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           みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記

                               2003年夏編 第32回

私は運命論者ではないが、ここまで雨にたたられると、普段とは違うことを考えてしまう。幾多のお遍路さんの中で、私はもっとも気軽な心構えで歩いてるように思う。お参りをさぼり納経だけをすませてさっさと次へいったのは実は一回ではない。服装も普段着だ。
出発してからずっと雨天であると何かの報復ではないかと感じてしまう。


日がとっくに高くなっているはずだが、雨雲は依然として自分の位置を譲らなかった。朝から旅の条件は変わっていない。いや、例の右ひざの痛みだけがどんどん勢いを増していた。




鶴林寺をでると道は山道になる。大龍寺へはどれくらいだろう。うっかりすると、がくんと膝が曲がってしまう傾斜地だ。その度に顔がゆがむ。
しばらくいくとアスファルト道路に合流した。車の通り道と徒歩用の遍路道はこんな風にときおり合流してはまた離れていく。歩き道のほうがもちろん近道となるのだがその分傾斜も大きく、舗装もされていない。私は車道を歩き続けた。


後ろから人の声が聞こえてきた。二折れした上の山道に、宿で一緒だった親子連れの姿が見えた。彼らもずぶぬれになりながら、でも楽しそうに私と同じ道を歩いている。大きな荷物をもった父親と、小さなリュックを背負った子どもの姿は、私の心に小さいがしっかりとした支柱を立ててくれた。



ふいに小降りになった。私はかばんからペットボトルを取り出した。水を飲もうとしたが、残りが3センチほどしかない。鶴林寺で補給するのを忘れていた。それでもかまわない。残った水を飲み干す。皮肉なことに、雨の中で渇きの心配もしなければいけないのか。

さっきの小降りは数分の後に本降りに戻った。それでも親子連れにもらった心の支柱を頼りとし、雨のやむのを信じて歩き続ける。
この不安定な煉獄の中では写真を撮る気力もない。

いよいよ山を下りきったと思ったときに目の前に小さな鳥居が見えた。お遍路さんは神社には入らないものだと思うが、足を休めるために軒下を借りた。
掃除用だろう、小さな水道が目に入った。500ccの水を頂く。先ほどの親子連れが挨拶をして横を歩いていった。雨を苦としていない希望を持った笑顔の二人だった。そんな二人の後姿を見ながら、私は必死でエアサロンパスを両足にかけまくった。


くさ!


でも気持ちいい・・・。






ふもとに下りてしばらくいくと大きな川があった。思ったより水かさは増していない。それともこれからどんどんあふれていくのだろうか?遠くに見える山には雲だか霧だかわからないが白いうす煙がたなびいている。

             
                
これは偽りの笑顔とポーズである

川を越えた。出ました・・・・・・・。遍路道得意の上り坂である。わかってはいるのだがこのコンディションではつい愚痴が出る。平らなアスファルト道に別れを告げ、その左の山道を行くのだ。


う・・・・・・・・・・!?なんやこれ?見るんじゃなかった。すごい案内板を見てしまったのだ。


   
  大龍寺ゆきロープウェイ 10分

    誘惑される・・・



私ががどうしたかは、次の写真を見ていただければお分かりになるだろう。








      
実は迷いはなかった。足の痛さと雨になきながらも、極自然に山道を行くことを選んだのである。なぜそうできたのか、今でもよく分からない。

すぐ横に渓流が流れていた。本来なら涼しげで疲れた旅人を慰める音を立てているのだろうが、今は威圧するかのような表情で私とは逆の方向に落ちていく。
写真でみると緩やかに見えるが、すぐに階段になった。
このあたりでなんだか知らないが、くだらない問題を自分に向かって問いかけていた。


1:今一番したいことは?
    
答:飯を食いたい。リュックに入っているおにぎりを食べたい。
       

2:結願した瞬間、俺は何を思うか。
    
答:知らん。まだ20番やぞ。

3:今の心境を歌にするとどうなるか?
    
答:中島みゆきの「空と君のあいだに」

4:坂道と階段とどっちがいいか。
    
答:決まっている。どっちも嫌じゃ、ボケ。





あっか〜ん!こんなクイズ、やるんじゃなかった。あなたは経験ないだろうか?




眠れないときやテストのときに
ずっと同じ曲が頭の中をよぎることが。



こうなると実に困る。




一曲終わっても、また最初のイントロから始まるのだ。



今は、無限ループのように中島みゆきの歌声が頭の中から離れてくれない。しかも歌詞を全部知らないので、有名なさびの部分だけがアホみたいに繰り返されるのだ。さらに何をとち狂ったか、ときおり「つばめーよー!」と、何かと間違えた歌詞が割り込んでくる。
おいおい・・・。

ちょうどビルの非常階段のようにどこまでもループする階段と無限にループする歌、そして果てしなく続く雨は間欠泉のように周期的に土砂降りになるのだ。
狂いそうになりながら私は大龍寺にたどり着いた。山門の直前まで強烈なのぼりであった。
 
そら〜ときみとのあいだにわ〜♪(私の心の中の実況)




             
たつことすらできない。11時着 21番霊場 大龍寺

納経所が目の前にあった。即、納経!
え・・・・・・?手順が違う?分かってはいるのだが、もう近いところから攻めてしまいたいのだ。冒頭で述べた不安はこういう行動から派生するに違いない。
 
きょうもつめたいあめがふるう(まだつづいている・・・やめて〜!)




そのすぐ横で着替えを済ませる。
うひょ・・・・・・・、さらさらのシャツが気持ちいい・・・。どうせすぐにぬれるのだろうが、今がよければそれでいい。昨日買ったおにぎりは冷え切っていて実にまずかったが、ふもとで調達した甘いコーヒー牛乳はおいしかった。
 
きみいがわらあってくれるなら〜(勝手にしろ!)


右手に巨大な階段が見える。納め札を入れなければ。荷物はそこにほったらかしで行く。こんなもの、もっていけるか。
そらあときみとのあいだにわあ(元に戻っている・・・。)

階段をやっとの思いで登る私を、軽装の観光客が不思議そうに見つめる。結構たくさんの人が参拝していた。お遍路さんは数えるほどしかいない。階段を登りきった時、思わず声が出た。これはすごい・・・。
荘厳とはまさにこのことである。大師堂が杉の巨木に囲まれている。それが霧の中でそびえたち神秘的な雰囲気を生み出していた。カメラを置いてきたことを後悔したが、取りに帰るとなると話は別だ。

11:40に札所を出る。道がじゅるじゅるだ。半歩ずつしか進めない。例の後ろ向き歩きにも挑戦するが怖くてやめる。普通に歩けないのがこんなに辛いとは。ぼっくわあくにでもなる〜
        
           
アスファルトの表面を流れる水がお分かりだろうか


本来なら楽しい旅のはずなのだが、どうしても「なんでこんなに辛い思いをしているんだろう。」だとか「帰ってぐっすり眠りたい」といった弱気なことを考えてしまう。こんな調子で130キロも先の室戸岬へたどり着けるのだろうか?何よりよろしくないのはこんなときにその思いをうちあける相手がいないということだ。電話で友人たちに話したところで何かがよくなるわけでもない。
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ぼっくわあくにでもなるう(お願いやんで!)


22番札所へ向けてそれでも歩き続ける。この32回はまさに愚痴だらけであった。読んでいただいてありがとう。
つばめよ〜
だが、さらにこの続きはもっと悲惨なのだ。それはまた次回に愚痴を聞いてください。


しかし、この右手の弁当のごみ袋、じゃまやなあ。





つ〜ば〜めよ〜!!

                                   


      

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