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失われた学校、村、道、鉄道を訪れた日の記録


その島は滅びず 無人島浪漫紀行 最終回

逆に心が落ち着きだした。時間がないというあせりは消え果てた。
もしかしたら、永の時を経てきた建物から何かを学んだのかもしれない。
残り少ない時間を、楽しくじっくりとすごそう、そんな気になった。
だから、いつもしているお気に入りのポーズで写真もとった。


←アホ?


(リキさん、お付き合いいただいてありがとうございました。)



「もう時間がないですね。集合場所に戻りましょう。」リキさんの言葉を潮にまた歩きだした。そのまま堤防の上を進む。
すぐ右側には静まり返った海が見える。左にはもはや説明不要の光景。


その不思議な世界を歩きながら、私の心はこの数ヶ月のことを思い出していた。




この島を知ったのは何がきっかけだったかはもう忘れた。
ただ、行きたくて行きたくて、見たくて見たくて、歩きたくて歩きたくてしょうがなかった。信じられない未知の世界への旅をしたかった。
でも、無理だろうな・・・・・・・、奇跡でも起こらない限り。そう思い込んでいた。
だから本の中にある写真だけが頼りであり、ある意味半分虚構の世界としてその島は私の内に存在していた。


が、ある出会いを通して島へ行くきっかけが与えられた。奇跡がおこった気がした。

あまりに事前の知識が多すぎると、実際に現地に立ったとき興ざめすることがある。「写真で見たのと同じや。」とこれまでの旅で何度感じただろう。

だが、この島だけは完璧なる例外であった。私ごときの想像力では有り余る荘厳さと偉大さと、そして非日常があった。
渡航以来何度この言葉が頭をよぎっただろう。
「信じられない光景や・・・・・。」


ここまで考えたときTakさんに話しかけられた。
「着きましたよ。元の場所に。」私は何気なく顔を上げた。
そこには・・・・・そう、やはり信じられない光景があふれていた。


左側に見えているのが、学校。そして右がおなじみの65号棟である。
こんな光景、他にあろうか。



どこからか風が吹いている。冷たい。ここはやはり海の上なのだと当たり前のことをふと感じた。



「みなさん、船が来ましたよ。準備してください。」Sさんがおっしゃった。
もう帰る支度も、帰る覚悟もできていた。
巨大な旅行かばんを手に私たちは歩き出した。

巨大な65号棟と病院が目に入った。
この荒廃具合。今にも崩れそうだ。正直、島はもう長くないだろう。死に体に等しいと正直この刹那感じた。


今は取り外されているはしごを降り、堤防の外に出た。
足場が非常に狭い。すぐ側で波が低い唸り声を上げている。
足に海の響きを感じた。
        



船に乗り込んだとき、みんな一様に無口だった。
いろんな思いがあるのだろう。



私も何もいわなかった。
あんなにあこがれた島が遠くにはなれていく。

もう一度、もう一度来たい!

でも、それは許されない。


島があんなに遠い。巨大な学校が視界の右に小さく見える。
        
「あの学校のタイル画、すごかったですよね」樹崎先生が誰に言うとでもなく言った。さすが漫画家である、と感心したいところだが、どうにも思い出せない。
「タイル画?ありましたっけ、そんなの。」
「ありましたよ、学校の入り口の左側の壁に。」すぐ横にいたTakさんが言った。
左の壁・・・・・・?

あ、そういえば・・・・・・・。

学校の壁に貼られたタイル画が記憶の底から、突如湧き出してきた。

30年も前の作品なのにまったく色あせず原色鮮やかにそこにあった。
実はこのタイル画は昨日から見えていたはずだ。だが私の意識には上らなかった。それがお二人の言葉がきっかけとなり急に琴線を動かし始め胸が熱くなった。

私は鈍感であった自分を強く恥じた。この島を訪れる資格があったのだろうか、それも考えた。他の方はともかく、決して喜ばれる訪問者ではなかった気がする。
文章中、島の固有名詞を一度も出さなかったのは、礼を失していた自分への戒めの意味を込めてである。なれなれしく呼ぶことがどうしてもできないのだ。




タイル画は卒業制作だろう。どんな思いで作ったのだろう。卒業式で歌った校歌はどんなものだったのだろう。
タイル画と共に、色鮮やかに歌声が島に響いている気がしてきた。もう一度あの絵を見たい。
そう思った時、島は「船」と呼ばれたその根拠たる全景を見せていた。
もう戻れない、絵を思い出すのが遅かった・・。。
      


便宜上、HPでこの旅の記録を連載するとき「遠き日の歌声」のカテゴリーに入れた。
以前に連載した廃村と同義に考えていたからだ。だが、どうも違う気もする。
歌声は遠い昔にあるのではない。

今も島にある。

あの島から今も歌声は響いている。先ほどの「死に体」などという言葉を私は心の中で消していった。




21世紀を迎えた今、かの島を世界遺産にする動きが活発化している。
学術的な意味もあるが、私は感覚的にあの美しい灰色の建物と、美しいタイル画が保存されることを心から願う。


今は成人したであろう卒業生の歌声は、離島した数千人から切り離され、この島においていかれてしまった。
その声は当初、波の音よりも、島に生きる猫の声よりもかすかであった。
だが、時代がうつるにつれ、近世以来数万人の人々がどのように生き、働き、そして別れていったかを物語り、保存する島民の方の思いと連動し、遠くから現代に引き寄せられ、まさに私たちに近き歌声として、これまで以上に高く響いているのである。

       この最後の写真を締めくくりとして、無人島浪漫紀行の大団円とする。

       無人島浪漫紀行 目次

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