みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 35回
山越えの際、限界を感じた私は余分な荷物を送り返すことにした。
こんなときに、またよくない癖が出てしまう。
今、私の部屋は捨てられない物でいっぱいなのだ。
小学校のときに使っていたソプラノリコーダーやハーモニカ、それにランドセルは
「いつかは使うかもしれない。」という理論に守られてそこにあった。
でも一度も使ったことがない。
これまで買った雑誌もほとんど捨てていない。
「いつかは読むかもしれない。」そう思うと手放すことができないのだ。
実際に、数年に一度くらいの割合で、古い雑誌を読むのはなんとも言えずに楽しいのだ。したがってこれらの書籍もこの感情に守られてそこにあった。
だからずっと実家の四畳半の部屋にそんなガラクタが積まれていた。本当に床から天井に届くまでの高さに、大量の私にとっては思い出の品が、家族にとっては汚らしい「ごみ」が保存されていたのだ。いくら両親に捨てろと言われても、頑として所有し続けた。
先ごろ独立して一人暮らしを始めたのだが、何もないすっきりとした部屋にいたく感動したものだ。
スペースのあるすばらしさ。これまでは、たしかに狸の巣のようだ。
やっぱり引っ越してよかった。これからは、この広々とした部屋で優雅に暮らそう。
数ヶ月間は、あの実家の「宝物」のことは忘れていた。
ある日家に帰ると・・・・・・、玄関先に数個のダンボール箱が積まれていた。
「なに、これ?」恐る恐る中を見ると「ぬお!これか!」実家から送りつけられた、思い出の荷物であった。
「なんやねん、このゴミは!?」
広い暮らしに慣れてしまうと、宝もごみに思えてしまう。
「よし、思い切って捨てよう!」そう思い、再び箱に詰め始めた・・・・・・・。
「あ・・・・・・これは、幼稚園のときお祭りで買ってもらったビー玉や・・、
あ、これ、友達からもらった漫画や・・。」
やはり捨てられず、またも箱から出し、部屋のあちこちの引き出しに入れ始める私がいた。
かくしてこのゴミ、宝物はいまも私の部屋に大きな場所をとり君臨している。
さて、荷物だが・・。どれを送り返そう・・?
ううむ・・・、どれもこれもいりそうやしなあ・・・。
結局、寝袋だけを送り返すことになった。
わざわざ郵便局をさがしたのに、小さな寝袋一個だ。まあ、この天候なら今後も野宿は見込まれまい。
しかし、四国は郵便局の人まで親切だ。受付の若い女の子は荷造りを手伝ってくれるし、痛み止めの薬がほしくて薬局の場所を聞いたら、中から地元の人が出てきてくれて地図まで書いてくれた。山道とお墓には悩まされたけど、この町のことが大好きになった。
あ・・・十戒をまた破ってしまった・・。
さらに破戒(←みなさん、十戒のこと、忘れてたでしょ?)
七 荷物を大切に(十分吟味したのだ。失くしたり送り返したりしない。)
薬を買い宿に戻った。
私の歩き方をみて、いかにもベテランといった感じの年配お遍路さんがテーピングをしてくれるという。
「君、ちょっと見せなさい。その歩き方だと相当痛いんだろう?このテーピングならすぐに痛みは止まる、まかせなさい。」
そういうとお遍路さんは、小さなシールを膝まわりに四つ貼ってくれた。
シールはテーピングかな・・・?
まあいい。痛みは・・?
やわらいだ気もするし、変わらない気もする。
「歩いてみなさい。すいすい歩けるはずだから。」
このおじいさんは相当シールを信じておられるようだ。これは決してだますとかではなく、親切でしてくださったことへの感謝であろうと思い、私はかなり無理をしてすいすい歩いて見せた。
「ほら、効いただろう?」おじいさんはそういうとビールを飲み始めた。
ご飯がかなり豪華で、次から次へと出てくる。おばさん一人でやっておられるようだが、よくここまでできるものだと思う。
となりのおじいさんは、お遍路二回目とのことでいろいろとご存知のようだ。
だが、最近のお遍路さんには胸を痛めてるという。
「大体、何で普段着なんだ。(ドキ★)
な、君、そう思うだろう?」
「は、はあ・・・。」
「それにだ、時々、階段が辛いとか言ってお参りもせずに納経をする人もいるらしいぞ。
(超ドキ)
これなんかは信じられない話だよ。なあ、君、信じられるか?」
「え〜、そんな人が、い、いるだなんてえええ・・・・・!」
こうしておいしいけど、実に胸の詰まる食事の時間はすぎていった。
食事が終わって8時半、部屋にはテレビもなく、他の人も寝ておられる。
さびしい・・。日記を書いてしまうとすることがない。
ちょうど食堂に「四国へんろ」という雑誌があり、そこにくしまさん(掬水へんろ館主催者。リンクページ参照)が出ておられたので、それを読みながら眠りについた。
6時の目覚ましで目が覚めた。
やはり外は暗い。これが何を意味するか、考えたくもない。
外を見ると予想通りの光景だった。
朝食もいかにも朝食らしいものであった。
窓の外をみた。
昨日ほどではないが、やはりじっとりとした雨と、ざわざわと胸を騒がせる風が吹いている。
それに比べてこの宿の中は静かであった。
屋根と壁のあることのありがたさが、改めて心にしみいってくる。
だが、旅をするというのはこういうことなのだろう。
あえてこのざわつきの中に飛び込んでいくことであり、いつでも戻ることができながらも、やはり困難の中に心身をおくことなのである。
朝食を終えるといつもどおりのカッパに身を包み、湿った道にでた。
まだ街灯がついており、ブーンと音を立てていた。
雨のため薄暗い空気の中を夜虫が朝に気づかず、おろかにも民家の玄関先でまだ舞い踊っていた。
文句なしに本日第一番目の納経者である。
真横の22番霊場平等寺の山門をくぐった。
長い階段をのぼる。足の痛みがないのはなぜだろう?
・・・・・・まさか?あのシールのおかげなのだろうか?
こうしてふもとを見下ろすと、まだ街並みが寝静まっているのが分かる。
そうか、今日は8月15日、お盆でありなにより日曜日なのだ。
歩く人もいない。
動いているのは夜の虫と、そして雨雲だけであった。
もう一つ、私である。
宿のおかあさんに教えていただいた細道を進む。歩きながらフードが静かなことに気づいた。雨が当たっていない。
すばらしいことだ。雨上がりが訪れたのだ。思わず空を仰いだ。厚い雲に覆われているが、そこには天候の回復を予測させる鳥がこちらにむかって飛んでいた。
私以外に動いている生き物がいることで心によりどころが生まれた。
辺りを見回す余裕もまた芽生えた。
そこにはすでに黄色くなっている稲が、昨日の雨のせいであろう、横たわっていた。
数日後にはこの稲たちも元気を取り戻し起き上がるに違いない。その時、私は今回の目的地、そう、室戸岬に到着しているに違いないのだ。
やがてちいさな看板に出会った。
おお、いいねえ。この看板。
青の道路看板は左を指している。
このという文字をみて身が引き締まる。
出発前から意識していた数字である。
55号線こそが徳島と高知を結ぶ一本道であり、
室戸岬へ到着するまで、私はずっとこの一本の線の上にいるのだ。
よく見ると手書きの地図が貼り付けてある。どうやら近道のようだ。山の中に入るようだが、雨がやんだらこっちのものである。迷わずこちらへ行く。
まっかせなさい!
おそらくは地元の方の心意気なのだろう。こんな看板にも私は礼の深さを感じた。
の文字により、さらに旅モードに加速がかかった私は、どんどんハイテンションになっていった。。
行くぞ〜!
俺はこの道をどこまでもどこまでもゆくのだ!
まっかせなさい!
颯爽とカッパを脱いだ。身が軽い!シールのおかげで足取りも軽かった。
もう俺を邪魔することは許されない。
「来るなら来い!
まっかせなさい!」
そんな訳の分からないことを考えながら、私はずんずん歩いた。
すぐにこんな光景に出会った。なぜか柵がしてある。おお、これが遍路道の入り口なのかな?
なかなかいいじゃないですか。
よく見ると横の看板に何か書いてある。
何々?
「道崩壊のため通行禁止!?」
前言撤回!
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