屋久島へ・・・・・
第6回 トロッコ道をゆく 編 |
足元のトロッコ道は実に歩きにくかった。決して歩くために枕木があるわけではないからだ。
それでもそれ以外に歩くルートはなく、縄文杉を見ようとするものはいやおうなしにこの非等間隔の枕木に悩まされることになる。2002年現在では間に一枚の板がまっすぐに渡されており、数年前よりも歩きやすくはなっているようだった。
すこし歩くだけで汗が全身の毛穴から吹き出してきた。
まだ出発したところなのに、背中の巨大なリュックはいったい何が入っているのだろう。アホみたいに重い。
それにこの光線の強さ。
我々を取り巻く全てのものが凶器となって襲い掛かってくる気がした。
が、それを凌駕する変化がこの道にはあった。
歩き始めて少しした頃だ。
トロッコ道はいきなり洞窟の中に吸い込まれていった。
「すっげえ、冒険や、冒険!」もちろん私たちは興奮し始めた。
さらにだ。真っ暗な洞窟の中に入ったとたん、センサーで電気がついた。
電気がついたというそれだけなのだが私たちは興奮した。
電気がつくだけで興奮できる。なんと素晴らしい時間。
この時間が一生続いてほしい。
そんな最高の時間はまだまだ続いた。今度は前方にこんなものが見えた。
すげー!すげー!鉄橋や!
そして誰もがみんなここで叫んだセリフ。
「『スタンド・バイ・ミー』みたいやなー!」
あなたは言わなかっただろか?
映画なら、ここで渡るかどうか迷うところなのだが、私たちは傍から見ても恥ずかしいぐらいに興奮しながら渡り始めた。
その下には透き通った川が流れている。
かなりの高度だ。私は決して高いところは好きではないのだが、今回は高ければ高いほど興奮する。
前をM君が歩いている。私は彼に向かって叫んだ!
「逃げろー!汽車が来たーああああって・・。」
・・・・・・・・・・・・・・・一応言ってみた。
あなたは言わなかっただろうか?
言ったはず・・・・・・。
まだ朝の7時過ぎだ。それなのにこのテンション。
時間のたつのが遅すぎる。
屋久島にいようが大阪にいようが時間の流れは同じなのだが、
主観の中での時間のたち方が
屋久島では数倍の広がりと深さと、
輝きをもっていた。
一日が一週間であり、
一時間が一日であり、
一瞬が永遠であった。
それは錯覚だけど、全然間違っていない。
また鉄橋である。先ほどのは手すりというか柵があったが今回の鉄橋はそんなものもなく、幅もぐっと狭かった。それが今の私たちには喜びだった。
この時の我々の知覚はおそらく普段の倍の敏感さを持っていただろう。
歩いているとふと日陰を感じる。おそらくは横に大木があるからだろう。
大木があるということは木漏れ日が見えるはずだ。
ふりさけ仰ぐとまさにそこには木漏れ日があり、その日の光と影となる巨木は言葉ではいいしえない美しいコラボレーションを作っていた。
左に冷涼な空気を感じた。そこには苔生した命の息吹があるに違いない。
きっとあるはずだ。
振り仰いだ。当然の景色がそこにはあった。
ただの茂みの中だ。ただの茂みですらこんな輝きを持つとは・・・・・・・。
実は荒川登山口にいたるまでの道で一番最初に見える緑の世界がここなのだ。だからこの場所で思わずシャッターを押した人も多いのではないだろうか。
向こうに分岐が見える。この道に別れ道があるとは思わなかった。
道標にはちゃんとこう記してあった。
←左 登山口ではありません 右 ウィルソン株 縄文杉→
右に曲がってすぐに、素敵なものがあった。
「時間が一気に逆流してる!!」Mが叫んだ。
「時間が逆流」?
なんだそれは?
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