつぼみが見られた。
子どもたちが学校へ通う頃には大きな花を開いてさらに街を彩るだろう。
立派な方には秋の訪れを告げる風流な花だが、子どもたちや大人になりきれない難儀な私にとっては
夏休みの終わりを宣告する残酷な存在であった。

この時の私も道にゆれるコスモスを見たとき「3」という数字が浮かんだ。
あと3日で休暇が切れる。私にとっての夏休みの終わりなのだ。
思わずポケットの中の数珠を握り締めて

「時間よ!止まれ!」

子どものころからまったく進歩していない願い事をしてしまった。



トンネルは実はそれほど辛くはなかった。
歩くのを意図的に速めたこともあり、息苦しくなることもなく無事に抜け出た。

     

横を見るとこんな風景があった。
畑の向こうにさび付いた線路が見える。また2両編成の列車が通り過ぎた。

二日後にはあれに乗って俺は帰るのか・・・・。

その向こうには緑深い山がそびえ、さらにその稜線の向こうには、これまでより高く感じる秋の空があった。羊雲はどうしたことか、まったく動かずそこにじっとしていた。
だのに風は畑の作物をちょっといじめるかのようにゆらしていた。


民家がない。
通る人もない。
車もほとんど通らない。
でもさびしくはなかった。まっすぐ続く道を歩いている、俺は今旅をしている。
その実感が心地よく私を包んでくれている。

             


風流だなあ・・・・・・。この道も風も・・・。
ただ!この足の痛みは何じゃ!右ひざがいたいのは前からだし、肩が麻痺してるのも前からだが、今度は右足の指が痛い。まめが相当できてるなあ・・・。
あぜ道に荷物を下ろしてマメつぶしをした。針を持っていないので爪きりで皮膚をひきさいて、そこに消毒液を流し込んだ。


ふんぎゃ!いだい!


消毒液がダイレクトに体の中に入ってくる感じだ。
ついでに昨日買った鎮痛剤を飲む。少しは膝の痛みも解消されるだろう。


向こうのほうに町境をあらわす標識が見えてきた。ようやく牟岐町だ。
今日はこの町に泊るのだ。とはいっても大きな町だ。まだまだ宿は先である。

         


この表示のすぐそばにはこんな素敵な看板があった。「お疲れさまです」といってくれている。休憩しませんかといってくれているぞ。誰にだ?もちろん俺に向かってだ。迷わず誘いにのった。
        

この看板の後ろには休憩小屋があった。しかもトイレも横に備え付けられている。中に入ってみた。ノートがあった。みんながいろいろと感謝の意をつづっている。見ると私のすぐ前にも幾人かのお遍路さんがここを通っているようだ。
みんながんばってるんだなあ・・。なんだかうれしくなってくる。

一番心にとまったのは二十歳の浪人君の書き込みだった。
「みんな、がんばろう」という言葉で締めくくっている。
二十歳で浪人ということは二浪?それでお遍路していいのかな??
でも、二浪だからこそお遍路に行きたくなるのかもしれないな。
どんな人だろう。会ってみたい。


遍路小屋では体だけではなく、心も癒され再び歩きの途についた。
他の旅と遍路の大きな違いはこうした配慮だろう。
道端に休憩所を提供してもらえることなど、他では聞いたことがない。

上の写真は実は表示の部分を拡大したもの。本当は下の写真を撮ったのだ。
本当は格好よくポーズでもとりたいところだが、もうどうでもよくなっていた。リュックが後ろに私を引っ張るので座ると自然にこんな格好になる。野球帽が横に落ちそうになっているがそのままにして撮影した。この顔も実に生き生きとしていない。ほとんど瀕死である。

                 

牟岐町に入るとぐっと人通りが増えてくる。とはいっても一時間に一人だったものが十分に一人になっただけのことなのだが、それでもうれしい。だが車の量は増えてほしくなかったのに、やたらと耳障りな音を立てて通り過ぎていく。
                                                                  
道はどんどん下りだした。市街地が近い証拠だ。
一時間も歩いただろうか?たくさんの自動販売機があった。椅子もあるし休憩。
ん?
なんか今日は午後から休憩ばかりしている。旅も終わりに近くなり、やはり疲れもたまっているのだ。この自販機はツーリングの人も結構利用するようだ。ひっきりなしにライダーの方がきた。この場所に見覚えのある旅人も多いのではないだろうか?
   



やがて道は二股に分かれた。川沿いに左へ折れる。
向こうには雲の隙間から太陽が顔を出している。もうすぐこれも夕日に変わるだろう。
そろそろ一日がおわる。

またいつもの物悲しさが胸に迫ってきた。でもいつもの寂しさとは違う。
夏の終わりも共に感じている深刻な、そして絶対に解消できないさびしさだった。



あ、後ろからお遍路さんが来た。今日はじめて出会う歩き遍路だ。
ずいぶん若い。
「あ、どうも。お疲れ様です。」向こうから声をかけてきた。
「どうも。歩きですよね。」
「そうです。もう二週間歩いてます。」
「二週間・・・・?ずいぶんゆっくりですね。」
「休憩が多いからかな?それに・・・・。」

それに・・?

ん?
彼の荷物を見て驚いた。


たくさんのゴミを入れた袋を持っている。

まさか・・・?


「あの、もしかして遍路道のゴミを拾って歩いてるとか?」
「ええ、まあ。」
「えー、すごいですね。立派だなあ。学生ですよね。」
「というか、浪人なんです。」
そうか、浪人か・・・・・・?あ・・・。
「もしかして休憩所で書き込みしてた二十歳の方?」
「あ、そうです。やっぱりあそこで休憩したんですね。」
「でも、浪人中にあるいてて大丈夫ですか。あの、失礼ですけど二十歳で浪人ということは、二浪・・・・・・・・っすよね。」

「いえ・・・・・・、


実は三浪なんですよ。


親にお遍路でも行ってこいって言われまして。」
そうか。三浪か。なんか家の人の気持ちも分かる気がする。
彼はお金があまりないのでほとんど野宿だという。近所のスーパーで一緒に買い物をした。彼はなぜかきなこを買っていた。
「それは?」
「どーって口に入れるんです。筋肉つきますよ。」
そんなものなのかな・・?
しゃべればしゃべるほど面白い青年である。この神戸在住のOさんとは、駅前で写真をとった後わかれた。
私は宿をとっていたが、彼は行き当たりばったりの野宿だ。やはりこうでないといけないのかな?何かを学ばせてもらった気がする。


今日は疲れたけど、実にすばらしい出会いがあった。ゴミを拾いながら遍路をした彼のことは忘れることはないだろう。私は遍路に序列をつけることはこれまでしなかったし、これからもしない。
歩きがえらいとか、車利用がそうでないとか、考えるだけで無駄だ。
そんな思考は、どうせ、自分のしていることを正当化して終わる。
ただ、三浪の荷物を背負いながら、道に落ちているゴミを、つまりは他人の荷物も自ら背負って歩いたOさんには、格別の思慕を禁じえないのだ。


彼にはこのHPのURLを書いた納め札を渡したが、家にはパソコンがないという。
インターネットをするのは大学に通ってからの話だろう。


          

55号線を歩いていく後姿を私はしばらく拝んだ。
だがそれも夕闇の中に消えていった。


結局受験はどうなったのだろう?
私も二度も浪人をした身、今でも連絡のない彼との写真を見るたびに心配になるのだ。




めざす宿はこの駅のすぐそばにあった。そこでもまたすばらしい出会いがあった。

どこからか犬の鳴き声がしてくる。不意に周りのせみの声がやんだ。
小さな生き物にとっての一日が終わったのだ。
そしてお遍路である私の一日も終わった。「あと2日」という文言が脳裏をよぎった。

                                 

      

   トップページ  掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送