トップページ  掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール 

 みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
                      
2003年夏編 第39回


子どものとき、昼と夜の境目を感じたことがある。
小学生時代、夏休みの夕方、家に帰りたくなくて、「まだ大丈夫、まだ昼間だ」そう言い聞かせながら遊んでいた。
だが、ふと見上げると街灯がついている。
暗さに反応して点灯するその明かりがともると家に帰るようにいわれていた。
その水銀灯が昼と夜の境目だった。
中学に入っても秘密基地で(中学でもこの程度までしか成長していなかった)沈みゆく太陽を片目で見つめていた。地平線が近づくにつれて太陽が動くのが目でも確認できる。
どこかの本で「太陽と死は片目だと見ることができる」という言葉があった。それを友人に教えて片目をつぶって、夏の夕日をみんなで見ていた。



そして、今。
虫たちの声が消え果た海辺の町に夜が訪れた。
すっと潮が引くように生き物の気配がなくなった。
その静寂が昼と夜の境目だった。夕日も黒い影となった家並みの向こうに隠れていた。
学校のチャイムや時計からではなく、太陽や生きるものから時の流れを感じなくなってどれくらいたつだろう。
旅先でははるか昔に失われた「思い」が次々とよみがえってくる。
だから、私は旅に出るのかもしれない。




その旅館に入ると、60代と思われるおばちゃんが一人でカウンターの中にいた。
「こんばんは、お世話になります。」
「その杖貸しなさい。」
「はい?」
「これは私の役目なのよ。みんなにそうしているから。」
私の杖を持ったおばちゃんは、洗い場で先を洗ってくれ部屋まで案内してくれた。
そしてその杖を一番奥の(ここが上座なのだろう)ちゃぶ台の上においてくれた。


そういえば・・・。杖は部屋の一番いいところ(つまりは上座)におくことと書いてあった気もする・・。忘れていた。
自分の役目と称して、私の杖を洗ってくれたおばちゃんの自然な動作が、疲れた心に染み入ってきた。
「本当はもっと奥の部屋を用意していたけど、一番手前でごめんね。」
「いえ、どこでもいいですよ。」
「ここは私ら宿の人間の部屋の隣なのよ。年配のお遍路さんが後から予約してきたけど、ほら、私ら夜中にテレビ見て音がもれたらね。年配の人なら夜が早いでしょう。だから若いお兄さんなら大丈夫かなと思って。」
「いえいえどこでも。」





乾いたたたみの上にごろんと横になった。冷たい感触が気持ちよい。疲れが体から抜けていく感じがする。



街中なのに外から音がしない。
街が静かに眠りにつこうとしている。



そういえば、かの浪人君は今も歩いているのだろうか。それともどこかの軒下で野宿を始めたのだろうか。
あ、あの小鳥はどうなったのだろう・・。(第29回参照)胸が痛くなってきた。思い出すんじゃなかった。



それについてだが・・・・・・

今回のHP休止(2004年3月から4月にかけて)のあと、もうこの旅日記の執筆を取りやめることも考えた。気力が消え果たのだ。
だが、再び私がパソコンに向かったのは、この鳥の記憶があったからなのだ。もし私がここでペンを折れば、


死んでしまったかもしれない鳥のことを思い出す人はいなくなってしまう


語り継ぐ場がなくなる。




それでいいのかな・・・。

どうしよう・・。


やっぱり書こう。




あの鳥はもういないだろう。はっきりいってあの道の隅で死んだに決まっている。それが現実だ。
だから、私はこのHPで小鳥のことを言い続けよう。そう思い私はまたこの遍路旅の記を書き始めたのだ。

死者は生者よって生かされるという。
語り手が放棄したとき、死者は本当に死者となってしまう。
本当にそれが再開のきっかけなのだ。
驚いただろうか?実にくだらない感傷といってしまえばそれまでだ。馬鹿といえば馬鹿である。
それでもかまわない。私はそんな人間である。この旅で得た多くの記憶はすべてすばらしい。そしてすべてが宝だ。自分の大切にしてるものを壊さずに持ち続けることは、やはり難しい。

主観的な財産は、たとえ伝え方が下手であっても、どこかで語られて生き続けるべきなのだ。違うだろうか?










その日の夕食はこれまででもっとも豪華だった。
     

カツの横にあるのはお茶ではなく梅酒である。食前酒までを用意してくれる宿にははじめて泊った。
私のほかにも数組のお遍路さんが今日は宿泊するようだ。



その日は眠りたくなかった。寝てしまうと明日になってしまう。すると残りの日は「」だ。夏休みの終わりのほうほど、夜更かしがひどくなるというが、今日の私はまさに子どものときの、そう、ちょうど宿題が気になりだす時期のあの時の気分のままだったのだ。




知らぬ間に寝ていた。






自分の脚の痛さで目が覚めた。寝返りをうったときのズキンと音がしたのが分かった。窓を開けるともう朝になっていた。







窓の向こうには昨日、浪人君と買い物をしたスーパーが見える。
町全体がしいんと静まり返っていた。
太陽は起きていたが、人は寝ていた。風が吹き込むと寒さを感じた。
もう、秋がすぐそこまで来ている。
時間は確実に流れている。



そう思うとさびしくなった。窓をしめて階下に降りた。


すでにおばちゃんがおきていて、食事を並べてくれていた。結局4人のお遍路さんが泊っていたようだ。この地に根を下ろし何年もお遍路さんを見ていただけに、いろんなことを教えてくれた。
「ここから先は、自動販売機もほとんどない道になるから、必ず水を用意するのよ。それから塩分が足りなくなって倒れる人もいるから、ちゃんと塩をとってよ。」
おばちゃんは私のほうを向いて言った。
「特に、お兄さん。あなた一番若くて無理できそうだけど、絶対に無理したらダメよ。お父さん、お母さんを悲しませたらいけないのよ。」
両親のことをこの旅の中で初めて思い出した。

缶ジュースとぼんかんを一人一人に手渡してくれた。みんな宿を後にした。私が一番最後だった。
最後に私の写真を撮ってくれた。宿泊者の顔を忘れたくなくて、必ず写真に残して店に飾っているという。
私のかばんに入っているペットボトルを見ていった。
「お茶は腐りやすいから、次買うときは水にしなさい。ね。じゃ、いきなさい。」私の背中を押してくれた。最後のアドバイスを胸に私は外へ出た。たった一泊の付き合いだったけど、私はもう二度と会うことがないであろう、少し迫力があるが温かみのあるそのおばさんのことがたまらなく好きになった。

今でも四国というとそのおばさんのことを思い出す。そして、一緒に写真を撮っておけばよかったなと悔恨の思いがわいてくるのだ。
    
私は宿に向かって一礼をして歩き始めた。



また55号線をひたすら歩く旅が始まった。そしてここからが最大にして最後の苦難の道であった。

                  

         

   トップページ  掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送