みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 
                     2003年夏編 第33回


この遍路旅で遭遇する雨は衰えを知らないようだ。何時間たっても私がどれだけ歩いても、ずっとペースを変えることなく勢いよく落下してくる。反面、私の体は無駄な力を入れて歩いているため疲れを見せている。元気がないのは、この遍路道もそうだ。どの街の道も濡れしだかれ、生命をなくしたように思える。変わらないのは雨だけだ。
いや、もう一つ元気なものがいた。私の心の中で無限にリピートしている歌である。いい加減、止まってほしいが、努力すればするほど勢いよく
そらあときみとのあいだにはあ・・・・・が続く。

歌も続くし、道もどこまでも続いている。ときおり不愉快な上り坂に遭遇したが、もうどうでもよくなってきた。
                


遍路道はやがて国道にぶつかった。歩き道は直進し、山の中に消えている。
山の中か・・・・・。
このコンディションでは不安である。では、この国道を行くルートはどうか。地図で見ると相当な遠回りになりそうだ。私は方向音痴だが、地図を見る目は確かなつもりである。しばらく悩んだが、近道のほうが体には優しそうだ。第一、すぐ横を雨水を飛ばしながら車に走られたら、余計惨めになりそうだ。自分の勘に信をおくことにする。


信号があったように思うが、そんなものは無視して国道を横切った。
渡りながらあたりを見渡した。
まだ昼過ぎだが、あたりは薄暗く、はるか向こうの上り坂には白く光る雨粒が舞い狂っていた。



道を越えてすぐに、きれいな木の休憩所が見えた。
「なになに・・・・・?おへんろさん休憩所・・・・・?おお、これがうわさの・・・?」あるとは聞いていたが、こんなにきれいなのか。作った方の心意気を感じる。遍路道に個人の善意で作られつつあるという、木造の休憩所。本で読んでいたが、実物を見るのははじめてであった。
       

これからの山道は険しそうだ。乏しい体力を暖めるため、そしてやっぱり自分はお遍路さんなのだという喜びを改めてかみしめるために私は「おへんろさん休憩所で休憩」させていただいた。
中には旅ノートが据え置かれていた。「ピースケ」の名前で感想を書かせていただいた。皆さん、まじめに実名で書かれていたのに、こんなふざけた署名を見て、後から来た人はどう思ったことだろう?それでも、このHPとノートの文の両方を読んでいた人がいたら、うれしい。そしてそのことを思い出して、私に教えていただいたらもっとうれしい。

再び歩き出した。情趣あふれる田舎道だ。だが、さびしい。誰もいない。みんな雨を避けて家にいるのだろう。それ以上に今日はお盆の真ん中である。みなさん、しかるべき場所でしかるべき過ごし方をなさっているのだろう。
私は今一人雨にぬれながら、おへんろさんをしている。



やがて道は山の中に入っていく。緩やかに上り始めた。前後左右には誰もいない。少し怖い感じがする。写真で見るよりも実際はずっと暗い道である。



視界が一時狭まったが、また広い場所に出た。眼下にはくすんだ稲が群れをなして雨に耐えている。
その一抹の寂しさと、そしてなぜか温かさのある光景が琴線に触れ、写真を撮ろうとしたが・・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・?あんなところにお墓が・・・。田んぼのすぐ上に墓地があった。ここでは撮影できない。あきらめて歩き出す。
すぐ右手に廃屋が見えた。かなりの豪農であったことを推量させる巨大な民家であった。

いよいよのぼりが本格化してきた。そして何かの嫌がらせのように、雨も本格化してきやがった。もう一つ、右足の感覚がなくなってきた。
周りの木立がただでさえ貴重な日の光をさえぎっており、あたりはほとんど真っ暗であった。下の写真もスロー撮影やストロボを使わなければ真っ暗である。
        
                       
              これはスロー撮影で光を多くふくんだ写真

              もし何もしなければこんな暗さである
                       ↓    
                       



今回の旅では普通のカメラのほかに、デジカメも持ってきた。例の、水にぬれても大丈夫なやつである。雨が降り出してからはこのデジカメに切り替える。そして、条件が悪くなってからの撮影枚数のほうがずっと多い。雨男である私の責任でもあるのだが、正直、この旅は苦しいことのほうが多かった。それを口で説明してもどうも周りにはわかってもらえないような気がするのだ。ならば、土砂降りの雨の中を歩いている様子を証拠として写真にとっておきたかったのである。

条件がどんどん悪くなってきた。道幅はさらに狭くなり、やがて廃道のごとくに荒れ果て始めた。これは手入れが悪いのではなく、数日前の台風のもたらした影響であろう。倒木が邪魔をしている。普通なら軽々乗り越えられるのに、右手で右足を持ち上げてやらないといけない。しかも太龍寺からずっと弁当のごみを手に持ったままである。歩きにくいことこの上ない。

足元には枯れ葉がつもっており、足音を消している。私が私自身の気配を感じられない、不思議な道であった。誰も通っていない。一度心細さを覚えると、その不安がどんどん増してくる。胸がドキドキ言いだした。
この神経にさわる音は私の心臓の音だろうか?それとも雨の音だろうか?それとも??
      
       上の写真にも「へんろ道」の札がかかっている。

               
                 こんな細い竹の倒木でも、痛んだ足にはきつい

この写真を撮った直後人の気配を感じて、まさかいるはずがないと思いつつも私は振り返った。


私の真後ろに人がいた!
     



                
 つばーめよ〜!!(まだ続いていた)
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