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みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 第37回
お遍路に出てからもっとも暑い日となった。
空は見ただけで暑さが増すような雲と空のコントラストが不必要に激しい、レジャーを楽しむ人には素敵な、
そして私にとっては凶器となる青さだった。
札所めぐりの前に、いくつもの旅の本を読んだ。
それは遍路に限ったものではなくあらゆるジャンルだったが、私のように悩んだり帰りたがったりしている日記はあまりなかった。
歩きながらそれを考えた。みんな、こんな辛い旅を88箇所結願まで続けたのが信じられなかった。
暑い。
のどが渇いた。
結局さっきの自販機では写真を撮ることに集中していて、コーラは買わなかった。
めまいが方向感覚の混乱を引き連れて訪れてきた。
絶対に大丈夫だと分かってはいるのだが、それでも反対方向に向かって歩いている気がしてきた。
あるいは、同じところを今の私は歩いているのかもしれない。
今の俺は、頭がおかしい。
絶対おかしくなっている。
そのうちに膝の骨の音が聞こえてきた。
これも足の音が聞こえるはずはないと分かってはいるのだが、不愉快な感覚が膝から背骨、頚椎、そして脳髄へ伝わってくる。
骨の音にしては妙に甲高い。
まるで木と木がきしみあうような、あるいは古ぼけた列車が老化した線路の上を走っている音にも聞こえる。
聞きようによっては鳥の声にも思える。
まさか、あの時見捨てた鳥が、私に向かって叫んでいるのだろうか?
また古い列車の音がする。
これもやはり妄想か?
いや、ちょっとちがう。妙にリアルだ。
そういえばさっきから、私の目下や目上を線路が交叉している。
今日、歩き出してから初めて見る列車だ。それだけ本数が少ないのだろう。
私は鉄道に興味はないが、それでもどんな電車なのか知りたくなった。
乾いた音をたてて、二両編成の列車は私のすぐ横を通り過ぎていった。思ったよりたくさん人が乗っていた。
向こうに建物が見えてきた。たくさんの家やビルが見える。
今までの点在する集落とは違う。遠目にも巨大な市街地と分かるその街はきっと23番札所を抱えているに違いない。
そう信じたかった。もういい加減着いてくれなければ、頭が本当におかしくなってしまいそうだった。
橋を渡ったところに現代人の私も都会っ子のあなたも大好きな○ーソンがあった。
迷わず入る。
ふと、棚に目をやった。
ドリンク剤のコーナーだ。この状況を打破するにはいいかもしれない。
友人に手紙を書くための封筒と併せて買った。また荷物が重くなった。
えらそうなことはいえないのだが、それでもこうして旅を続けていると、あることに気づくことがある。
田舎と都会の違いはどこにあるのだろう。
もともと主観でしか判断できない線引きなのだが、私はこの日、それを信号に見出した。
昨日から文字通り山を越え、川を越え、田園風景から都市部へやってきた。
信号を見たのは久しぶりのような気がする。
たくさんの観光客が信号待ちをしている都会、日和佐の中心部に私の目指すものはあった。
23番霊場 薬王寺 15日12:29
明らかに今までのお寺とは一線を画していた。続々と人がやってくる。
普通の観光客もいれば、白装束のお遍路さんもいっぱいいた。この人たちはいったいどこからやってきたのだろう?朝出発してから、ここまでお遍路さんとはすれ違わなかった。
答えは分かっているが、考えないほうが自分にとって幸せだと思い、違うことに意識を持っていく。
見上げればきれいな赤い塔がある。本堂も長い階段の上だ。
厄除け目的でちりばめられた小銭の散らばる階段を右足をかばいながら登る。
上りきったところの光景に心を奪われた。海がこんなにも近かったのか。
今回の日記を書くにあたって久しぶりにこの写真を見てひどく驚いた。
記憶の中の日和佐町は大都会だった。巨大なビルが建っており、車が大量に行き来していたはずだ。
だが、こうしてみてみると、ぜんぜん都会という感じはしない。むしろ田舎だ。
だが、これも比較の問題だろう。これまでの「山越え谷越え」に比べると十分都会の資格はある。
空を筋雲がものすごい速さで走り去っていた。
その向こうには空以上に青い海が穏やかに街を囲んでいた。
その街の人たちもみんな優しそうだった。
納経所の近くは人でごった返していた。でも、なぜか誰も納経をせずに、お参りだけをしていた。つまりはこの人たちはお遍路さん以外の参拝者なのだ。
いや、一人だけ納経をしている人がいる。きちんと白衣を身に着けた方だ。
彼は振り返ると、なぜか私に向かって会釈をした。
「あ・・・・・・・・・・どうも・・・・・。」昨日から何度も出会い、宿でも一緒だった人だった。
ついさっきついたらしい。私より30分近いインターバルがある。そんなことはどうでもいい。
遠く離れた地で知り合いができたのは素敵なことだ。同行は三人のほうがさびしくない。
「道間違えちゃいましてね。やっと今つきましたよ。君は今日はどちらまで?」
「僕は牟岐の宿をとってます。」
「いいなあ。私はもうこれでフェリーに乗って帰るんですよ。明日から仕事でね。」
そうか、帰るのか。結局、私はずっと一人の運命のようだ。
お別れに写真を一枚撮る。
さらに別れ際に私のHPのURLを書いた納め札をお渡しして、よければ掲示板にお越しください、とお願いしたのだが、残念ながら今もそれはかなわずにいる。そんなものかもしれない。
結局、お名前もお住まいも、うかがわないままだった。
下の食堂で大枚1300円をはたいてお勧め定食を食べつつ、出産を控えた友人夫婦に安産のお守りをおくるための手紙を書いた。
お茶を5杯お替りしたのち、外へ出た。雲が増えている。やっぱり暑さもよせばいいのに同じく増している。
ここからまたおなじみの55号線だ。
このあたりは日和佐町の中心部であることが上の表示からも分かる。町役場、合同庁舎、駅が集中している。
が、それらのすべてが左の矢印の先にあり、これから私が進む直進方向には、
の文字がむなしくあるだけだ。このシチュエーションからも、今からの道のりが再びの無人の境であることが地図を見ずしても分かる。
もう1:30だ。ここでまだ本日の予定の半分しか来ていない。あと20キロあるくのか・・・。
宿に着くのは7時くらいになるかもしれない。すこし焦りが心の隅に生まれた。
しかし、上の写真を見てこれも改めて意識したのだが、同じ文字がやたらと目に付く。
実は撮影しているときには、まったく気づかなかった。あなたはお気づきだろうか?その三文字を。
三文字地獄のすぐ先に信号があり、それをこえると国道は再び田園のあぜ道と化す。
ここから先に歩いていく人はほとんどいないようだ。
やはり先ほどの信号は都会と田舎の区切りだったのだ。
緩やかな上り坂は緩やかなカーブを描き、私を孤独の世界に導いた。
一時間も歩いたころトンネルに出会った。
日和佐トンネル。事前に読んだ本ではかなりの長距離であり、途中で気分が悪くなったという。
ううむ、どうしようかな?なんか危険そう・・・。
ふと横を見ると
「遍路道、山越え、1キロメートル、30分」の看板があった。
上の写真でも私のリュックの左に写っている。
そうか、この道なら車は通らないし安全そうだ。舵を思わず左に切りかけたのだが、
「まて!1キロメートル30分って・・・?」
かなりの山道ではないか?誰か行くか!のぼりも下りも嫌いな私はトンネルを迷わず選んだ。
歩き出した私の視界にさらに何かが入り込んできた。見るとトンネルの右側にこんなものがあった。
警察も粋なことをするなあ。県外からの訪問者が多いお遍路さんを大切にしくれている。
だが、惜しむらくは道の右側にあったことだ。
歩道のない場所では私たちは無意識に左側通行をすることが多い。(心臓が左にあるからだと思うが。)気づかずに通り過ぎる人も多かったことだろう。
まあ、私は気づくことができた。
このようなものが用意されているということは、これから突入するトンネルがよほど危険だからなのだろうか?ならば私もこのリストハンドをお借りすることにしよう。軽く頭を下げ箱のふたをあけた。
中には枯れ葉が一枚入っているだけだった。
(売り切れかよ!ぴ〜!)
思わずこけそうになったが、まあよい。リュックを無意識に左のほうに傾かせ(もちろん後ろから来る車に引っ掛けられないようにするためだ)、トンネルの中に足を踏みこむ。
排気ガスの不愉快な匂いが鼻やのどばかりではなく、目をも刺激する。
一瞬、杖を右手と左手どちらに持つべきか考えたが、左手にもちかえた。
坑内は歩道がなく、無責任に消えかかった白線が引かれているだけだ。
何よりいやなのはこの薄暗さだ。
さっきの山道のほうがよかったか、私は今自殺的愚挙を犯しているのではないか、という弱気を振り払いながら歩いた。
根拠も何もないけど、このトンネルを越えるときっと素敵なものがある。
素敵な出会いがあるはずだと自分を励ましながら。
トンネルを越えたときに、素敵な物と人に私は本当に出会った。