みんな、ありがとう普段着お遍路歩きの記
2003年夏編 第41回
膝の奥でこんな音がした。
ついに壊れちゃった・・・。
俺の右ひざ・・・。
っつうか、今の音・・・、
気持ち悪い・・・・・・・。
真冬に風呂から上がって裸でいたとき、「あ、いま風邪をひいたな。」と自覚する瞬間がある。
ふっと、頭が重くなったり、あるいは寒気が急にしたり・・。そんなときは自分がすぐに服を着なかったことを後悔する。
一昨年、ふざけて後ろから羽交い絞めにされたとき、左の胸の骨が折れた。
その時、まともに
「ゴキン!」
折れた音がした。
実に気持ちが悪い。相手も自分の腕に私の骨の折れた感触がはっきり伝わってきて、鳥肌がたったという・・・。
「体の変化の瞬間が分かる」というのはあまり気持ちのいいものではない気がする。
で、いまだ。
壊れた瞬間がはっきりと分かった。痛み止めを飲み、シップをはり、バンテリンだか何だかをぬり必死で対応してきたが、結局は私の体にも限界はあるのだ。
こんなときはむやみに動いてはダメだ。冗談抜きで、しばらくじっとしていよう・・・。
うん、それがいい・・・・・・。
じっとしていよう・・・・・・
ん?
なにこれ?地面に
(ガーン!)
まさか・・・・・?こんなときに・・?
悪いときには悪いことが重なるものだ。これまでの旅の苦労が一度に襲い掛かってきた。空はなぜか晴れ間が見えている。だのに、天から水が降ってくる・・・。あの空の青さが実にきれいであり、その下の海も実に美しく、そしてそれだからこそ
不愉快だ。
それでも私はあえてじっとそこに座っていた。すぐ目の前を近くの海から上がってきたのだろう、蟹がゆっくりと歩いていた。どこへいくのだろう、そっちには海はないのに。
愚かなのは蟹だけではない。私もだ。
膝の痛みでうずくまるのは、これで何度目だろう。雨にたたられるのはこれで何度目だろう。旅人にはついてまわる苦難なのだろうか?それとも私が特別に運が悪いのだろうか。本当に、本当に、もう・・・。
そして、この疑問も、再び襲ってきた。
僕は何をしてるのだろう。
ここで・・・・
なにか悟りを得て、さっそうと歩き出せば私はかっこいい旅人になれたはずだ。
だが、この時は休憩しても何も得られらなかった。心はうっとうしいままだった。
それでも、私はやっぱり歩き出した。なぜだかわからない。右ひざにはトンカチで常に殴られてるような鈍痛がつづき、アスファルトには不気味な雨の跡が残り、そして私の心には変な迷いがあったままだ。
それでも、私は歩き続けた。
僕は何をしてるのだろうって・・・・・・?
人間、理屈ぬきで動くこともあるのだ。
ちなみに、
となったのは言うまでもない。
五 足に無理をかけない
十戒はあといくつ残っているのだろう。それ以前にこの十戒のことを覚えておられた方はどれくらいおられるだろう・・・。私はしばらく忘れていた。
道はどこまでもまっすぐ続いた。
時折、こんな風に蛇行したりもするが、それでも曲がり角は存在せず、やっぱりまっすぐ続いている。
どうでもいいことのようだが私は、線路が走りそしてその横に道路、という光景が大好きだ。さらにそこには遍路の道標。
もう一つ、さらにどうでもいいことなのだが、上の「蛇行あり」の道路標識が大好きである。
なんだが、うんと遠くの非日常への案内板のような気がするのだ。
も好きだが、もう一つ大好きな標識がある。
めったに見られず、そしてたまにあると、じっと見入ってしまうのがある。
あなたはこの標識を人生で何度見たことがあるか。私はまだ数回しかない。
それはこれである。
いったん雨は落ち着きを見せた。
上の写真の先に突然海岸が広がった。その横には道の駅がある。400円で温泉につかれるらしい。
おお・・・・、温泉。これは素通りできない。私は死ぬほど温泉が好きである。家でも休みの日は三回くらい風呂に入ってしまう。それも一回に付き一時間だから、合計すると一日の8分の1は、お湯にまみれていることになる。
今回もたっぷりと小一時間つかってからでた。
服を着るとき、二つの選択肢で迷った。風呂でさっぱりしたあとだ。やはり新しい服を着たい。しかし今回の旅では荷物軽減化のため着替えは1セットしかない。これから大雨になったときにそなえて、着替えはストックしておくべきではないか。
ならば、4時間分の汗をたっぷり吸い込んだシャツを再び着るというのだろうか。
それも気持ちがあまりよろしくない。
自分のものであっても、
一度脱いだパンツを再びはくというのは、ある種の勇気を要する。
さてと・・・。雨の恐怖か、それとも汗の恐怖か。
結局、再び同じ服を着た。汗では死なないが、雨で死ぬことはあるのだ。
(実にあほなことで悩んでるとお思いだろうが、実際の私の旅はこんなものなのだ。)
ともかく・・・・・・、
道の駅宍喰=お勧めです
一本道を歩くときは、周囲に民家があったほうがいいのだろうか?それとも何もない無為自然の状態のほうがいいのだろうか?
晴天であるならやはり民家より自然の息吹を感じたい。
だが今日のようにじわじわと雨の恐怖が忍び寄っているときなら、ある程度人の息吹もいるのだ。幸い、これまでずっと何かしらの建物が見える状態が続いていた。
そして、30分ほど進んだときに、またトンネルが見えてきた。
638メートルか・・。造作ない。問題は歩道の幅である。トンネルを歩き、または自転車で通過するときは長さも重要だが、それ以上に自分が進める場所の幅というのが実に大切になってくる。トンネルの中は申し訳程度にしか歩道がないことが多い。幅の狭さは命にもかかわってくる。
このトンネルはどうなのだろう?
私は先にぽつんと見える光を頼りに、足を踏み入れた。
おいおい・・。側溝のふたの分しか幅がない。巨大なリュックや遍路の杖を持っていると、車道にそれがはみ出して車に当たりそうになる。
自分の荷物と不気味な照明の色に悩まされながら私は歩いた。
歩きながら、一つのことを考えていた。
もうすぐだ・・・・・・。このトンネルを抜けると、きっと・・・・・・のはずだ。
あと数メートルでトンネルをでる。そこは・・・・・・・。
トンネルを出た瞬間に気候が変わり雨が降っているのではと、心配したがそれは杞憂だった。
だが、もう一つの予想は杞憂でもなんともなく、ビンゴであった。
ついにたどり着いた。徳島駅から出発して8日目についにここまで来たのだ。
8月16日12時38分 高知県突入
四国四県のうち、ようやく一つ、クリアだ。
道上に掲げられている看板を見ていると、これまでの疲れが、すっと抜けていくようだった。いくら休憩しても温泉に入ってもとれなかった大きな疲労感が消え果て、あとにはこれまでの楽しかった思い出だけが残った。
たった一枚の看板に感動できる。
これが自力で進む旅にだけ許された無形の報酬であろう。
道は緩やかに下っている。私はまた歩き始めた。
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