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                                    屋久島へ・・・・・

                 

第10回    きたぞ、縄文杉編




なぜいつもヒヨコをぶら下げているのかと聞かれたことがある。
答えはもちろん「ヒヨコが好きだから」である。
こうこたえると当然のように次の質問が来る。
なんでそんなにすきなのかと。
その瞬間いやおうなしにはるか幼少期がフラッシュバックする。
詳しく書けない。ただかなり強いトラウマとなって、ヒヨコというものがいわば「命」の代表として私の心に君臨している。
ここから連鎖して、小さな生き物、おとなしい生き物が幼児期から大好きだった。

ウィルソン株でくたばっていた私たちの前に現れたのは一匹の屋久シカだった。
通常のシカ(とはいっても私は奈良公園の鹿しかしらないが)よりも一回り小さくて、きょとんとした顔をしていた。
人におびえたからなのか、かなりのスピードで走っている。
目の前に野生の鹿がいるなど初めての体験だ。
必死で追いかけた。

どうしても追いつけない。いつしか見失った。
「あーあ、おらんようになったなあ。」




鹿はいなくなったが逆に道を歩く人間がやたらと増えている。
もしかしたら、縄文杉がすぐそばに?


向こうから来た金髪のカップルがこんな会話をしていた。
「ものすごかったなあ。」
「ほんと、すごくし・あ・わ・せ。」




このカップルの短い会話に俄然興奮した。

カップルに興奮するといっても決してそういう意味ではなく、とはいえそんな気持ちもないではないが、ここで言いたいのは「ものすごかった」という言葉に期待を持ったということなのだ。
およそ登山をしなさそうな金髪カップルを感動させる存在。
すなわち縄文杉は近い!



ますます人が増えてくる。みんな疲れを知らぬかのようにどんどんのぼっていく。M君もまるで疲れを感じていないかのようだ。

ただひとり、虚弱な男が、ひいひいあえいでいた。さっき鹿さんのおかげで元気が出たが、見失うとかえってつかれた。





一歩を踏み出すのも考察がいる。脚ってどうやって動かすんだったかな?
息はどんなタイミングでするんだっけ・・・?
歩き方が分からない!




疲れが極限に達すると

元気なときに無意識にしていることも、

わからなくなる。




気付けばウィルソン株で補給した水を飲み干していた。普段ならこんな無計画なことは絶対にしない。
でも、そんな「計画」的に考えることなど、出来ようはずはなかった。




もはや私の体は機械的に動いていた。あちこちの部位はとっくにくたばっていた。
ただ残るは縄文杉に会いたいという一念のみであった。





目の前に木で出来た階段が現れた。

                  
もしかしてこの向こうに・・・・・・?
もはや疑うことすら出来ない事実。
この階段を登るとそこには縄文杉が見える。

血が沸騰した気がした。少なくとも体温は1、2度上がっている。

体全部が疲れきって動きを止めているのに、心臓だけがものすごい速さで動き出した。


この向こうにいる。


もうすぐ見える!












「目、つぶろうぜ!」M君が突然言った。

最後の瞬間まで見ないでおいて、「せーの」で縄文杉を二人同時に見ようというのだ。
なんという素晴らしい思いつき。

私たちは静かに目をつぶった。手探りで柵をさわり階段を登る。
もうすぐだ。人の声がする。みんな感動している。僕らも感動するのだ。
これまで苦難を共にした友人と共に!
一人の感動も素晴らしいが、仲間と同時に感動できることは何より美しい話である!






「わあ、すげえ!」

不意にMがさけんだ。

さらに彼の叫び声が聴こえる。

「でかいよ、縄文杉!感動やー!」






ふんぎゃ〜!
先見てるやんけ!!同時に見ようと言ったのはお前やろ・・・・・・・。



と、口から出かけたが・・・・・・・・
私も眼前の縄文杉をみて心臓が止まりかけた。









おおおおおお

おおおおおお

おおおおおお

おお!!!!

!!!!!!!!!!









マジで泣きそうになった。


樹齢7000年・・・・・・・。

あなたが、7000歳の人生の大先輩・・・・・。

つまり地球上で一番年上の生き物。
人が生まれる前からそこでずっと世界を見続けいていた全ての生物の最年長者。

何度も引用している「十五才 学校W」の大介少年も縄文杉についたときにこう叫んでいた。「やったぞ、おれはついにやったんだ。」
この時の私も声には出さずとも歓喜の叫びを心で上げていた。


その縄文杉はこれである。



















失礼!

でもこれは間違いではない。意図している。
実は縄文杉を見たとき、少なからず「ああ、写真と一緒やな。」という感想をもってしまったのだ。
実は縄文杉は保護のため、デッキからしか見られなくなっている。勢いどの写真も同じ角度になるのだ。すなわち私が今見ている角度のこの姿が世の中にあふれる縄文杉の写真の唯一のアングルなのである。

だから・・・・・・

さんざんこれまで引っ張ってきたが、私は縄文杉の写真は掲載しない。
みなさんが実際に行ったときに肉眼でお目にかかったときの感動を期待したいのだ。




残念だったのは、縄文杉に語りかけるために設けられたデッキでいくつものグループが煮炊きをして食事をしていたこと。
私たちならしない。


ずっと縄文杉をみつめていた。これを見るためにずっと準備をし、夢を見、そして5時間も山を登り続けたのだ。
でも時間は昼をとっくに回っていた。8月の後半、早くしないと日は落ちてしまう。
早く山を降りないと・・・・・・・。



さらに私たちは坂道を登り始めた。


                                        



        

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