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インド、そしてマザー・テレサへの道

                第6回
  コルコタの路上パニック編
  
                                                   
カレーライス・・・そんな生易しいものではない。
もっとスパイシーで、もっと熱くて、もっと臭気がきつい。そしてインディーな感じがするのだ。
そしてそのインディーな黄色の物体は、すべての食材(水を除く)を包み込み、夕食のすべてを支配していた。
この国を統治しているのは、元首ではなくカレースパイスかもしれない。
どうして野菜も肉も豆も全部同じ味付けにするのだろう。

でも、僕たちも食事のほとんどにしょうゆをかけている。




床での食事を終えた。
この家には食卓はなかった。貧しいからないのではなく、文化として置いていないのだ。

そしてこんな小さな事象にも私の潔癖症が顔を出していた。
うー、食いにくい。お皿を直接床に置いて食事するなんて〜。

悩む私の視界には巨大なヤモリが(あるいはヤモリに似た生き物。インドにヤモリがいるのかどうか知らない。)、家の壁をじりじりと這っていた。




食事が終わってから、この家の一人息子、サマー君(仮名)に日本のお土産をプレゼントした。
とはいうものの、事前に何をあげていいか分からず、なんとなくこれを買っていった。

が、息子は勉強をし、母ちゃんが熱心にやっておられた。
←あなたはこのおもちゃが何かお分かりだろうか。

そして息子はこうしている。
(本人に「俺の写真は公共の場所に出すな」とくれぐれも言われているので、小さな写真にしました。)



家族が就寝準備をし始めた。
考えれば俺、50時間ぐらい寝てなかった。
だから自室にすぐ入った。
それでもまだまだ興奮が残っている。すでに午後11時過ぎ。

ものすごい大音量のテレビがきこえてくる。
人の話し声もまた大音量である。
マックスボリュームの犬のほえ声も。

うるさいけど全部愛すべきユーラシア大陸の大国のひとつの姿である。






気づけば朝になっていた。さすがに三日の徹夜はできなかった。したくもないし。


さてと早くもインド3日目じゃんか。
いつの間にそんな時間がたったのだろう。
木曜日はマザー・テレサの施設はボランティアを受け入れていない。


よって今日はコルコタの街をうろつく。


最初はインドって・・・・・・・



ほら・・・・・・・・・


こうなんともうしましょうか


言いにくいのだが・・・・・・・



「ぶっちゃけすべてが汚い」と思っていた。

はっきりいって。







でも、一歩建物の中に入ったり、一対の門扉をくぐったとき、
そこには日本とは比べ物にならないぐらいの清潔で「豪華絢爛な世界」もまた存在していた。


そしてその日はそんな「豪華絢爛」を数多く見た。
←こんなキラキラしたんとか。(写真にカーソルをのせてみてください。)


はたまたこんなのとか。





でも、だ。

インドから帰って2ヶ月がたつが、

この「豪華絢爛」を思い出したことは一度もない。




記憶に新しいのは、こんな街角であり、                                                     

写真を撮っている私をじっと見つめているおじいちゃんの↑視線なのだ。


                             写真右側を拡大↓
              
             裸足のおじいちゃんはここへ座って何をしているのだろう。
                           一人は掃除をしている。



インドにはこんな人たちが数億いる。路上に。




小さな通りや大きな街角をいくつも歩いた。
私が好きなのはこんな露天商だ。
どの露天商も、みんなやる気が全然ない。そこが自然体でどうにも好きなのだ。

       


インドのお祭りの人形を作っている裏道へと入っていった。



街のあちこちに像の制作所がある。人々は魂をこめてその像を作っていた。

        


私はその作品とその作者を見て、「普通に」きれいだな、すごいな、えらいな、と思っていた。

その思いは、一人の少年を見たときに頂点となった。
14歳くらいだろうか。彼は路上で一心に像を作っていた。
その作品は未完成だけどえもいわれぬ強さを持っていた。

そして、私は彼を「すごい人」だと思った。

少年なのに真剣に働いているではないか。










                    でも・・・。








11日後日本に帰ったとき、空港で家族とはしゃぐ中学生ぐらいの(もちろん日本人の)男の子の姿がふと目に入った。
この子はこうして楽しく遊んでいるのに、インドの路上の彼は今でも必死で働いているだろう。




日本の子は遊んでいるのに、





インドのたくさんの子どもたちは





「労働者」として、存在している。









私は




14歳のとき




「労働者」に




なりたかっただろうか。












子どもは遊んでこそ幸せである。



国が違うといえばそれまでだが、あそこで手を汚して働いていた子は


       
「遊ぶ笑顔」


を人生で得たことがあるのだろうか。




もちろん、いろんな背景・事情があるだろうし一概に幸不幸を論ずることもできないだろうが、
私の未熟な私見がその部分にこだわっていた。








その少年の写真を掲載して次の回に移る。
               
   この眼を忘れるものか。


こんな解決できない疑問に悩む私を、もっと大きな疑問が襲い掛かってくることになる。

                                           



     

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