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インド、そしてマザー・テレサへの道

                第5回
  マザー・ハウス編
  




こうして・・・・・・・・・・・





数千キロを飛んで





あなたのところへきた。




マザー・テレサ


あなたのことを知ったのはいつのことだったろう。


どうしても思い出せない。

気付けばアンケートの「尊敬する人」の項目に、ずっと「マザー・テレサ」と書き続けていた。





インドへ行くと決意してから、私はマザーハウスで何かを学び、自分を変えようと思った時もあった。
が、私に与えられた時間は2週間だ、たったの。



だから言い切ってもいい。






私は何も学べない。



インドでは私は何もかわることはできまい。






でも、それでもいいのだ。
学べなくとも、マザーハウスへ行ったという事実だけでも、私の短い人生に残したかった。




そして、そのマザーハウスが目の前にある。
   

一礼をして建物の中に入った。インドでもお辞儀ってするんだろうか。



テレビでしかみたことのなかった女性が、
生涯をマザーハウスで送ることを決意したシスターたちが、
当たり前に活動をしている。
無意識に背筋が伸びている。この人たちを見て。

ここでボランティア登録をさせてもらうのだ。
世界中からボランティアを志願するたくさんの若者が集まってきている。


Kさんというそのボランティア担当のシスターの前に座るだけで、










もうすでに




俺の心がきれいになった







気がする。









んな、わけないんだけど。









「こんにちは、ピースケさん。」
そのKシスターは日本語で私に挨拶をしてくれた。
ボランティアを登録した者は、ちいさなメダルと登録書がもらえる。

                

隣の部屋は資料室と、マザーのお墓があるのだ。
ヒゲもじゃのヨーロッパ系の兄ちゃんが墓石に寄りかかるようにして祈っている。
その横にはおばあさんが、ひざまずいて祈っている。
これまでの私の人生で見ることのなかった光景と世界。
たくさんの人がいるんだけど、とても静か。
私の生きてきた中で最も透明な空気が流れている。そんな空間に今、私はいる。


すぐそばには資料室があり、ここにも世界中から若者が集まってきていた。                                


最も心が奪われたのはこれである。
                  
マザーが生前使っていた机と椅子。そして肖像画。
一度でいいから、マザーが生きているうちに会いたかったと思う。
         



ハウスを出た。
大通りでちいさな男の子に付きまとわれた。理由はいうまでもない。


すっげえつらいシチュエーション。

マザーハウスで心を浄した直後にちいさな男の子から物乞いの礼を受けたのだ。
結局は何も施すことはしなかった。それより、その坊やのズボンが新品なのを私は見逃せなかった。

これがインドなのだろうか。



インドの道はどこを撮っても、裕福とは思えない人たちでごったがえす構図になる。

こんな道を通ってまたホストファミリーの元へ帰った。


ちなみに下の写真は、水滴が写っているのではない。
あまりの量のほこりが舞い狂っており、フラッシュをたくとどうしてもそれが反射してしまうのだ。
                      




どこへ行っても、こんな風に、家なのか店なのか、それとも廃屋なのかわからない建物がひしめき合い、
その隙間という隙間に人がいる。


路駐を取り締まる法律はインドには絶対にない
と決め付けたくなる車の列の間には、
なぜかリヤカー大きな顔をして居座っていた。
コルコタ中そうなのだ。


上の路地のすぐそばに私のホストファミリーがあった。
今日の晩ご飯は何だろう?






決まっている。








アレだ。
                       

                                    


    

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