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                     みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 

                                    2003年夏編 第23回




                              出発前に読んだ「夜汽車」という詩に心が揺らいだ。

                              歩くのではなく、汽車での移動もあっていいのではと思ったのだ。



                             「(前略) まだ旅人のねむりさめやらなれば

                             つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。

                             あまたるきにすのにほひも

                             そこはかとなきはまきたばこのけむりさへ

                             夜汽車にてあれたる舌にはし侘しきを

                                         (中略)

                            しののめちかき汽車の窓より外をながむれば

                            ところのしらぬ山里に・・(以下略)」


                                   萩原朔太郎「純情小曲集」1925年刊より引用

                                      

                            特に「まだ旅人のねむりさめやらなれば」の部分が好きだ。

                            80年近く前の詩ではあるが、今も夜汽車で旅をすれば

                            眠りつつ、レールの音を聞きながら薄暗い電燈を
                                   
                            感じ、外の景色を眺める旅人はたくさんいる気がする。



                            日常生活で眠ることができないのは苦痛なだけだが、

                            旅先ならなんか許せるのは私だけだろうか

                            今回の遍路でも眠れぬ夜が何度かあった。その度に、

                            遠くに聞こえる雨音、蛙の呼び声、夜汽車の汽笛を聞きながら

                            今日出会った人を思い出し、明日めぐり合う人を想像していた。

                            そして多少寝不足であっても、目覚めはよかった。一日が始まる

                            ことに素直に感謝できた。

                            萩原先生はこのあとどんな目覚めを迎えたのだろうか。

                                      




                            今日で、朝起きるのが楽しい旅の日々は終わる。前回から繰り返

                            しているように、遍路の旅の前半が今日で終わるのだ。明後日、

                            絶対に出勤せねばならず、その次の日に後半の遍路にでるのだ。

                            この8月12日の出勤が生むロスタイムがうらめしい。

                            だからこそ、今日一日は前半の締めくくりにふさわしいものにしたい。





                            が!


                           これにはまいった。今までは雨の中の巡礼がほとんどだったから

                           ひっそりとしたお寺しか見ていなかった。

                           最終日にしてついに団体遍路に遭遇した。これはすごい。みんな

                           同じ格好でみんなでお経を唱えている。その大唱和によろけながら

                           納め札を入れにいく。



                           「ちょっと、すんまへんなあ、失礼しまっせ。」なぜか大阪のおっちゃん

                           口調が思わず出る。だが、こんなときは関西弁のほうが、自然に道を

                           通れるように思うのだが、どうだろう。

                           方言で思い出したのだが、旅に出るとその土地の言葉はもちろんだが、

                           旅人の口から方言を聞かない。昨日であった新潟の方もそういえば

                           共通語をしゃべっていた気がする。唯一の例外が関西弁である。

                           関西人は日本中どこでも方言を出している。だからやっぱり関西人は

                           あつかましいのだという結論も短絡的であろう。むしろ他の地区の方が

                           方言をあまりださないのはなぜかを考えたほうが正答である気がする。

                           どなたか答えをほしい。

                                      




                           閑話休題(それはさておき)、

                           このとき、私は率直に言ってこの団体様によい感情をもてなかった。

                           理屈ではなく長い距離を一人で歩き通した感覚からにじみ出る印象で

                           あった。

                           だが、だ。お祈りをしている方のほとんどがお年寄りであった。この人

                           たちにとっての「旅」は、バスによる移動なのだ。ここにいるおじいちゃん、

                           おばあちゃんに「歩きはダメ、バスでお参りしなさい」といわれれば

                           私は間違いなく反発する。その逆だってあるのだ。

                           バスであっても徒歩であっても自転車であっても、みんなその人に

                           とっては一生に残る旅である。松葉杖をついたおばあちゃんの小さな

                           体をみながら、自分の矮小化した考えを省みた瞬間であった。

                                            


                            そうはいっても、実は納経に時間がかかるのはいただけない。

                            さっきの人たちの引率者らしい人が、みんなの分をかかえて

                            納経してもらっていた。


                            ベンチで一休みしてから出発。ここで新潟のKさんと再会していた。

                            私よりずっと早くついていたようだ。あの曲がり角を直進したほうが

                            よかったようだ。

                            一枚、記念写真を撮り次の札所にいく。



                                          

                             にしても全然遍路シールがないなあ・・。さっきと同じ道なのに。

                             あわてて地図を見たら、道を間違えていたことに気づいた。13番

                             の裏手から横道を行くのが遍路道だったのだ。


                             まあよい。あともどりはやめよう。旅なのだから、どんな道も楽しいは

                             ずだ。

                             にしても暑いいなあ・・・。これも旅の1ページだ。



                             このころになると、いろんなものを旅に結びつける癖がついてきた。

                             道ゆく人を見ているともしかしたらこの人も旅人かもしれない。

                             今、目の前を汚い野良犬が通り過ぎた。この犬も、いわば

                             毎日が旅なのではないだろうか、そんな思いが常に心の大半を占め

                             始めたのもこのころだ。



                             14番常楽寺までは2キロ少しなのだが、もっと長く感じた。でも普通

                             2キロなんて日常生活では歩く気がしないはずだ。旅なら歩ける。



                             申し分のない遍路シールだが、一箇所だけどうにも困ったときが

                             あった。橋の欄干にはってある。これは橋を渡れという意味だろうか。

                             でも角度的にその横道を行く必要もありそうなのだ。どっちだろう?
  
                             まあ、まよってもいい。これも旅だ。私は橋を渡った。



                             昨日、12番から降りてきた私を励ましてくれた川が見える。

                             白くにごっている。


                                          

                              それにしても腹が減った。途中でもし食堂があれば入りたかったが

                              なかなかいい店がない。まだ正午前だが朝食が6時だったので

                              もうおなかは空っぽだ。でも、よい。これも旅ならではだ。



                              ちいさなお寺だった。でも納経所の女性の雰囲気が好きだった。

                              実に丁寧にやさしく対応してくれた。だから14番常楽寺は私にとっては

                              贔屓したくなる。





                                                                         



                           ベンチに座って休憩していると、なんと






                         納経所の女性が窓から私に向かって手を振っている






                            ・・・・・・・・・ん?まじ?私が彼女に好意を持ったように、彼女も

                            私に・・・・・・・?まいったなあ・・・。行きずりの出会いなのに・・。

                            でも、旅で出会った男女のは長続きするというし、いい感じかな・・・?


                            私は精一杯のさわやかな顔をして彼女に微笑み返した。彼女は

                            なおも私に向かって手を振ってくる。


                            やばい!よっぽど私に好意を抱いたようだ。そんなに手を振っても

                            あまりに二人の距離は長すぎる。徳島と大阪だ。

                            申し訳ないが僕たちの愛は・・・・・・・」














                           「杖、忘れてますよ、とりに来てください!」







                           へ?そうだったの・・・?急いで中に入って杖を受け取ると

                           彼女は何もなかったかのように、納経作業に移っていた。

                           私のほうには目もくれずに。

                           彼女はただ杖忘れを教えるために手を振っていたのに、私は

                           ものすごい勘違いをして、さわやかにそしておそらくは




                   
不気味な笑顔を必死で返してしまっていた。アホやんけ!

                   で、でもこれも旅な・・・・・・・・・・・・・わけあるかい!何が

                   
だ!
  

                                      

                           ここでもKさんに遭遇。私の少し先を常に歩いておられる。かなりの

                           健脚だ。せっかくなので記念写真を撮る。こういう旅の途中の出会いが

                           なによりすばらしく感じる。



                           なお、このお寺にももちろん団体さんがおられた。日曜であることと

                           この晴天が人を招いているようだ。

                           実は、このあたりで帰りのバスが気になっていた。日曜だ。そろそろ

                           徳島への目処をつけ予約したほうがよさそうだ。


                           団体様に遭遇することを恐れて、無意識に早足になる。あせっては

                           旅の趣を失うことになるのだが、でも、やっぱり競歩になる。

                                     

                                        15番札所 国分寺 12時14分着 澄み渡る青空


                            ここもだ。何がって?きまってるでしょ。団体様がおはせられていた。

                            決して悪感情を抱いてるわけではないのだが納経所を占領されると

                            孤独な歩き遍路には辛いものがあるのだ。

                            休憩をかねて鐘の前で座り込みバスを予約した。ギリギリのところで

                            4時徳島駅発の便を予約できた。


                            しかし、本当に腹が減った。実はもう時間が残されてないのだ。今が

                            12時半だ。のんびりと食堂を探すこともできない。どうしよう・・・。

                            あ、そうや!偉大なる現代の栄養フード、カロリーメイトがあるのだ。

                            まさにこれも旅の食事である。

                            遍路中に常にリュックにカロリーメイトを入れる癖がついたのも

                            「サンダル遍路旅日記」の影響である。今回もこの本に救われた。

                            満足ではないが、最後の四国での食事をする。目の前をたくさんの

                            蟻が歩いていた。
                                               

                            疲れはとれていないが、それでも立ち上がる。時間がないのだ。

                            お寺を出たとき、実に美しい景色が広がっていた。


                                                                    

                        

                               NHK趣味悠々『四国八十八ヶ所 はじめてのお遍路

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