みんな、ありがとう 普段着お遍路の記 2003年冬編 第19回
                                    (宇佐大橋を渡って)


いつもの職場のいつもの机に座って、見飽きた光景を嫌でも眺めているときこそ、旅に出たくなる。遍路に限らず、ここ数年であちらこちらを放浪した。
旅に出るとなると黙っていることなどできない。出発前から周囲に宣伝をしてしまう。帰ってきてからは、さらにその数倍の広報活動をする。

すると、知人に「現実逃避がすきやなあ。」と言われた。一瞬絶句したのち、その言葉は胸に小さなとげとなって刺さった。全否定ができず、やっぱりそうなのかなと思ったりもする。

だが、旅が(今回の場合は遍路と言い換えてもいいが)現実逃避なら、私の生きる時間のかなりの部分が現実逃避となってしまう。映画は月一のペースで見る。ビデオももちろん見る。ゲームはあまりしないが、それでも友人とやることだってある。コーヒーを一日5杯も6杯ものみ、その瞬間は仕事のことを忘れるようにしている。
これらはみな「逃げている行為」なのだろうか。
おいしい食事を取ること、きれいな景色を見ること、そして人のぬくもりに触れること、すべてが私にとって神聖な現実である。生きる上での必需品である。
心を豊かにする行為が「逃避」とは思えない。
あまりに極端な飲酒やその他の体によくなさすぎる行為はたしかに「逃避」的ではあるが、それも程度の問題である。

我々人類はこの世に生まれてからみんな旅をしてきた。そして生き、死んでいった。「人生とは」と御大層なことをいう気はないが、やっぱり旅することは人として生きているからこそできるのだろう、と最近は思う。ましてや「現実逃避」ではないのだ。そう思うと、また歩く喜びを再確認できた。自分で自分の胸のとげを抜いたのは久しぶりだ。

職場で刺さったとげは何本もそのままだが。




その車のお兄さんに向かって私は言った。「大丈夫です。ありがとう!」
彼は窓から手を出して振ってくれた。車はあっという間に見えなくなった。

好意を断った代償と、素直な感謝の気持ちから、私は虚空に向かって頭を下げた。


道はまだまだ続く。
    
しかし・・・・・・・・・なんか大切なことを忘れてるなあ・・・。
車にはお礼を言ったし、三脚も買ったし、宿の予約もしている。でも、遍路としてすっげえ大切なことを忘れている。忘れ物?さっきの札所の本堂にでもなんか忘れた?杖は持ってるし・・。

本堂?

本堂・・・・・には・・・・行って無いから忘れ物をするはずがない。

は!

お参り忘れた!

納経所に先に行っちゃって、あかんと思って本堂に行こうと思ったら胎内めぐりにいっちゃってそのまま山を下りちゃった・・。
ああ・・、やってしまった・・・。

だけど、戻るのは絶対にいやだし。(ザッツ本音!)

ま、また今度ね・・・。



脚のがとれていた。膝の痛みを感じないのはなぜだろう。決まっている。さっき、車接待に声をかけていただいたからだ。物理的には痛いのだが、心のぬくもりがそれを凌駕していた。
このエピソードを友人に話したらこういわれた。「お前は単純というか、幸せやなあ。」
そのとおりだろう。それでいいのだ。



前方に塚地坂トンネルが見えてきた。
     
辺りは薄暗くなっている。知らない間に夕方になっていた。
そんななかトンネルに入るの嫌やなあ。でも上の古い山越え道を行く勇気は、どうしてもわいてこなかった。

勇気をだしてトンネルに入る。
だが、それは当然暗い空間だった。

また始末が悪いことに、天井の電灯の間隔が嫌がらせみたいに広いのだ。ライトをつけた車なら平気だろうが、残念ながら歩く旅人にはそんなものはない。
でもいいのだ。トンネルはいつまでも続かない。外に出れば明るい太陽が、きれいな夕日が待っているはずだ。

数分後外にでたとき、日が暮れていた。トンネル以上に暗かった。(ガーン)。



私の好きな単語に「漁火」がある。実態が好きなのではなく「いさりび」という響きが好きなのだ。でも、言葉を愛でているうちに、その明かりにも愛着を感じるようになった。海とは縁のない土地に住んでいるせいか、大海から光が発せられるという光景になんともいえぬ気高さを感じるのだ。

そして夜の帳が降りた四国のこの道の向こうに漁火が見えている。暗くて分からなかったが、知らない間に海に出ていたのだ。宇佐漁港らしい。こんな年末にも漁に出る人がいるのだ。
しばらく光を見つめるために立ち止まった。その横を、散歩中のおばちゃんが「こんばんは」と言って通り過ぎた。挨拶を、どうもありがとう。

15分ほど歩くと、巨大な橋に出た。宇佐大橋。

遠くから見ると光っていてきれいな橋だったが、渡ってみると普通の橋だった。


が、普通の橋でもなんでもいいから、街灯がうれしかった。
なぜなら、橋を渡りきったところで、一切の明かりが無くなったのだ。道に街灯がなく、漁火も見えない角度にあり、周囲に建物もなかった。車もまったく通らない。

うわ・・・・・怖・・・・・・。

傍らの公衆電話から宿に電話をかけた。
「あの、いま宇佐大橋を渡ったところなんですが、もうすぐですよね。」
「そこからだとまだ距離ありますよ。お車でお迎えにあがりますよ。」
なんという親切な宿なのだろう。それにしてもきれいな声の女の人だ。こっちも負けずにさわやかな声をだす。
「いえいえー、ぼくはたびびとですからあるきますよお。」
「でも、猪の出るような道ですよ。」
「う・・・・・・・・・・・だいじょうぶですよお。ふ!」

かくして私はまた歩き始めた。
マジで辺りの景色が見えない。うっかりすると、溝に脚を取られそうだ。リュックには小さなライトが入っていたが、ここで荷物を出し入れするとなにか大切なものを置き忘れそうで、そのまま歩き続けた。
こんなときに限って、風が時々吹く。ずっと吹いているのなら逆に怖くないのだが、不意打ちを食らわすかのように辺りの草むらが
ザザ!
と音を立てるものだから余計に怖いのだ。
目をつぶって歩いてもかわりがないくらいだった。


向こうのほうに大きな宿の明かりが見える。
おお!やったあ!
部屋に荷物を置いたら、風呂に入って体を温めよう。そしておいしい飯をお替りするのだ。
そういえば、俺って人生でお替わりを一度もしたことがないけど(←事実です)、今日なら出来るぞ!
それにしてもつかれた・・。こんなに怖い道は久しぶりや。無事に猪にも遭遇せずに済んだし・・。
宿の前で私は記念写真を撮ろうとした。
えっと、ちゃんと宿の看板が写るほうがいいなあ。とするとこの角度か。それにしても・・・・・一泊5000円にしたらかなりの門構えやなあ。

おりょ?

あ・・・・・・・・・・・・・・・。

ここはちゃう宿や!

とすると、今日の目的地は・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・あの・・・・・・・・・・・かなり高い山の上にぽつんと見えている、まさに猪の出そうな山の上に見えている・・・・・・・・・・あれなのか!?

                                     
 国民宿舎 土佐

          
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