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 みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 第1部 第3回


歩き旅には曇りがいい。意識せずとも曇り空を見ると歩く意欲がわいてくる。
お遍路さんは、みんなそうなのだろうか?

旅人を圧迫する二つの問題、雨と真夏の太陽熱の襲来は雲によって回避できる。
しかし、今回の場合より深刻なのは台風だった。
ラジオも何も持っていないのだが、そんなものなくてもわかる。
空の雲の流れの速さは異常だった。
とはいえ今の私にはそれすらも喜びだった。
よほどの苦難でなければ、旅の最中はすべてがすばらしき思い出になるのだ。

だから、今近づきつつある台風もいつまでもすばらしい記憶として刻まれるはずだ。
私は何があってもとどまることはすまいと誓った。



第二番札所はいかにもそれらしい極楽寺と言う名前らしい。
そこをめざして国道にでたが、歩き遍路はいない。私だけだ。
 どうしてだろう?さっきの札所にはたくさんいたのに。
みんな、車? だろうな・・。


何も語ることのない普通の景色だが、なぜかこうしてカメラで撮られている。



一人で歩いてみたもののどうもものたりない。今はすごく満ちたりているはずだ。
なのに「足りない」のだ。


十分ほど歩いてその空洞の原因がわかった。
この旅に出る前に実にたくさんの本を読んだ。雑誌もそうだし、特に同世代の若い人たちの書いた歩き遍路の文章も、読み漁った。そのときに知らず知らずのうちに、彼らの身に着けている白衣や、杖が遍路のポピュラーなスタイルとして私の中に刷り込まれていた。そのどれ一つとして私は持っていない。

やっぱり一つくらい遍路さんらしい格好はしたい。となると、杖!山道で必要とあった。
それにはた目からもお遍路さんとわかるはずだ。
しかし、一番札所の販売所に戻る気もなかった。しょうがない・・・。あきらめよう・・・。

道に大きな道路標識が出ている。さすがは四国だ。



    四国霊場 2番札所 極楽寺 



 お寺の中はさっきと違って閑散としていた。

                  
小さくてみにくいが、満面の笑顔である。これが・・後に消えるのだ・・。

                  
ともかくも第二番霊場 8月7日 11時48分

多分、今これをお読みの、お遍路経験の皆さんのかなりの方が私と同じことをなさったのではないだろうか?
すなわち、それぞれの門の前で写真を時刻入りで撮る行為。

さらに、これは?

上の写真では小さくてよくわからないが、

その札所の番号を指で表現する行為は?

幾千人の先達者がなさったことを、私もやっていた。したがって上のそれはピースではない。お寺にピースはにつかわしくない気がする。これはあくまで「2」なのだ。



一番で教えてもらったとおりの順序で納め札を入れる。
まず大師堂へいき、住所氏名を書いた納め札を入れるのだ。
よし、次、本堂だ。ここへも住所と名前を書いた札を入れる・・・。
そう、住所と名前を書いた・・・・・・納め札・・・。

あ”〜、さっき大師堂にいれたものには、名前も、何も書いてなかった・・。

も〜、俺は何をしてるねん・・。あわてて引き返す。
納め札入れに手を突っ込んで、一番上のまさに真っ白な白の納め札を取り出す。
普通、こういうことはしないんやろうなあ・・。
償いの意味を込めて、人生でもっとも美しい字で名前を書いてもう一度入れる。
出発点からして、遍路としての私はいい加減であることが、露呈されているのだ。

そして、私の白札の横には25回以上巡礼した人が入れる銀の札が厳かに鎮座されていた。


そして納経をしてもらう。また300円。88箇所全部でいくらに
なるかについては、ここでは論じない。みんな無意識で計算してるだろう。


      
300円×88=ガーン!





次の三番札所に向かおうとしてふと横の建物に目が行った。遍路用品販売所のようだ。



 あ・・・・・・・思い出した。杖!よかった!売ってた!
お店には親切そうな女性が一人いた。迷わず杖のコーナーに行く。

そして、やはり迷わず一番安い杖を手に取る。カバーも何もなく、一番短いものだ。
そして、それはなぜか一本しか残っていなかった。
もっとも素朴だけど私はそれを選んだ。これからずっと一緒に旅をするのだ。
道中、どうしてそんなカバーのない短いのを選んだのかといかにもベテランのお遍路さんに言われたが、説明ができなかった。長さについては、「僕の身長にあわせてです」とはいったのだが、それ以上はいえなかった。
自分の持ってる宝のすばらしさを理路整然と説明できたとしても、他の人がそれを大切にしてくれるとは限らない。そんなものだろう。




遍路道は国道を離れて、田んぼの横の細道へと姿を変える。
命を主張するかのような強い青が私の目に飛び込んでくる。
杖を軽く地面につきながら歩く。

「徳島」と聞いて思い浮かべるものは百人百色だろう。
私にとっては、買ったばかりの杖の音が乾いた響きをもって鳴り響いた、あぜ道を意味する。
そして、その記憶はさらにどこまでも続く室戸岬にいたる灰色の道、国道55号線に連鎖する。
もっとも、その二つの道の間には百キロ以上の距離があるが。


私は歩きながら、あるものを探していた。確か遍路道にはいっぱい あると聞いていたのだが(前章で紹介した潮見英幸さん著「サンダル遍路旅日記」からの知識)。

見つからない・・・。私は美しい田んぼの中に、そのあるものを探しながら歩き続けた。




                 
                              


                             
 

                                                     
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