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みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記

              2005年夏の実況中継編 私なりの結願をめざして 第27回


                  
最終回

わははははは!

わはははははは!


わははははははははは!!




これは私がわらっているのではない。私はあくまでもクールである。笑っているのはひざなのだ。
道はくだりになったが、その分、


わはははははは!

と笑うのだ。
最初、体が結願の感動で無意識に震えだしたのかと本気で思った。
全然ドラマティックではないではないか。

しかし、それでいいのだ。これまで遍路が一区切りつくたびにいちいち落ち込んでいた。最後は冷静になる、それでいいのだろう。前章にも書いたが、真の感動とは静かなものなのだ。


大窪寺まで残り、0.5キロとなった。ついに1キロを切った。あたりはヒグラシが鳴いている。せみに包まれての結願という目標は達成できそうだ。

現在12:25





建物が見える。下に見える。ついたところはなぜかお寺の門ではなかった。
でもあわてることなく、山門を探す。

完全に冷静になれていた。







そして、



そして、



そして!!





そして!!!



  四国霊場88番札所 大窪寺 2005年8月7日 午後12時41分 到着

さすがに、胸が熱くなってくる。俺は、この門を目指してこれまで1200キロを歩いてきた。
体の奥のほうからジーンとしたものが湧き出てきた。

目の前に本堂があった。中に入って、ちゃんと最後の般若心経を唱えなきゃ。




上を見上げた。こんな文字があった。


「霊場結願所」


本当に、本当にここまで来たんや。
おれ、来てしまった・・・・・・・。





涙が爆発した。
心が冷静だったはずだ。感動は静かに迎えられるつもりだった。
それなのに、後から後から泣けてくる。

一度堰を切ってしまうと、もうとめられなかった。
感動を深めたくて意図して流す涙ではなく、気がつけば自然に流れてくる。
胸が痛くなって、なんというか幼いころしゃくりあげてないたときのあの感触、わかるだろうか。とてつもなくさびしいけど、なぜか誰かが支えてくれている。その懐の中で泣く感じを思い出した。そんな思いが心の一番奥底からわいてくる感じだった。

ずっとその文字を見つめて、多分、10分くらいは立ち尽くしていた。



般若心経、となえなきゃ。


一行読むたびに、また涙が出てくる。
袖で涙を拭いた。朝、無意識に長袖を着ていた。正解だった。


最後は声が出なくなった。振り絞って読み上げた。


外へ出ると歩きお遍路さんが二人おられた。神奈川のMさんと埼玉のTさんだ。
お二人とも通しうちだという。
特にTさんはほとんど野宿だったそうだ。
これまで幾人もの人と出会ってきた。最後の二人と写真を撮った。
左からTさん、Mさん、ピースケ。


納経をしてもらった。最後のページが埋まった。



そうだ、もう、納経をすることはないのだ。

もう、札所の場所を探して地図を見つめることもない。
遍路シールをさがして電柱を目で追うこともない。
見失った遍路シールに久しぶりに再会して喜ぶこともない。
道でたまたますれ違った人にお接待をいただくことなど、絶対にない。
歩いているだけで、拝まれることもなければ
逆に都市部で白衣を奇異の目で見られることもない。
遍路同士で交換する納め札、時折溝のふたに入ってしまう金剛杖、リュックに邪魔される菅笠も、もう持ち歩くことはない。
お寺でであっただけで一宿一飯のお世話をしてくれる人と出会うこともない、
遥かかなたから私に会いにきてくれる人も、もういまい。



すべてが達成されたとき、すべてが無に帰してしまった。あるのは記憶のみ。
だが、それでいいのだ。


過去と他人は変えられないというが、

逆に未来と自分は変えられる。



そして1200キロを歩いたという事実はかわることがなく、その過去は未来の私を変えてくれるだろう。





今、この瞬間から自分を変えていきたい、涙がおさまったとき、そんなことを思った。
結願をしたとき、願いがかなうという。

実に、実にお恥ずかしいし、また現実的でもないし、また思い込みもかなりあるのだが、
大師堂で最後のお経を上げながら、こう願った。



私に係るすべての人を幸せにできるような人でありたい。

そして世界の平和のために働ける人でありたい。





うわ・・・・・・・・・・かいてしまった・・・・・・・・・。
今回の実況中継で、私の思いや行動をストレートに書き続けた。
だから、最後までそうする。





お寺を出るとき結願書を書いてもらった。

素直にうれしい。
許されるなら大声で叫んでいただろう。「ピースケ、いま結願したよー!!」誰に向かって叫んでいいのかわからないけど。


午後3時。



不意に携帯が鳴った。
啓太君からだ。「おめでとうございます。」といわれた。だから私は彼に「ありがとうございます」と返した。

そう言ったとき、ある問いかけの答えがでた。
時々「なんでまわってるの?」と聞かれることがある。その時「自分でもわかりません。」と答えてきた。

その答えは啓太君に出会うためだった。私は彼に会うために歩いていたのだ。
そして昨日道でお茶を入れてくれたおばあちゃんに会うために歩いていた。
すれ違うとき、ご苦労様といってくれたおじいさんに会うために私は四国に来ていた。
通りすがりに挨拶してくれた小さな子どもたち、札所で声をかけてくれた人、あなたに会うために私は歩いた。
メールをくださったあなたの思いを受け止めるために歩いた。
HPを見てくれている人とつながるために歩いていた。
私に会いに来てくれたタビロイドさんに、key youさんに、天地さんに、陣さんに、出会うための遍路だった。
目に映るすべてのものを見るためだった。聞くためだった、感じるためだった、出会うためだった。




いま、心からそう思う。







すべてに出会うための歩き旅であり、

私の前にあるすべてのものがいつくしみの対象だったのだ。



歩くだけですべてを愛せるお遍路!



四国そのものを、

出会った人を、

私は一生忘れない。









だから、私は出会ったすべての人にお礼を言わねばならない。






これが最後の言葉です。











出会ってくれてありがとう。








 
 
 みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 

             完全なる了を迎えました。つまり完了。


                2005年 8月 7日 ピースケ



      
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