みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 

                           2003年夏編 第40回





突然ですが・・・・・・・・・・・・・・






小学生時代、夏休みの最重要課題はなんだっただろう。





それは日記でも自由研究でもワークでもない。





男の子にとってはまさにこれではないだろうか?








秘密基地作り



(おお、幾百人もの同調の声が聴こえる!)





私たちは朝早く集合して基地の場所選びに、見慣れているはずの自分たちの校区を新鮮な目で観察してまわった。

数年の間にかなり多くの秘密基地を作ったように思う。
それは土手の中腹に作られた草むらの中であったり、ゴミ捨て場の奥にできた小さな空間であったりしたのだが、夏ごとにそれは忘れられ、また新しい基地探しを始めた。

何をするわけでもないのだが、家から持ち寄ったお菓子をみんなで食べたり、漫画を読んだりしているだけでも、それは十分基地遊びであり、自分たちだけの大切な空間だった。

当時の男の子のグループはみんな少なからずこんな秘密の空間を個々に持っていたようにおもう。



今でも時々、あの十数年前に作った基地がどうなってるか見に行きたくなることがある。ゴミ捨て場で拾ってきた小さな椅子がまだ残っているかもしれない。友人が書いた落書きは、どうなったのだろう?

なにより、今の子どもたちは秘密基地ごっこをしているのだろうか?少し気がかりである。





旅の楽しみの一つが朝の空気を感じられることだ。前にも一度書いたが、普段の日は、つまり仕事で早く起きるのは吐き気がするものだが、こんな日は違う。夏でもぴいいいんと音のする雰囲気。誰もいない道を一人歩く不思議さ。

遍路の朝はほとんどすべて雨だった。
だが、今日は晴れてこそいないが、歩きやすい気候だ。
上空には少しだけ雲が泳いでいる。
両脇の草むらから夜更かしをしている虫が鳴き、その奥の森からは早起きのせみの声が響いてきていた。



宿を出て少し行くとこんな光景があった。





私が何にこだわって写真を撮ったかお分かりだろうか。
大切なところを拡大してみる。





さらに拡大すると・・・・・・・・。
                  

地元の警察が旅人のために、接待をしてくれているのだ。四国の人にとっては普通の光景なのだろうか。それとも牟岐の警察の方が特に親切なのだろうか?いずれにせよ、大阪では絶対に見られない光景であることだけは確かだ。



ずっと55号線を行く日々が続いている。当初はその一本道に感動したが、さすがに飽きてきた。当時の日記にも「写真を撮る気力すらない」とある。実際ここから写真の枚数がぐっと減る。




左肩の感覚が消えた。
さっきまで痛みを感じていたのだが、無感覚のほうが危険である。

その上、やたら歩きづらいぞ・・・。
そうか、この長ズボンが悪いのだ。汗でまとわりついて脚運びを邪魔している。
ちょうど道沿いに屋根付きのバス停があった。そこで七分丈パンツに着替える。道端でズボンを脱ぐことにも抵抗がなくなった。自分の知らないところでたくましくなってるのかもしれない。


道中、いくつものトンネルに出会った。四国はことさらトンネルが多いように思う。
そのトンネルの両脇に階段がついていることがある。この遍路でもいくつか見かけた。あれを登るとどこへ行くのだろう。時々トンネルの上にも道を見かける。歩いてみたい。
旅の途中で大幅な寄り道ができないため、結局は素通りしてしまうのだが、「トンネルの上の秘密の空間」には今も大きな興味がある。秘密基地を作れる空間があるような気がしてしょうがないのだ。


30分ほど歩いた後、左手に海が見えてきた。道沿いにいくつかのベンチが備えられている。そういえば、ポーチの中に宿のおばちゃんにもらった果物が入っている。これで鋭気を養おう。

皮をむいていると一人の兄さんに声をかけられた。
「歩いておられるんですか?」
「ええ。お兄さんは?」
「バイクです。お盆だけでも旅をしたくて、四国を一周してます。3日ほど出回ってしまいますよ。でも歩いている君はすごいなあ。うらやましいですよ。」
彼はそのまま海に向かって降りていった。


・・・・・・・うらやましい・・・?僕が??
そうか、歩いてお遍路をできるというのはそういうことなのかもしれない。でも、僕は乗り物に乗ってる彼がうらやましい。
鳥は魚の心を知らず、魚は魚の心を知らないというが、まさにこういうことを言うのだろう。
旅には苦難を伴うが、そのつど違うスタイルの人をうらやむ。これの繰り返しなのかもしれない。





しばらく行くと民家が姿を消す。おそらくはそろそろ町境だろう。

この旅で学んだことがある。地方では集落は町の中央にあり、つまりは人気のないところに、町境や県境がある。根拠があるわけではないが、体でそれを感じていた。

あたりだった。



いよいよ高知との境の町だ。


向こうから荷物をいっぱい積んだ自転車の青年がやってきた。声をかけようかな、そう思ったときむこうから
「こんにちは〜。がんばってください。」と挨拶をされた。実にさわやかな声だった。
いいなあ、こういうのって。僕もこれから誰かとすれ違ったときはさわやかになろう。


海辺にはたくさんのサーファーがいた。水が冷たくて気持ちよさそうだ。私はひとり杖の音を立てながら熱いアスファルトの上を歩いている。どちらのすごし方も素敵だ。優劣はつけられない。



いずれは都市部にでると思ったが、行っても行っても恐ろしく間隔広く民家があるばかりであった。やがてその民家も見えなくなった。だからといって田や畑があるわけでもない。行きかう車もなくなった。ほとんど無人の境を進む感じだ。ふとさびしくなる。
だが、この寂しさも後に感じる寂寥たる感覚に比べれば牧歌のごとき平和なものに過ぎなかった。

左手の海が知らない間に山の向こうに消え、替わりに豊かに流れる川が訪れてきた。
水のある光景はいいものである。疲れが癒される。特にすぐ脇に川が流れているとそれだけで疲労が消えるようだ。


なになに?室戸まであと52キロか・・・・・・。

52キロ!?



数日前とほとんど数字が減ってない気がする・・。
どっと疲れがでた。癒されたのはほんの数秒だった。



こうして延々と歩いていると「僕は何をしているのだろう」という疑念がどうしてもわいてくる。この52キロは強烈だった。
もういやじゃ、どこかでねっころがりたい、そんな気持ちがわいてきた。
いいや、あせらなくても・・。

昼寝しよう、昼寝!

おや?すぐ向こうによさそうな場所がある。あそこはどうだろう?


そう、この一番先っぽ!
そんな弱音を感じていたのをみすかしたごとくに、


また、    また、  また!




      A
      g
      a
      i
      n
     !!


やつが私めがけて襲ってきたのである。

       


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