みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 2003年夏編 第36回



子どものころから、どこまでも続くまっすぐな道が好きだった。
夏休みになると、早朝から友人と連れ立ってそんな道を探して歩き続けた。
別に遠くまでゆかなくてもよかった。
普段歩いている家の前の道にだって冒険はあった。


夏休みの朝6時半、誰も起きていない時間。
そんなときに外に出るのだ、胸がドキドキしないほうがおかしい。
何より小学生だった私たちには、いつもの道が不思議な空間に見えた。
そして私たちは歩き続けた。
ここをまっすぐ行くと、まだ誰も行ったことがない不思議な町に出るのでは、本気でそう思っていた。



今もまっすぐな道を見ると、ふとあの時のことを思い出し、歩きたくなる。
この先には何があるんだろう?どんなことが待っているのだろう?
だが、たいていは仕事の途中であったり、遊びの最中でも明日の仕事が気になったりして、結局は知っている退屈な道に戻ってしまう。
普段、私が接するのは歩き甲斐のない道ばかりだ。
目に見える実際の道も、そして生きるという意味においての道も。


だが、いまは違う。
私は本当に旅をしている。
ここにあるのは、小学生のときに通った道と変わることがない、不思議の国へ続く道だ。
本気でそう思っている。

ただ少年時代と違うのは、独り、ということだ。
それでもかまわない。夏休みという点においては同じだ。


実はこのホームページのタイトルを決めるときに、もう一つの候補があった。
「遠くまでゆくである。
なぜ「道」ではなく「日」に決めたのか今でもわからない。どっちでもいいような気もするが。



では、旅日記の続きである。
空から落ちてくる水はもうなくなったが、足元は依然として水浸しだった。
おさまる気配どころか、おそらくこれからどんどん山から水がわいてくるだろう。
何より「道崩壊ため通行禁止」の文字は強烈だ。
では、ここで戻らないといけないのだろうか?正直、それはしたくない。後戻りは嫌いなのだ。でも「道崩壊」と脅されると二の足も踏む。
2,3秒考えたが(これは「安全第一」という、一般常識を捨てるのに要した時間である)さくの間を通り山の中に入っていった。車にとっては通行禁止だろうが、歩きだと何とかなるだろうという計算もあった。

右から遠慮なしに流れ出る水は、道を川に変えていた。だが、あの12番札所までを歩いた身には、驚くことですらない。ただ、なぜ何度も同じ目にあうのだろうという、憤懣はあった。


左は高い崖になっている。ときおりゾッとするような量の粗大ゴミがおちている。特に家電法で処分が有料になったテレビや冷蔵庫が目立つ。法は進歩したが人の行動が退行した現代的な光景だ。不法投棄の増加を招いたこの法を批判する人もいるが、私はそうは思わない。こんなところに捨て来る人が悪いのだ。

何回かの蛇行のあとに、路肩が崩れている箇所に来た。これが通行止めの原因なのだろうか?車でも通れそうだ。
後戻りをしなかった決断の正しさを一人で誇りながら山道を下った。


完全に平地になった。すぐに橋に出た。
これがどうもいけない。橋の真ん中が凹んでいるのか、通るべき箇所は完全に水没していた。
欄干しか通れるところはない。手すりに手をかけ、足を欄干にひっかけつつ橋を渡った。


T字路に出た。右向きに「室戸」の文字が見える。


右には前述のような現代の光景があった。だが、自然の力がそれを凌駕しているのも、この写真からみてとれる。
右折直後に遍路シールが見つかった。左に曲がるらしい。傍らの用水路から響いてくるゴオゴオという水の音が怖かった。道なのかやぶなのかわからない場所をくぐりぬけたところに、あの55号線が見えた。


地図を見ると分かるのだが、この国道55号線は四国の海沿いをぐるっとまわっており、大方のお遍路さんはここをとおる。遍路だけではなく四国をいろんな方法で旅する人のルートでもある。


55号線はまったく横道にそれることなく

ずっとずっとどこまでも続く道である。



室戸岬にいたるまでの淋しさはかなりのものだという。今回の遍路は室戸で終わりだ。したがって、以後はずっとこの道の上ですごす。
私の旅はすべてがこの道にあることになる。

今回、遍路の計画を立てるにあたってもっとも強烈に心に刻まれ、そして楽しみでもあったのがこの55号線である。仕事中であっても「国道55号線」とはどんな顔をしているのか、想像して気を紛らわせていた。




そして、いま・・。




ついに来た。
私はゆっくりと息を吸い込んだ。
いよいよ、はじまるのだ。
嵐に遭遇したときのように胸がきゅっとなった。





「室戸 96km」とある。


この距離をずっと歩くのである。

虚弱な私に自信などない。
だが不安と喜びは背中合わせであることを、これまでの数少ない経験で学んだ。
ならば当たって砕けるまでである。



道の左側に歩道がついていた。そこを歩き始めてしばらくは曇り空だったが、やがて過去を忘れたかのように、太陽が空を支配しはじめた。幾ばくもしないうちに首筋から胸元にかけて汗が流れ始めた。


光景は単調だった。左は川と田んぼと林がローテーションを組んだように、替わりばんこに登場してくる。
右はずっと山。ローテーションを組む相手すらいないようだ。
                                                                     
いつまでも同じ景色が続くと、興味は自分へと向き始める。膝の痛みは言うまでもないが、左の肩が気持ち悪い。リュックの重さのバランスには気を使っているつもりだが、それでもどちらかに偏ってしまう。よってザック麻痺が起きる。タオルを肩とリュックの間に挟んでみた。少しはマシな気がする。
向こうにトンネルが見えてきた。この行程はトンネルが多いことでも知られている。
歩きお遍路さんにとってはトンネルこそ現代の難所だとよく聞かされたが、今の私には涼しくて快適でな場所である。
             

これをくぐりぬけたところに町境があった。この区切りが歩きの人間には何よりの喜びである。確実に自分が進んでいることを教えてくれるのだ。


日和佐町 8月15日午前9:50分突入




気がつけばさっきの左右の光景は反転していた。右に山、そして左は例のローテーション。これが数時間続いた。



道中、旅人と何度もすれ違った。一番多いのはバイクだ。それも私とは逆のほうに進んでいる人が圧倒的に多い。みんな海を見たくないのだろうか?
次が自転車、最後が徒歩だ。車旅の人もいるだろうが、外から見ているから分からない。
今日も自転車の人と二度すれ違った。二人とも挨拶を返してくれた。が、バイクの人はみな判で押したみたいに行き過ぎてしまう。スピードが速いことと、やはり私が小さすぎてみえないのだろうか?

歩きの人とは出会わなかった。徳島にあんなにいたお遍路さんは、みんな今頃どこを歩いているのだろうか?私はずっと一人だ。市街地に近づいたことで車はたくさんいた。

だが道に人はいなかった。


しかし、のどが渇いたなあ・・・。ペットボトルの水はぬるくてあまり体には優しくない。いや、心にはもっとやさしくない。
だが、一回一回自販機のお世話になるのもまたおろかだ。一週間の旅で飲み物代だけで万を超える額をつかった人を知っている。だが、彼のことを笑えるコンディションでないのも、また事実なのだ。

ホットウォーターを飲みながら、とりあえず我慢しよう。
でも、
自販機に呼ばれたときだけは買うことにしよう、
そんな訳のわからない決意をしていた。できるだけ我慢。
よほど自販機の魅力及び威力が強いときだけ、その時だけは・・・、ね。
だが、そんなすごい自販機があるものか。
まあ、先にこれを書いておこう。
    四 やたらと冷たい物を買わない   (破戒) 




一時間ほどたった。



一台の自販機が私を呼んでいる。

たしかに呼んでいる。



「こ、これは・・・・・・?!参った!」




こんな個性的な販売機を私は初めて見た。

それはこれである。







                            
     
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