黒部ダム、雨男、牛乳カップ麺を
日本一周に捧ぐ 「NIPPON GURURIN PLAN!」によせて
第7回
盆ということですごい人だった。
日本唯一のトローリーバスに乗る。これも私は初めての体験である。
存在は知っていたが、いったいそれがどんなものかはわかっていなかった。
今日は日本人の英知を結集した黒部ダムにいる。
正直、なんで「ダム」に人が集まるのだろうと思っていたりもした。
だが、見た瞬間に全ての価値観はチェンジした。
一年のうち10ヶ月は雪で閉ざされるこの地に、摩天楼のごときダムを作った。
これをどう説明したらいいのだろう。
私の筆の及ぶところではない。
だから写真でそれを表現しよう。
これでこのダムのすごさがわかるだろう・・・・・・・・
観光放水の模様。人が小さく見える。
そう、私の写真で全てを物語ろう・・・・・・、
とおもったのだが・・・・・・、
われながら撮り方が下手である。
この大スペクタクルを私の小さなカメラではうまく表現できなかった。
よって他の方に頼ることにする。TOTOさんに頂いた写真をごらんいただきます。
この絶妙の構図。人口のダムと、落下する水、そして偶然かかった虹。
TOTOさんにデータを頂いてから、ずっと彼の写真に癒されてきた。
黒部ダムではどこにいても鳥の声がしていた。
すっぽりと稜線に囲まれている。そのラインには数多の木々が背を伸ばし、深い緑の顔で眼下をうごめく我々を見つめていた。
その下で彼らも偉大な自然を見つめ返した。
ピースケっち君とピースケ子ちゃんが私の遍路を終幕まで見届けてくれたように、ちょこすけ君もなりすけさんの日本一周を見届けている。
小さな二羽は大きなちょこすけ君の懐に抱かれて、黒部ダムを仰いだ。
そんなちょこすけ君は1年3ヶ月の旅路の後、いよいよ来月は休息に入るらしい。
この3匹の写真を見るとき、私はあらゆる心の痛みが薄れるのだ。今も。
あまりにも広いダムだった。
我々は何時間も歩き続け、
遊覧船に乗り、
写真を撮った。
人間と自然、両方のすごさを知った一日だった。
昨日と同じバンガローで最後の夜を迎える。
私はあさってから仕事なのだ。
ほとんどの人たちも明日には帰ってしまう。
犬猫馬さんは昼間、黒部ダムを最後に地元へ帰っていった。
最後の晩餐は鍋だった。
虫が飛び交う不思議なバンガローでみんなで鍋をつついた。
早送りのごとくに時間が過ぎた。
時間はすでに午前1時だ。でも、眠りたくなかった。
いま、旅の終わりを目前に控えたなりすけさんと語り合っている。
今晩もいろんな濃い話をした。
旅をすることの意義、歩き続けることの意味、そして生きるということ・・。
もうこれで4泊目だ。
これまでいろんな旅をしてきたが、
他者と4泊もの時間を共に送ったのは初めてである。
でも長さを感じはしなかった。すべてに温もりをかんじた。
外からは何の音もしない。
でもバンガローの大きな窓からは、大阪では絶対に見ることのできない強い星明りが私たちを包んでくれていた。
もう1時だ。最後の夜の幕引きをしよう。
私は眠りに着く前に、昼間とった写真を見返した。
デジカメのなんと便利なことよ。数年前なら考えられなかったことだ。旅の記録も進歩するのだ。
なかでも最も長い時間をかけて見つめた写真がある。
偉大なダムの写真ではない。
それはこれである。
ダムで休憩中にみんなで撮ったのだ。
3日前には3人だったのに、知らぬ間にこんなに増えている。
すべてなりすけさんが1年以上旅をして出会ってきた人たちだ。
日々自転車をこぎ続けた中でなりすけ氏が
自らの誠実さで得た仲間がここにいるんだ。
それを、
率直にいいなあと思った。
もっと正直に言うと、
うらやましい
という気持ちさえ少しはあった。
でもそれ以上に、
人間ってこんな風に信頼しあえるんだ
ということをみんなに教わり、
幸せな感覚に包まれた。
あの黒部ダムを作った人たちだって、工事の仲間を信頼しあいながら作ったはずだ。
もしかしたらなりすけさんはそれを俺に教えてくれるためにここへ連れてきてくれたんやろうか、そんなこじつけまで考えた。こじつけではあるが、この時はそんな気になれた。
そうなのだ。
「人はすばらしい。」
そして旅をすることで
よりいっそう人との出会いを
得ることができる。
このぬくもりあふれる事実こそが「NIPPON GURURIN PLAN!」に与えてもらった最大の教えなのだ。
来てほしくはない、最後の朝がすぐにやってきた。
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