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インドへ、そしてマザー・テレサへの道

                    第20回
   旅人から学ぶ編
  


日が暮れるというのは絶対的な真理であり自然現象なのだが、旅先でそれを迎えると災厄のように感じる。
ましてやここはインド亜大陸である。
昼間とまったくかわらぬこの熱い空気が恐怖感を伴って襲ってくる感じがした。

かばんから地図を出してみた。混乱して今時分がどこにいるかもわからない。
こんなとき「適当な」行動をしないほうがいい。



気づけばまたいろんな人に取り囲まれている。そりゃそうだろう。
リュックを背負った小さな日本人が地図を見つめておろおろしていたら、いやでも目立つに違いない。
でも誰も話しかけてこない。



先人達の紀行文を読むと、こんな道に迷ったときの記述に胸を躍らせていたことを悔いた。
知らないアジアの町で道に迷い途方にくれている旅人、たとえば沢木耕太郎氏の「深夜特急」を読み、
憧れを抱いていたが、それはあくまでぬくぬくとした布団の中で読んでいた時の心境なのだ。
現実に自分がその場面に身を置かれると胸が踊るはずもなく、
早くこの場から逃げ出したいという思いしかなかった。

こんなときは基本に返ろう。道に迷ったときよい子はどうするか?
群集の隙間にチラッとその人が見えた。
「あのー、○○ポリスステーションのそばまで行きたいんですけど。」
「ああ、それならこの交差点ではなく、二つ向こうのブロックまで行きなさい。どこの国から来たの?」
「日本です。」
「いい国だ。気をつけて。」

なんとも基本的なミスだったのだ。これまでオートリクシャーは場所を言えばタクシーのようにどこへでも連れて行ってくれるとおもっていたが、メインストリートだとバスのように行き先が決まっていたのである。
おまわりさんに礼を言ってその場を離れた。


狭いリクシャーに4人で乗って目的地に着いた。このとき運転がとった行動を忘れられない。
受け取った4ルピー硬貨にキスをしていた。それだけお金を大切にしているのだろう。




見覚えのある路地裏に入ったときようやくのどが渇いていることに気づき、お湯のような水を飲み干した。


時刻はまだ6:30過ぎなのに夜中のような恐怖感を抱き続けていた。
だから家族も全然私のことを心配せず、普通に母さんが話しかけてきた。

「私の母がきているのよ、紹介するわ。」
「あ、どうも。ピースケです。」
おばあちゃんはこういってくれた。「いいお名前ね。」

                    
               この私の横におられるいかにもインドな感じなのがおばあちゃん。

このあとサマー君と遊ぶ。
二人で延々と折り紙をしていた。こんなのをつくったり。

就寝は日付をこえた。
体は折れそうに疲れているのに、心が寝ることを拒んだ。

なぜなら朝が来るとそこでインド滞在予定日の半分を消化したことになるのだから。


その朝はすぐやってきた。

実は今日の夕方からバラナシへ向かって旅をする。

正真正銘のガンジス川で沐浴をするのだ。それまではダヤダンで終日ボランティアをすることにした。

時間を無駄にしたくない、悔いを残したくない、だから動き続ける。



午前中の子ども達への介助は、午後以上に困難を極める。

歯磨きをさせようとおもうのだが、「う〜、口をあけて!お願い。」

さらに体を洗ってあげるのだが、足元がぬれているため彼らをベッドまで運ぶとき転びそうになる。

理屈など役に立たない。ほとんど勘にしたがって介助をし続けた。





ここで旅の先輩とも言うべき日本人ボランティアにお会いした。

神奈川県のMさんは二年ぶりのインドらしい。再びこの地を踏んだそうだ。

もう一人は埼玉県のYさんはあと1年半は旅を続けるそうだ。

実際におられるというのは分かっているのだが、こうやって何度もインドに訪れたり

長期に旅をするバックパッカーをはじめてみた。

お二人に、言葉では表せぬ畏敬の念がわいてくる。

自分も学生時代にそうすればよかったというタイミングをなくした社会人なら誰もが感じるであろう、

悲しいお決まりの悔恨とセットに。


その旅の先輩との写真。

中央がYさん、右がMさん。あと、後ろに写っているのは・・・・・誰だ?





お二人について昼食をとりに出る。途中いろんなアドバイスをいただいた。

今日、長距離列車でガンジス川へ向かうというと、

Yさん曰く「荷物を鎖でつないでくださいよ。でも紐を切られて持って行かれたりもしますけどね。」

わわわ。


日本から来たバックパッカーには定番の昼食場所、サダルストリートに着いた。

今私がいるコルコタはかつて
「宇宙一邪悪な場所」とイギリス将軍によって表現され、

ラージブ・ガンジーにいたっては
「死に瀕した都市」と呼んだ場所である。

要はめちゃくちゃ言われてる場所なのだ。

そのコルコタの市民がこともあろう「サダルが一番汚い」とさらに言った場所がここなのだ。


その宇宙一悲惨な通りに私はいる。

昼食は屋外で作っているこの店で食べた。



ビビンバである。
     
                                 値段はこれ↑わずか22ルピーだ。
七日目で初めて食べる屋台の味であった。

考えれば屋台で食事をするとはおもってもいなかった。

実は日本にいるときですら屋台には抵抗があった。だって埃とかついてそうやし・・。

でも、今ならこの黒い粉塵舞う道の薄汚れた屋台がなぜか愛おしかった。

もっと知りたい、もっと見たい、もっと食べたい、そしてもっと会いたい。

あと7日しかないのだ。


    

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