みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
2004年春編 第7回
ふと、家出をした迷い犬になった気がした。自由を求めて旅立ったのに、なぜか前へ進めない。私の前には新しい道があるのに、進むことが出来ないのだ。
雨足はさらに強くなる。アスファルトにあたる水しぶきが、私を威嚇するように声を上げている。
その音をかき消したくて、リュックからウォークマンをだした。i pod miniなどがでる一年前の旅の日である。
ゆずのくず星が聞こえてきた。
「僕は初めて孤独の怖さをかみ締めた。
ああ、それでも人は出会いを求め、別れに涙して、続く、どこまでも探し歩いてく、これからも。ずっと。
たとえ弱くはかない小さなくず星でも。」
胸に何かが突き刺さった感じがした。
俺って・・、今の俺は「くず星」だろう。
毎日の生活に苦しみ、そこから逃げるために旅に出たのに、孤独を感じ、そして雨におびえる小さな存在なのだ。そんな俺にも誰かを求めて、歩き探し続けることが出来るのだ。
今、目の前に道があるのだから。
そう思うと、こうして座っているのがもったいない気がした。
「歩こう。」
今の私の前にも後ろにも旅人はいない。ただ目に見える人はいなくとも、これまでにもここを苦しみながら通った人はいるはずだ。そして私の後にも続く人がいるに違いない。いつかどこかでそんな人と出会えるだろう。そう思いながら、私は雨の道を歩き続けた。
途中の温泉で休憩する。濃度の濃い良い泉質のようだ。中には旅人らしき人ばかりがいる。脱衣所で気付いたのだが、ほとんどの人が皮の長袖に身を包んでいる。これはバイク乗りである証明だ。私のように巨大なリュックを背負っている、歩き旅人の姿など、ない。
温泉を出るときに、一つの期待をしたが予想通り裏切られた。
ものすごい土砂降りだった。天が狂ったようだった。
やがて上りに入った。向こうのほうに道路標識が見える。歩き旅を続けるうちにすっかり標識が好きになってしまった。町堺をあらわす看板だといいな。
近くまでいくとこんな文字があった。
周りは深山である。そんなところにも駅はあるのだ。考え込む私の前を乳母車をおしたおばあさんが道路を横切り、細道へ消えていった。駅へ行くのだろうか。
なぜか一度も見ぬ荷稲駅のことがたまらなく好きになった。
でもやっぱり町堺をあらわす標識の方がいいな。励みになるし。
そう思う私の前にまた看板が見えてきた。今度こそ、かな。
今回の旅の終着点がそこには記されていた。限られた日数で進める距離など、33キロほどでしかないのか。
トンネルを一つ抜けた。四国を歩いていて、もっとも目にすることの多い景色がそこにあった。右側に見える深山と清流。
あるいはガードレール、平坦で狭苦しい歩道。眼前を覆う山並み。
はるか下に見える単線。
四国の旅路をすべて凝縮している道のりだった。
だが、ひとつ欠けているものがあった。
人である。志を同じくする旅人である。
時折バイクに乗った人とすれ違う。でも、誰も、誰も挨拶を交わしてくれない。その理由はなぜなのか、私には分からない。
そんなことを考えているとき、
「がんばれー!」
背後から音がしたかと思うと、一台の自転車が私を追い抜いていった。おそらくは坊主頭の青年だった。後ろ手に手を振ってくれた。彼も旅人なのだろう。
実に粋ではないか。彼はおそらくは四国を自転車で旅しながら、追い抜かす旅人へ声をかけているのだろう。
実に単純な発想だが、
私はその人のことがいっぺんに好きになった。
もう一度会いたいと思った。
この先どこかで、例えば宿辺りで彼に会えるかなとも思った。
2004年5月3日、下りの坂道で赤いカッパを着た遍路に声をかけてくださった方、私はあなたに感謝しています。声をかけてくれてありがとう。あなたが私を追い抜いたのは下の写真の場所でした。
考えれば、今回の旅は、駅を好きになり、追い抜いた顔も知らぬ人を好きになり、看板までを好きになっている。
孤独なはずなのに。
腹が減ってきた。雨が降っていても当たり前だが腹は減る。この先に佐賀町の集落がある。食堂くらいはあるだろう。地図を見ると、趣のありそうな遍路道を進めそうだ。国道は雨の日は特に辛いのだ。
佐賀町に入った。この看板なども大好きだ。あと少しで、国道とオサラバできる。
地図によると国道脇に側道があるようだ。嬉々として進む。車が私に泥水をぶちかけてくる道はどうしてもしんどいのだ。
そしてそこには、辛いときにはさらに辛いことが重なるのだという典型のような看板があった。
達筆やなあ・・・。にゃはは。この看板も好きにならないといけないのかな?
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