掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール





みんな、ありがとう 普段着お遍路の記


 
                       2003年冬編  第10回 (西分駅)




また歩き出した。海はさっきと違った顔を見せている。その向こうには太陽。
ちょうど日の入りの瞬間を見ることができた。
     

向こうからおばあちゃんがやってくる。これまでの体験からかならず声をかけられることを学んだ。
そしてそれは予想通りだった。
「えらいねえ。」そう言ってくれた。どうえらいのだろう。
若いからか、冬だからか、それともやはり歩いているからだろうか。

こんどは後ろからおっちゃんがきた。これまでの経験ではおっちゃんには無視されることが多い。
が、しかしそれは予想がはずれた。
「兄ちゃん、どこに泊るがか。」
「民宿かつらです。」
「かとりやろ?あそこはええで、すぐそばにバス停あるしなあ。」
「いえ、でも僕は歩き遍路ですから。」

おっちゃんはがんばれよ、と短く言って走り去った。

一人で再び歩き出す。頭の上にさっきのごめん・なはり線がこんなに近づいている。
      




だんだん自分の口がへの字にゆがんでくるのがわかった。体感できるスピードで暗さが増してくる。
12月の午後5時はほとんど夜なのだ。
夕方などといった情趣あるものではなく、旅先で出会う夜ほど怖いものはなかった。

人気のない海岸を意図的に避け、私はさっきの自転車道路に入った。
への字に曲げた口が小刻みに震える。気温がガタンと音を立てて下がった気がした。




その道もさびしかった。



誰もいない。





家は両脇にある。でもどうしてだろう、どこからも明かりが漏れてこず、廃屋のようであった。    
思い出したように北風が吹き出した。思い出さなくていいのに・・・。

ずっと前に書いた気がするが、これまで私は大量の歩き旅や遍路の本を読んだ。
誰も夜が来て怖いなどとは書いていない。やはり私が特別に弱い心を持っているのだろう。
旅に出ると、普段見ているもの、例えば空の青さや雲の白さ、果ては道に落ちている落ち葉などにも感動を覚えるし、いろんなものに心躍らせる。そこに私の幸せがある。
だがいったん凹みだすとそれは際限なく坂道を転げ落ちるのだ。

誰もいない道を一人で歩くことの不安感は徐々に恐怖感へとその形相を変えてきた。
右横の茂みがザワっと音を立てた。寒さに震えているのに、体の内部が熱くなる。
風だ。
それは分かっている。
でも、今の私は恐怖感を覚えた。


子どものころ、普段通っている道なのに夕方薄暗くなると後ろから誰かがついてきている気がして怖かった、そんな成長の過程もあった。
そして、いい年をした今である。私を包むもの全てが自分を脅しているように感じてならなかった。
どうして誰も通らないのだろう。さっきのおばあちゃんが戻ってきてくれないだろうか。
なんでこんなに薄暗いのだろう。私はあとどれくらい歩けばいいのだろう?
一点を見つめたまま歩き続けた。


また風が吹いた。それはザザザザザと不快な余韻を伴って私をすっぽり覆った。



あかん、この道は夜はあかん。地図を見るとすぐ横を芸西村を貫く国道が走っている。車であろうがなんだろうが、この寂しさを紛らわせてくれるだろう。
が、どこからその国道へ上がればいいのだろう。右側は冬なお緑濃き藪なのだ。数メートルいくと畑があり、そこから上へつながりそうな小さなあぜ道がある。地図にすらない道を私は登っていった。



登りきった目の前に駅があった。
   ごめん・はなり線   西分駅     







ふっと列車に乗ってしまおうかという誘惑が心をよぎる。

それにより今の苦しみから解放されるのだ。









あかん!俺は何を考えてるんや?





これまでの300キロの歩みを無駄にするわけにはいかない。






でもさ、列車にのったことも
黙っていたらわからんし、それほど気にする必要もないのでは・・・?

黙っておく?
誰にや?
決まっている。この未熟ですらあるHPを見てくださっている方にだ。




あほう!
俺のあほう!









ウソをついてまで遍路を続けてどうするのだ。








とるべき道は一つだ。歩くのだ。前へ歩くのだ。
おそらくはあと30分=2キロほど歩けばつくはずだ。それくらいなら耐えられる。1時間ならもう地獄だが・・。

にしても宿に電話を一本入れよう。ちょうどコンビニがありそこから電話をかける。
「今晩、お世話になるピースケです。すいません、おそくなって。あと30分ほどでつきますから。」
「ああ、今日泊るピースケさん、ご苦労様。
もう夜だし危ないから
心配してたよ。
西分駅からなら
あとキロほどやからバスならすぐやね。

目の目にバス停があるでしょう。だから大丈夫ですよ。」



                    がちゃん!つーつー。








8キロ!?







おいおい・・・私の目分量では2キロだったのに・・。

さすがにこれはきつい・・。

歩き遍路としてこれまで誇ってきたことが崩れ落ちそうになるのを、弱りきった心で必死で支えながら思案した。
正直言ってあと2時間も歩くことは、時間的にも体力的にも、右ひざ的にもかなり厳しい。それ以上に宿にあまりに迷惑をかけるではないか。







たしかに
目の前にバス停がある








バス停を見た刹那、私の頭はパニックを起こし始めた。









これまでしてきたことは何だったのだ?
あの台風の中を歩いたことは?
焼山寺を狂いそうになりながら歩いたことは?
24番までのあのさびしい道を雨の中、膝の痛みに耐えながら歩いたことは?





でもいずれも誰にも迷惑をかけなかった。このままだと宿の人に心配をかけてしまうだろう。



数分の時間がたった。



結局わたしはどうしたのか?



実は、この遍路日記2003年冬編が始まってから、答えをずっと提示している。
一番最初の遍路日記のタイトルと、今回の2003年冬編のタイトルを比べてみて欲しい。


夏編にあって冬編にない文字は?


このタイトルが私の偽らざる告白である。





わたしはさっきの通りすがりのおっちゃんとの会話を思い出していた。

                       再掲載
「兄ちゃん、どこに泊るがか。」
「民宿かつらです。」
「かとりやろ?あそこはええで、すぐそばにバス停あるしなあ。」
「いえ、でも
僕は歩き遍路ですから。」


前にも一度書いたことがあるが、私は遍路に限らず、旅の手段によっての優劣はないし、感じたとしてもそれは主観的なものでしかないと思っていた。それでもこの瞬間、歩き遍路であることを、内心では誇りにおもっていたことに気付いた。これも偽らざる私の自尊心である。正しいとは思えない。
この一年、HPの掲示板で応援してくださってる方がいらっしゃった。


だからこそ


ウソはつけない。



私はあなたにウソをつけない。





私がしたことを、そして内心の驕りを、いまここに書いた。


こんな愚人の写真を最後に掲載して今回の話を終える。
                         

                                            
          

  掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送