インド、そしてマザー・テレサへの道
第8回 ヒッチハイク編
さっきから、子どもたちがなにかのゼスチャーをしてくる。
手に字を書く動作だ。一緒に写真を撮った子がみんなしてくる。
字を書く動作?
日本語で何を書けというのか・・・・・・・?
そうか!!
あの子たちは
俺の
サインを欲しがっている!!
まいったなあ・・。ふっふっふー。
まあ、あなたの想像通り彼らの要求はそんなものではなかったのだが、調子に乗った私は本当にサインを書いて彼らに手渡した。
「大切にしろよ・・。」そう言いながら・・。
「△●☆※!!!」ヒンディー語でなんか言ってる。
もちろん・・・・・・・・・・・
「うわあ、僕、こんなの欲しかったんだ〜。」
などといっているはずがない。
どうして日本人を見ると、そんなに金ばかりを要求するのだろう。
男も、女も、そして子どもたちも。
物乞いを受容するのが正しいとは思えない、改めてそう思った。
少しばかり疲れてきた。
そんな私の前をたくさんのヤギさんが横切った。
何気なくシャッターを押した。道路をヤギが歩く光景など日本では見られない。
かわいいなあ・・。
家のすぐそばで水を買った。
コラム
インドにはあちこちに水屋さんがある。
1リットル12ルピー。2リットルボトルだと20ルピー。
生水はやはり飲まないほうがいい。
歯磨きもミネラルで行うべきだとアドバイスを受けそのとおりにした。
そして帰宅。
サマー君と、ベッドの上で、昨夜はあわただしくてできなかったいろんな話をした。日本の写真も見せた。
いつか、日本へ行きたいと彼は言う。
いつでもおいで。うちに泊まってください。約束します。
でも君が思っているような「素敵な」国だろうか?それは約束できないよ。
「しかし腹減ったな・・。」こうつぶやいた私に、彼はこう答えた。
「インドでは夕食は10時ぐらいだよ。」
マジ?
それでも私への配慮だろう、9時に晩御飯の時間。
味付けはもちろんアレである。
註: この写真をみて食事の量が少ないと思った方へ。
正解である。
私が小食であることを見抜いたお母さんの配慮でこれぐらいの量ででてきた。
お母さんによると、「他のホームステイの日本人にはあなたの倍は出す」そうである。
「おかあさん、ピースケね、8時ごろから『腹減った』って言ってたよ。」サマーがばらしてくれた。
「ごめんね、明日から早くするわ。」
「いえ、みなさんにあわせますよ。全然平気です。」 うそをついた。
母ちゃんは私と食事をすることはなかったが、息子のサマーは一緒に食べていた。
だが、彼の食事の内容が私のとは違っている。
「この子は昔からチキンもマトンも食べないのよ。野菜ばっかり。ピースケ、言ってやって。」
「なんで食べないの・・?」
「あのさ、食べられるか?あのかわいい鶏たちやヤギたちを。」
確かに私にもそんな時期があった。
そうか、彼は鶏もヤギも食べられないのか・・・。
まてよ?ヤギ?
うわ、あのヤギたちも・・・・・・・・・?(←再掲)
食事を頂き、ミネラルウォーターで歯を磨いた私は10時過ぎに就寝。
明日はマザー・ハウスに6時からのミサを経験するのだ。
おそらくは5時前にはおきないといけないだろう。
そんな時間にバスやタクシーは走っているだろうか??
ちょっぴり不安がよぎる。
そして窓の外からは昼間のごとき喧騒がきこえてくる。
だけどすぐに寝付いた。体がインドに慣れてきている。
4日目・・・。
4時40分にお母さんが起こしくれる。
うわ、あなたはいつ寝ているのですか?マザー・ハウスで朝食をいただけるので、その旨を昨夜伝えておいた。
したがってチャイとクッキーのみを出してくれた。
このチャイ、本当においしい。
ゆっくりゆっくり頂いていた。
赤道直下といえど5時前はまだ真っ暗だ。そんな中でお母さんは私が支度をするのをじっと待ってくれている。
わ、急ごう。
お母さんと一緒に表へ出た。さすがにあのエネルギッシュな町も静かだろう。
とんでもない。物乞いには朝も昼もない。生きるための営みをすでに始めていた。
そして、私も偶然通りかかるオートリクシャーやタクシーを待っていた。
おらん。
通らない。
不意に一台の車が停まった。私たちの前に。タクシーでもなんでもなく、個人の車だ。
お母さんがなにやら話している。
乗れという。
お母さんの知り合いですか?
違うの?
え?ヒッチハイク・・・・・・?
日本でもしたことのないヒッチハイクを、
このデンジャラスなコルコタですることになってしまった。
お母さんは笑顔で手を振っている。
おれ・・・・・、どうなるんやろ?
←車の中をこっそり撮影。
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