みんな、ありがとう 普段着お遍路の記 2003年 冬編 
                  感動の
最終回の次の回

いろんな理由は交錯していたが、ここで旅を終えることを決意したのは、
「もう歩きたくない」というのが最も大きい。
だから、もういいのだ。もういい・・。
四国の風景にも飽きた。とても飽きた。

                                 でも心のどこかで悲しみが、ひっそりと、だが確かな存在感で湧き出してきた。小さな駅舎で一人列車を待つ。元旦の朝から駅にいる人など、いまい。
次の旅はこの安和駅からリ・スタートであろう。室戸岬が夏から俺を待っていてくれたように、安和駅も私を待っていてほしい。




列車の中では何をしていいかが分からなかった。乗り物が私の生活から排除されていた。ただ何もせずに座るというのはなんと不思議なことなのだろう。

前回「感動の最終回」などと銘打ったくせに、なぜかいま、こうして話をつづけているのは、実はどうしてもいきたい所が私にはあったからだ。
高知駅に到着後、再び私は歩き出した。
数分の後、目指す箇所についた。
       
         2004年1月1日 12時30分 30番霊場 安楽寺 

おや、たしか30番札所は善楽寺で、すでにいったのではないかとお思いだろう。実は30番札所は二つある。詳しくは私もよく知らないのだが、いんぐりもんぐりした事情で、二つの札所が30番札所を名乗っていた。結局この安楽寺は奥の院ということで決着がついた「らしい」。
だが、私にとっては30番札所はこの安楽寺である。

なぜなら・・・・・・、
実は何年か前、この地を放浪した経験がある。その時は遍路の存在すら知らない、別の種類の旅人だった。夜、泊る所がなく途方にくれていた。見るとお寺がある。その軒下にでも寝かせてもらおう、そう思い夜遅くに住職さんのお住まいをノックした。
「どうした?」なかから丸顔の大柄な住職さんが出てきた。
「あの、今日ここまでたどり着いたんですけど、テント張るような場所もないので境内で野宿をさせてもらえませんか。」
「寝袋はあるの?」
「あ、はい。」
「じゃあ、こっちへ来なさい。この畳の部屋で今夜は寝ていいからね。」
住職さんは見ず知らずの私に一つの小さな部屋を与えてくださった。その夜は、信じられない思いだった。こんなに親切な人がいるのか。四国とはそんな土地なのか。
朝、住職さんが忙しそうだったので十分にお礼が言えずに、その寺を出てしまった。
だから、必ずお礼をちゃんと言いにこよう。



その誓いが、遍路となってようやく果たせる。
納経所にはその住職さんはいなかった。若い僧侶に聞くと元日だから忙しいという。
「そうですか、じゃあ、大阪のピースケがありがとうといっていたとお伝えください。」                      
これまでで最も丁寧にお参りをした。

これで、これでようやく旅を終えることが出来るのだ!



高知龍馬空港へも、もちろんバスでむかう。
歩かなくていいの、こんなに素晴らしいのか。
それにもう高知の地名も見なくてすむ。
四国の地名、飽き飽きした!
うん、もういいのだ。もう、いらん!
歩き旅、終わり!!

                  


                        これ、当時の俺の日記、そのものです。

          これで本当に終わります。長い間ありがとうございました。
               
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