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インドへ、そしてマザー・テレサへの道
第35回 連行されたぞ! 編
ドラマや映画ではよく見る光景の真っ只中にいる。
先を歩く私服係員。彼はこうして不正な乗車を取り締まっているのかもしれない。
薄暗い通路の脇に木でできた扉があり、その奥にもっと薄暗い部屋があった。
私たちはそこへ入れられた。中には4人のでかい男がいる。
さらにそれっぽい光景になってきた。
他に数人の同じように連行されてきた人たち・・。みんなインドの人のようだ。
不思議と怖くなかった。むしろドラマティックな展開を楽しむ変な心境だった。
「こっちへきなさい。」中央にいるデスクに一目で自分が一番偉いことを匂わせたがっているハゲがいた。おそらくこうして何年も乗りこした客を威圧してきたのだろう。
「252ルピーを出しなさい。」ハゲが言う。
「なぜですか?」
「乗り越しをしたからだ。」
「アホらしい。超過は2ルピーのはずだ。」絶対に食い下がりたくはなかった。
だが肝心なところをヒンディ語で説明してくるため、余計ややこしくなる。
すると周りの乗客が「この人たち何も知らなさそうだし、2ルピーでいいのでは。」といい始めた。
「たしかにそうだ。2ルピーにしましょう。」若い係員もこういってくれた。
おお、風向きが変わってきた。
「No! Two five two!!」
ハゲがどなった。うるせー、聞こえるよ。
このボスには誰も逆らえないみたいだ。
かくして地下鉄乗り越し罰金252ルピーを払い、我々は釈放された。
みなさんも気をつけてください。
うちに帰るとサマー君の友達が来ていた。
左からTさん、サマー君、母ちゃん、友だち君、そして俺。
23:30就寝ですぐ目が覚めたので、すぐ次の日の話!
今日は8月12日(土)。しあさってには帰るのだ。時間のたち方があまりに早い。
加速がついてきた。
午前中ダヤダンで活動をし、ボランティア仲間と街でしばしの時間を持つ。
帰り道、近所の子ども達と少しだけじゃれあう。
写真を撮るときのピースサインって万国共通なんだな。
それにしてもこの充実したときよ。
時間がとまってほしいがそうもいかず、気づけば次の日になっていた。
ふざけているのではなく、本当に早送りボタンが押された気分なのだ。
だからすぐに8月13日(日)のはなし。
ダヤダンにつくと子ども達がきれいな服を着ていた。今日はミサがあるそうだ。
ミサの声を聞きながら洗濯物を干す。
しかしミサってどんなのだろう。
私より数週間早くここでボランティアをしている千葉のYさんとこっそりみにいった。
部屋をのぞくと・・・・・、
あまりに荘厳で本格的な雰囲気。
普段は大騒ぎをしている子ども達もじっと祈っている。
うわ・・・・・のぞいてすいません。
Yさんも「軽ーい気持ちで見てしまいましたね・・・。」
この十日間で子ども達の顔と名前がずいぶん一致するようになった。
それぞれのキャラクターも実におもしろい。
それにボランティア仲間もずいぶんできた。
ご本人に連絡が取れなくて写真は掲載してないけど、台湾人の20歳の男性とは床にこぼれているおしっこが誰のかを推理しあったっけ。
日本語がペラペラの韓国の女性には食事介助のアドバイスをもらった。
みんなと別れたくないなあ。
そして日本人のボランティア仲間の一人が今日は誕生日だという。
宮城から来たNさん。
みんなでお祝いをすることに。
ホテルMARIAの屋上にて。
いいなあ、インドでの誕生会。
日本に帰ると家がなくなっていた。私は選ばずとも借家に住んでいるがなぜか「売り家」とかいてあった。
やばい、早くインドに戻ってもう一度ホームステイをしなくては。
汗びっしょりで目が覚めた。なんというわかりやすい夢。
まだ俺はインドにいる。よかった。
そんな忙しい目覚めを迎えた今日は8月14日(月)。
あと二日。これが非常に重要な気がする。最終日だとさすがに動揺するがいまはまだ「明日がある」状態なのだ。だからもっと余裕を持ちなさい、俺。などと訳の分からない説得を自分にしていた。
そしてこんな風に説得したにもかかわらず、もう夜になってしまった。
ちゃんとボランティアをし、街をうろつき、そしてたくさんの人と触れ合った。
それなのに、もう夜。
俺はこんなことをしているじゃないか!
やめなさい、俺!
荷造りをしたら明日が来てしまう。
寝る前に母ちゃんにこういわれた。
「Last night.」
言わないでください。すでに泣きそうだから。
この日付を書く時が来た。
8月15日(火)、すなわち最終日
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