トップページ  掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール


           限界のそのまた先へ 紀伊半島迷いの一周 最終章





ここは日本のエアーズロックと呼ばれる場所である。正しくは古座川の一枚岩という。

高さが100メートル、長さがなんと0,5キロにもおよぶ巨大な岩なのだ。

              

どうしてもこれが見たかった。そして、これ以上はもう何も見ることができない。

そう、我々に時間のリミットが迫っていた。彼が見送るべき先輩は、何年もかわいがって

くれた人だという。腹が限界を超えるくらい減っていたが、お互いにそのことは、触れ

なかった。あのバナナはとっくに消化されている。それでも走り続けた。


42号線に戻った。私はアクセルを全開にしていたが60キロが限界だ。彼はそれに

あわせて走ってくれた。本当はまっすぐ北上すればいいのだが、海を見ながら帰れる

道をずっと進んだ。太陽が頭の上に来る前に白浜に差し掛かった。

二人は何もみなかったかのように、温泉の、美しい砂浜の誘惑を感じえずに、

進行方向を変えることなく前進した。



夕方というのはいつのことを指していたのだろう?それが私の心に引っかかっていた。

もう、4時だ。まだ私たちは和歌山県にいた。

信号で停まったとき、ずっと思っていたことを彼に言った。



「先行っていいで。間にあわへんやろ・・・。」彼はしばらく黙っていた後、やっと口を開いた。

「ええんか・・?」Dは何かを言いたいのだが、言葉が見つからないようだった。

「うん・・・・行って。」

「ありがとう。」そういった後、彼は思いがけないことを言った。

「握手。」普段、馬鹿をやっている仲だ。でも、旅に出るとその関係がより親密に

なる気がする。

だから人は旅に出るのだろうか?

私は彼の手を握った。


最初三人だった旅がとうとう私一人になるのだ。


とはいえこれ以上、どこかへ寄るつもりもない。



ゆっくりと彼は走り出した。おそらくは私に気をつかっているのだろう。多分、角を曲がると

全力で行くはずだ。



予想は当たった。原付でその角を曲がったとき彼の姿はなかった。



途中何度か食堂へ寄ろうかと思った。だが、一人で食べてもおいしくはない。あの、バナナの

味を口から消すのもいやだった。そしてDも何も食べずに必死で見送りに向かっているはずだ。

距離はあっても旅をともにしている感覚がそこにあった。

猛烈に長い距離を走ったが、不思議と苦痛はなかった。むしろ、旅が終わることのほうが

切なさをもって胸に迫ってきた。



旅に出て、三度目の夜を迎えるころ私は家についた。Dは間に合ったのだろうか?

それが気がかりだった。



日常の生活に戻り私たちはお互いのポジションで同じような日々を送っていた。時々はこの紀伊

半島での出来事を思い出してはいたが、それもありとあらゆる悩み(ほとんどがくだらないことだが)

に押し流されていた。

写真が出来上がっていたが、なかなかそれを渡す機会がなかった。まあいい。いつでも会えるのだ。

そう思っていた。




ところがまさにあの旅から一年がたったころ、彼からメールが来た。



東京に就職したというのだ。



別れの挨拶の余地もないくらい急な話だったという。

結局、上の写真を最後として、Dとは会っていない。

私は写真を渡せないまま今もこうしている。






前の章でバナナが一番印象に残っていると書いたが、それはやはりあっさりと撤回する。バナナは二番だ。

散々道に迷い、車にひかれかけ、つり橋で貧血を起こし、あるいは鼻血を出し、

そして限界と思ながらもそれでもなお空腹をこらえながらともに走った仲間のことが

この旅でのなにより大切な記憶なのだ。



滝はいうまでもなく、あの海は今でもとどろいているだろう。

つり橋はゆれているだろう。

潮岬のキャンプ場も何もかも変わることなくそこにある。

そして、私も、Dもまた、そうだ。

あの芝生は本州の限界点だが、私はそのまた先を、目指したい。

もっと遠くへ。



                                                


                紀伊半島 迷いの一周の目次 

     トップページ  掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送