みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 

                    2003年夏編 第42回


前の回で書いたとおり、断続的に家並みが続いているおかげで、このうら寂しい光の下を歩くことの不安感は、ギリギリのところで恐怖感へ至ってはいなかった。
このままの状態で、宿に到達できることを心のすみで祈りながら、左手の海に目をやっていた。
十分ほど歩くと情趣あふれる漁村が見えてきた。

      フェンス越しに撮影したため、柵が写ってしまった


この写真を撮っているとき、一人の自転車お遍路さんが挨拶をして私を追い抜いていった。大学生くらいだろうか。
こうして旅をしていると、自転車や徒歩の人同士は挨拶をする機会が多い。だが、バイクの人には挨拶をしようと思っても、すぐに行ってしまう。いろんな人と出会いたかったが、この旅はバイクの人とは会わずしまいである。
私はスピードは完全に放棄したが、多くの出会いを与えられた。どちらがいいかは、その人の価値観しだいだ。


振り向くとこんな看板があった。

そうか・・・。

室戸までたったの44キロ・・・・・・。

って・・・・おい!

さっきと全然かわってないじゃんか!明日の昼間でに到達できるか少し不安になる。
でも、まあいい・・。これだけ人の息吹の感じられる道なら、歩きやすいだろう。それだけを頼りに歩みを進める。



しばらく行くと甲浦へでた。かつては大阪からのフェリーがここに到着していたが、今はその便がなくなってしまった。


下の写真では分かりにくいが、「フェリー乗り場」の表示が消されている。




二時間ほどたった。少しずつ家が少なくなってきた。ちょっと嫌な予感がする。でも、まだこれくらいなら許容範囲だ。大丈夫、大丈夫・・。


ここは東洋町の野根というところらしい。

雨は知らぬ間にやんでいた。助かる。
だが、雲は空の青い部分をすべて覆い尽くしていたが、考えるな、気にしてはいけない。



まだ昼の2時過ぎなのに、夕方遅い時間の気がする。体が知らぬ間に宿での安らぎを求め始めていた。だが、今日の宿泊地はまだまだ遠い。

左の海が救いだった。幾人かのサーファーが見える。だから私は一人ではない。そしてなにより水のある光景は人の心を安定させる。その不思議な効能を歩きながら感じていた。





数分たつうちに奇妙なことに気づいた。






海に誰もいない。

もしかしたらここだけは遊泳禁止なのかもしれない。

だから、またそのうち、人が現れるに違いない。
心細さを、意図して振り払う必要がこの状況下では必要だった。
そう、私は大丈夫なのだ。


海ばかり見ていた愚挙にいまさらながらに気づいた。右手に視線をやって驚いた。



家がない。
小さな小屋すらない。
田んぼも畑も姿を消している。



あるのは私を圧迫する山だけである。そこには人の気配などあろうはずがない。

いつの間にこんな淋しいところに迷い込んだのだろう。
迷い込んだ・・・?そんなはずはない。一本道なのだ。これが遍路道なのだ。
白煌々たる空の下に、さらに煌々と幾重にも折り重なった岬が見える。あの一番向こうが室戸岬なのだろうか?



あんな遠いのか・・・・・・・。
そして何もないのか・・・・・・・。本当に無さ過ぎる。


その何もない、いや、正確には距離だけが無限にある道を私は今、歩いている。



一人で歩いている。



一人である。
言うまでも無く、私は一人である。



一つ角を曲がるたびに、室戸岬が近づいてるだろうという期待感が生まれる。

ところが、これはどういうことだろう・・?




一つ曲がると、一つ岬が増えるのだ。景色が全然変わらないのだ。
ということは・・・?

あの一番遠くに見えている岬は、ゴールではなく、ただの中間点なのか?
それに気づいたとき、雨が再び嫌がらせのように降り出した。
だがまだ小降りだ。なんとかなる、はずだ。



道がどこまで続こうが、雨が降り始めようが、淋しかろうが、歩くしかない。
しばらくは無限の回廊を楽しむ余裕もあった。
いま、俺は友人たちの誰も体験したことのない大冒険をしているのだと。

だが、それにも限界はある。あまりにも変化がないその光景に、脳の一部が混乱をし始めていた。お前は永久にこの回廊から出られないのだぞと、私の思考の狂った部分が脅しをかけ始めていた。
そんなはずはないと、混乱を払拭する。だが、いくら行っても行っても、本当に景色が変わらず、それどころか岬が続々と増殖していく。


右手には山、左手には海。前方にはどこまでも、道、岬。
後ろは・・・・・・・・、振り向く余裕などない。
上空の灰色の空はだんだん、黒くなってきている。


あまりに道ばかりを見ていれば、寂しさが増してしまう。
私は救いを求めて海を見た。どこかにサーファーはいないか、と。
歩き遍路の自分とは、隔たりのあるレジャーを楽しむ人たちではあるが、「人」がそこにいるだけで、安心感を得られるはずだ。
だが、そこには人が活動できる砂浜などはない。植物さえ生きられない、灰色の岩だけが、波の狂瀾怒涛の叫びを聞きながら無機質な存在で私を見つめていた。



そしてその向こうにはもはや改めて記述する必要さえない、「道」があった。



死の回廊を歩きながら、私は不安感が恐怖感にかわるのが分かった。
だが、同時に友人たちにこの冒険を自慢してやれることへの、稚拙な興奮も体のどこからか湧いてきた。誰もこんな体験はしていないだろう。
家に帰ったら絶対に自慢してやる。・・・・・・・・・・・・・・帰れたらの話だが。




1時間歩いて、まったく景色が変わらない

体験というのははじめてだ。



あと何時間かかるのだろう?
右ひざの痛みは、当然続いている。だが、この果てしない道から一刻も早く出たいという意識がそれを上回り、足取りはこれまで以上に速くなっていた。歩きながら計算してみたら1キロを12分で歩いている。脚への負担は相当なものだろう。しかし、私はさらにさらに速く歩き続けた。

この時の私はどんな表情をしていたのだろう。苦悶に顔をゆがませていたのだろうか。それとも少しは旅人らしい、毅然としたものを表していたのだろうか。




波の音がいっそう激しくなる。風が強くなってきたからだろう。となるともうすぐ雨も降るに違いない。
岩にあたる波の音は、チューニングをまったくしていない楽器が数百台、一斉にてんでばらばらに演奏をしているような響きを持っていた。聞く人によっては、素敵な海の音であろう。それが自然な感傷に違いない。が、この時の私は寂しさに震えていたため、どうしてもマイナスの考えしか浮かばないのだ。

不愉快なことに、その不協和音は、私の体の中からも聴こえてきた。おなじみの右の膝から、両足首から、そして左の肩からも、吐き気を催す音がする。それは骨がきしみを上げている音であり、筋肉が断裂をはじめている音であった。
旅も十日目で、体のあちこちが悲鳴をあげ始めたのだ。
狂っているのは、波だけではない、遍路道だけではない。私の体もまたそうであった。





まてよ・・・?俺はすごいことに気づいた。
この大冒険は帰ったら友人たちに自慢できる!そうだ!自慢だ。誰も、こんな体験はしていまい。

・・・・・・?


さっき同じことを俺は考えていなかったか?
狂っているのは波だけでは、道だけでは、そして体だけではなかった。
心もまた出口のない狂気の無限回廊を作り始めていた。




先ほどの神経を壊すような不協和音に、新しい、そして歩く者にもっとも強烈な恐怖感を与える楽器が加わった。
雨音が一気にボリュームを上げた。
                                        

         
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