みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
2004年春編 第6回
足摺岬へ向かいながら考えた。
「毎朝、知らない街、見知らぬ道を歩けることに旅の喜びがあるのだ」と。それに気付いたとき、すでに行程の半分近くを消化していた。もったいないことをした。
お寺を出てすぐ右に曲がる。白い服を着た仲間が前後に数組ずついらっしゃる。みんな二人一組となっている。私だけが一人一組だ。
やがて国道に出た。また右に曲がりねっとりとした上り坂を見る。道行く人は皆無言で歩く。空からはこれまたねっとりと雨が降っている。五月の癖に大粒の雨がべちゃべちゃと音を立てている。これでもやっぱり五月雨というのだろうか。
生理的に気持ちが悪い。
上からは「ざあああ」、道は「べちょべちょ」、そして靴の中からは「じゅるじゅる」と音がする。
「ざあべちょじゅる」だ。
今回もまた絶望とも思われる雨が降り続き、38番札所は遍路道中最長の85キロ先だ。だがこんな状況でも私の奥底からにじみ出る力のようなものがあった。足摺岬まで歩くという目標があった。
古からの遍路がみんなそうだったように、私もまた歩き続けるのだ。先人たちは餓えや空腹、病気とも闘いながら歩いたことだろう。今はアスファルトで固められた道の下には幾万もの足跡があるに違いない。私はその一番最後に新しい足跡を残しながらいくのだ。
それ自体が喜びである。
56号線をずっとゆくのではなく、途中から遍路道は元焼却場の敷地内にはいるらしい。そして「かなりきれいな山道をゆける」と手持ちの本には書いてあった。
それはどこだろう。出発前から楽しみにしているのだぞ。
それにこの国道は正直歩きにくいんだよな。歩道が狭いし、嫌がらせのように大型のダンプばかりがとおる。その巨体は当然の結果を私に浴びせてくれる。
まだかな・・?
ずっと国道ばかりが続く・・。
歩いていて楽しいのは、以前にも書いたが町境や国境を実感できることだ。今日もまた私を元気付けてくれる知らない街が現れた。
歩き旅人にとっていかに劣悪な道かがこの写真からも分かるだろうか。歩道は狭いというか、ほとんどないに等しい。むしろ歩道が水の道となっている。ほら、前からまたダンプが来た!
それでも頭上には、旅情を与えてくれる文字がある。
標識に感謝しつつ・・・・高知県佐賀町へ突入!
しかし、さっきから探している「かなりきれいな山道」は完全に見失ったようだ。かわりに「あまりきれいでない国道」が相変わらず私を導いている。
つまり・・・・・・である。
(↑まだ生きていた!)
それでも、だ。この緑の濃さよ。道は幾重にもカーブをしている。そして山の切れ目からは数十分後に自分が通る道が見える。四国にはこんな道がいくつもある。目に映るもの全てが素晴らしい。
私たち遍路は決められた遍路道だけを歩いているのではない。縦横にある国道や山道、田んぼのあぜ道を自分で選びながら進んでいる。もちろん遍路シールの貼ってある道を行くことが大半だが、それでもわざと道を外れることもまた楽しい。
坂の途中から私は寄り道をした。
雨はいつしかやんでいる。
地上に生きるものにもうすぐ日の光が贈られることだろう。
田植えの終わった水田は今は雨をたたえて、それぞれが美しい池にも見えた。
今は小さなこの苗が、夏に再び訪れる頃にはもう背を伸ばし、頭をたれ始めるのだろう。
「地上に生きるものにもうすぐ日の光が贈られることだろう。」とさっき書いた・・。
残念ながら贈られたのはこんな音だった。
絶対、なめてる。絶対!
道路は再びべチョべチョ言い出した。ダンプはさらに調子に乗って私に泥水をあびせてくる。
それにこの「ざあ!べちょっ、じゅる〜、
ざあ!べちょっ、じゅるる〜、
ざあ!べちょっ、じゅるる〜、
ざあ!べちょっ、じゅるる〜」
は究極に不快である。
前方にバス停が見える。全然疲れていなかったが、休憩してやる!文句あるか?え?!
←本気で切れている顔
いやあ、このバス停も田舎らしくていいなあ・・。これもまた人生なのだ。
な〜んて思えるか〜!
それにしても足摺岬まであとどれくらいじゃ!?
ざあ!べちょっ、じゅる〜、ざあ!べちょっ、じゅるる〜、ざあ!べちょっ、じゅるる〜、ざあ!べちょっ、じゅるる〜、ざあ!べちょっ、じゅるる〜・・。
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