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 みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 
                        2004年春編 最終回の一つ前の回










6時きっかりに目が覚めた。外からは雨の音が響いてくる。
「ダー!」・・・・・これは雨の音だろう。だが、この
「ドドドドド!」っていうのは・・・?まさか、波が堤防に当たっているのでは?だとしたらかなり怖いじゃないか・・。

予想通りのメニューの朝食を頂きこれぞ朝食の王道!
会計をしようとした。
あれ?事務所におばちゃん、おらへん・・。あちこちを探し回っているうちに迷ってしまった。外から見ると普通の民家だが、かなり広いようだ。ようやく一番奥の厨房でおばちゃんを探し当てお金を払う。

外にでた。       
地面にあたる雨の水しぶきが踊り、海が轟いている。予想通りだ。
左の海から「パーン!パーン!」という音が聞こえてくる。いったい波がどこに当たってこんな怖い音を立てるのだろう。いたそうだ。

土佐西南大規模公園にはいる。大阪人には想像できない規模を持つ名前のとおりの公園である。高知はやはり土地があるのだろう。
周囲には誰もいない。海岸沿いにはサーファーがたくさんいたのに。遠くの海岸からは依然としてドドドドドという不気味なうなり声が聞こえてくる。頭上には今回の遍路で私をずっと威嚇してきた灰色の空がいる。その下をたった一人、旅人が歩いている。
大きなリュックを背負い、何かを考えながら歩いている哀れな人間を、空の上から誰かが見つめている。小さな人間を巨大な顔が天空から怒りに満ちた表情でじっと見つめている。



雨が小降りになってきた。
「ええなあ。」心がふっとゆるんだ。きれいな並木道だ。レジャーできていたなら、気にも留めないであろう、その光景に私の心がぬくもった。
        


また海に出た。
不意にまたゆずが恋しくなって音楽を聴き始めた。境界線が流れてきた。

海が見えます ここから綺麗な海が見えます
昨日の揉め事いつかのいざこざの遠眼鏡で

ずっと沖の貨物船まで 向こうの工場の煙まで
全てを霞ませて 全てを見透かして
僕のため息は大きな雲になった



これは映画 「十五才 学校W」の挿入歌だ。
不登校の少年が一人屋久島を目指してヒッチハイクで旅立つ話だ。たくさんの人と出会い、いろんなことを学びながら縄文杉に会いにゆく。
私が最も好きなのは丹波哲郎さん扮する戦争帰りの老人とのエピソードだ。屋久島に住むその老人の家にひょんなことから世話になるが、急に具合の悪くなったそのおじいさんを少年は必死で世話をする。そして・・・・・・

あまり書くとこれからごらんになる方の邪魔になるのでこの辺でおいておく。がいい映画だ。
大介少年はいろんな人と出会い、多くを学んで旅を終えた。じゃあ、ピースケはどうなんだろう?
俺、何にも学んでない・・・。

ゆずの歌声はまだ続いていた。

境界線は今はまだ遠くぼんやりと霞んでる
そこは誰にも気付かれないこの道の分岐点の向こう
境界線を追い越す時それは多分きっと 新しい僕との出逢い



俺の境界線もまだ遠いけど、いつかはたどり着けるのかな?
この曲を聴きながら私はある決意を固めていた。

海の轟きはおさまってきた。
でもものすごい色をしている。もっと優しい色になってほしい。旅人を慰めるのはこんな色ではないはずだ。


公園をでた。雨がやんでいる。カッパを脱ぐために田野浦と言うところの休憩所で荷物をおろした。男女二人連れのお遍路さんが私に続いてやってきた。久しぶりの仲間だ。お名前は聞かなかったが、大阪の遍路だという。20代後半から30代前半のようだ。ご夫婦だろうか。歩いて野宿をしながら通し打ち20日目でここまで来たそうな。
「歩きとおすまでは絶対にやめたくないんですよね。」男性の方のお遍路さんが言った。
さらにおっちゃんのお遍路さんもやってきた。一度に三人もの遍路と時を同じくするのはこの旅初めてだ。(団体さんをのぞく)。
うれしくなって、このHPのURLを書いた納札を三人にお渡しした。
私が一番最初に出発した。
「あの、これも何かのご縁ですから、ぜひHPも見てくださいね。」
「必ず見ますよ。掲示板にも書き込みます。ピースケさん、お気をつけて。」

その後三人の方は来てくれていないのだろうか、書き込みは一度もない。それとも来てみたものの、面白くなくて去ってゆかれたのだろうか。




道は上りになっていく。海沿いなのに山道だ。そしてとうとう見たくない文字と遭遇した。
5月4日9:57 中村市突入
なぜなら、中村市で私の今回の旅は終わるからだ。正確には中村駅にたどり着いたときに、遍路ではなくなる。
それはいつのことか。決まっている。今夜だ。
短い春のGWは旅人を待ってくれない。


道はやがて下りだした。眼下に住宅地が見える。あそこにはこの旅最後の楽しみがある。四万十川を渡る、一人100円の渡し舟だ。歩き遍路ではあるが、こうした川を渡る舟にはぜひ乗ってみたいのだ。
  

四万十川に出た。が、乗り場はどこだろう?誰かに聞きたくても、人通りがまったくない。
ようやく見つけた渡し場は田舎ののバス停よりもさらに目立たないものだった。
    
でも「渡し場」と書いた標識の下にはしっかりと遍路道の案内もある。ここも遍路道なのだ。
そして舟はすでに停泊していた。


一台の車が停まった。なかから一人のおっちゃんが降りてきた。「こんちは!」この人が船頭さんなのだろう。さらに先ほどであったお遍路のおっちゃんもやってきた。今日の乗客は2人のようだ。
「雨が降ってきたらこん中入りよ。」船頭さんが教えてくれた。
入るといったって、小さい私でも頭をぶつけそうな船倉である。でも、心遣いがうれしかった。

舟はすべるように進みだした。乗り場を離れてゆく・・・。




揺れてはいるが、それもまたうれしい。おっちゃんに頼んで写真を撮ってもらった。私の背後には料金箱がある。いいなあ、こういうのも。
     

見る見るうちに今までたっていたところが離れ、対岸が近くなってきた。
    

やがて着岸。上り口には堤防も何もなく、ただアスファルトで大雑把に固められた塊があった。
ここでつまらないことがおきた。
おっちゃん遍路はすいすいと登ったのに、
私は岩に足をかけた瞬間に思いっきり滑って川に落ちそうになったのだ。雨で足場がヌルヌルだった。かろうじて体制を整え岸に上ったとき、背中のリュックの重さが倍に感じた。私を川へ落とそうとした犯人は背後のこいつだろう。
おっちゃん遍路は心配そうにこちらを見てくれていたが、やがて傍らのトイレへ消えた。舟も元の場所に戻っていった。私は一人残された。
                           

横に四万十川の見える道をすすんだ。向かう先は中村駅だ。そしていよいよ旅の終わりを告げる決定的な物を見つけた。遍路看板は左をさしている。だが、私の行くべき駅はまっすぐだ。

前述では中村駅に着いたとき、私の遍路は終わると書いた。だが、違うな、そう思った。遍路道を外れた瞬間に自分の中では区切りがついていた。
「もう、僕はお遍路さんではない。」声に出して言ってみた。
「お遍路さんではない」なんと悲しい言葉だろう。
でもこれでいいのだ。
どこかで自分の立場を切り捨てねばならない時が人生にはある。いまがそのときなのだ。


歩いた。駅を目指して。

四万十川に一度だけ下りてみた。ここが数日前にかんちゃんと遊んだ川なのか。同じ水なのに、ずっと冷たく感じる。あの時は二人で入った四万十川。でも今は、入ろうとは思わない。



中村駅には3時半に着いた。バスは8時40分に発車なのだ。5時間も何をすればいいのか。
ところが運命は私をほってはおかなかった。遍路ピースケではなくなっても、旅人ピースケはまだ健在だった。
                                   だから、つづく

            
          

                                

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