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失われた学校、村、道、鉄道を訪れた日の記録


その島は滅びず 無人島浪漫紀行 第8回


私たちはその島の最高所にある灯台へ上り、写真をみなで撮った。今回のように行きずりの人たちとの写真は、旅の上での財産である。おそらく大半の人たちとはもう会えないだろう。これまでにもいろんな人たちと写真を撮った。
今でも思うことがある。
みなさん、どうしているのだろうと。
メールなどで交流が続くことは実はまれである。だからこそ、こういった写真は貴重なのだ。






私は眼下の建物に心を惹かれた。
もちろん今までもすべてのものに魅了されていたのだが、あの建物は特に私の琴線に触れている。


なぜだろう?


この写真右端に写っている真四角の建物である。
他と違い窓にガラスもなく完全な、がらんどうなのだ。
歴史あるこの無人島の中でも、もっとも朽ち果てた建物が私の心をつかまえた。

「あれは30号棟ですよ。行ってみますか?」
じっと建物を見つめている私に気づいたのだろうか、Sさんが教えてくれた。


他の方と共にまた歩き出した。
              




今にも崩れそうな通路をとおり、30号棟に近づいていく。
                         


この建物は真四角であり、中庭のような空間を囲んで回廊が存在している。その周りに各家がある作りになっていた。



建物に入り階段を上がり始めたとき、一瞬めまいがした。



ん?

なに、これ?







階段が・・・・・・、階段が・・・・・・、






揺れている??



めまいの原因は階段にあった。
一歩踏み入れただけで、かすかにしなる感じがする。コンクリートの建物でこんな感触になるとは。
揺れているというのは大げさな表現かもしれないが、実際にその建物は相当傷み、あちこちが傾いている。私の平衡感覚だけではなく、視覚からも脳髄を狂わせてきているのだ。


「この建物、いつごろ建ったと思います?」前を歩いていたSさんが誰に言うともなくおっしゃった。

「そうですね、終戦直後とか・・?」
まったく検討がつかない。適当に思いついた答を言ってみる。



「これは1916年に建てられた、
日本最初の
鉄筋コンクリートの建物なのですよ。」

Sさんが教えてくれた。

1916年?!

いったい何年前なのだ?私のばあちゃんさえ生まれていない。

この島のすごさを見た気がした。もし30号棟が大阪の真ん中に建てられていたら、すでに取り壊されていたことだろう。歴史的な意義よりも経済効率を優先するからだ。それは良い悪いではなく、どうしようもない事態ではある。
だが、いま、ここに日本最古の鉄筋コンクリートの建物がある。そして私は今その中にいる。そう思うと、身震いがした。


壁が朽ち果てている。各部屋の中には何もない。窓が大きく割れてしまい、そこからすべてのものが投げ出されたのだろうか?




私は今、7階建ての建物を見上げている。
コンクリートが風や水に浸食されて徐々にやせていき中から骨が顔をのぞかせている。
今度はその骨が死んでいく番なのだろうか?

逆に、変色したコンクリート部分の上に植物が
生い茂っている。
この草が死んだとき、次に何がこの地を
支配するのだろう。

実のところ、ほとんど予備知識(事前の勉強というべきか)をせずに、私は渡航して来た。この島がこれほどの意義を持っていたとは・・。

物言わぬ建物が、多くのことを語りかけてくれている現実に私は今身震いがする思いで感謝している。


日本最古の建物を出た私たちは、次にある建造物へ向かって歩き出した。
      


それはこれである。あなたは下の写真を見てここがどんな建物かわかるだろうか?
ヒントは外国人の方の右横の物体である。みなさん、見覚えがあると思うのだが。
                              
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