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 みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 
                    
2004年夏編 第1回

これは昨年夏の遍路の物語である。そして今は2005年7月。あと数日で私は最後の遍路へ旅立つ。今回は実況をしながらの旅となるため、一年前のものが未公開では、なんとなく居住まいが悪く感じた。そこで、超特急で執筆し即公開することにする。
したがって、今回は文は大変に簡潔明瞭にして短い!


・・・・・・・・・といいのだが。





2004年8月6日金曜日。

夜9時。私は長距離高速バスの中にいる。見覚えのある大阪の景色も、旅に出るときは自分を祝福してくれてる気がする。あのパチンコ屋のネオンも、不可思議なホテルのネオンも、みんな僕への賞賛だ。能天気でよい。こんな心境、旅のときでないと味わえないのだから。


11:30ごろに眠りについた。目が覚めたときは、思いで多きあの高知県中村駅のはずだ。春の遍路と今がそこで結びつくのだ。


遠のいていく意識の中で「忘れ物はなかったかな?」という不安がよぎった。なんせ当日の昼に必死で準備したのだ。
でも、いい。いつものことだ。



2004年8月7日土曜日。
お盆前の週末だ。世間は休みだ。
早朝6:40に中村駅着。
あの時と同じだ。四万十川へ向かう途中に、特攻帰りのおじいさんとであった「サンリバー」の前もとおる。
あの時の遍路は人恋しさに心震わせていた。今回もやっぱり俺は淋しい思いをするんだろうかと目の前の遍路道に問いかけてみた。答えは絶対にNoだ。
やわらかい心があれば、全てが出会いと思える、感謝の意がうまれる、と前回の遍路で学んだはずだ。
そう「全てが出会い」これが今回の合言葉なのだ。
だから、淋しがるなよ、俺。


そう思う私の前を一匹の犬が歩いていた。


中村駅を出て県道につくまでの間、自転車に乗った中学生が「こんにちは」「こんにちは」と挨拶をしてくれる。本当にみんなが挨拶をしてくれるのだ。おそらくは幼い頃から家族と共にこの道を歩きながら、通るお遍路さんに挨拶をする習慣が身についているのだろう。中村市の中学校が大好きになった。
犬も、中学生も、この道も全てが大好きだった。
ただ、ひとつだけ好きになれないものがある。





この頭上のである。




!?



失礼。



こちらである。




       

暑すぎるのだ。あるきだして2時間でスポーツドリンクを3本も買ってしまった。この調子で何日も歩いたらどうなるのだろう?
あとで分かったことだが2004年の夏は記録的な猛暑だった。
あまりの暑さにしゃがみこんで撮影。

しばらく行くと、こんな文字が見えた。標識好きの血が騒ぎ出し、思わず撮影。
             
一部分をアップにするとこうなる。
      

足摺岬だ。札所間の距離が120キロと最も長い、37番と38番。その到達点が足摺岬である。




眼前にはすてきな田園風景が広がりはじめた。春に見たときは植えたばかりの弱々しかった稲が、今は命の勢いを主張していた。



だが美しいはずの風景も延々と続くと、歩くものにとっては辛い存在となる。歩いても歩いても景色が変わらない。

     
        あ・き・た!!

歩き出して4時間。

                     
すでに肌が焼けたのを実感する。もともと死ぬほど色白なのだ。

前方に川が見えてきた。しばらく遠ざかっていた四万十川が海へとかわる直前の最後の瞬間を私に見せてくれていた。



いつしか山道に入った。日陰を求めて道の左右をその都度選択して歩いた。左から潮のにおいがする。
いつもの道、つまりは右手には山、左手には海が見える典型的な四国の道が現れた。




遍路道は海岸線へと導かれる。大岐浜海岸だ。

砂浜がそのまま遍路道だとガイドブックには書いてある。
面白い!絶対に歩きたい。
意気揚々と海岸に下りる。




















絶句・・・・・・・・・・・・・・。
なに、これ?




死ぬほど不愉快じゃないか!!

                         暑苦しい色のまま  つづく


          

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