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みんな、ありがとう 普段着お遍路の記

                2003年 冬編 第8回

                                   (安芸市へ)

藁にもすがる思いというのはこういう行為を言うのだろう。
膝に負担をかけないピースケ流の歩き方、すなわち後ろ向き歩き。夏の遍路のときはあほらしくなってすぐに断念したが、今日は絶対貫く。だって、マジで泣きそうに痛いんやもん・・。

かくして私は延々と後ろ向きに歩き出した。
おお、結構いける!必死で後ろ向きに歩き出した。途中車が何台も通ったが、どうでもよかった。中のオッチャンたちが明らかに変な目でこっちを見ていた。それもどうでもよかった。あんたたちに今の俺の苦しみはわからんやろ。



ふもとの宿に10時半についた。結構な時間がかかってしまった。
宿の おばあちゃん 、おばちゃんに呼びかける。

・・・・・・・・・・・・でてこない。

・・・・・あれ?

もう一度呼びかける。
「おかあさん、ありがとう。荷物持って行きますよ〜!」
「はあい。」
台所からおばちゃんがやってきた。

「あらまあ、早かったわね。じゃあ、気をつけていってらっしゃい。」
「荷物ありがとうございました。僕、いきます。また結願したら報告に来ますよ。」
「結願したら?もうね、無理かもしれないわよ。おばあちゃん、78歳よ。宿もいつまで続けられるか分からないしね。気持ちだけもらっとくから気を遣わないでね。」
「なんでー。お母さん元気じゃないですか。僕、必ずもう一度会いにきますから。」
「先のことは分からないのよ。おにいちゃん、ありがとうね。」
「いや、ダメです。僕もう一回来ますから、それまでは絶対絶対お母さん、宿を続けてくださいよ。」

それだけ言うと私は歩き出した。おばちゃんの言葉が重く心にのしかかったままで。

私は明日のことをいつも心配している。それだけではない。1年後、10年後のことが心配でしょうがない。だが、宿のお母さんは今を生きていた。そして未来を見てはいなかった。お年寄りにとってしょうがないと言ってしまえばそれまでだ。でもやっぱりとてもさびしい気持ちになる。


明日のことを心配できるというのは、

もしかしたら、


幸せなことかもしれない。




だのに私は無理にあのお母さんに「また会いにくる」と言い切ってしまった。大きな間違いをおかしてしまった気がしてならない。もう届かない悔恨と慙愧を今も心の中で訴えている。



私の気持ちを知らない抜けるような青い空が冴え渡っていた。雲ひとつない。
歩き出してから空腹を感じていたがどこにも店がない。どうしようかな〜。
第一こんなに早くご飯を食べると、宿のおばあちゃんの作ってくれたご飯の味が消える気がする。
だから食べたくない。




国道55号線へでた。再びこの道での旅が始まった。

バッファリンをもう一錠のんだ。でも効いていない。激痛は激痛のままだ。
                       


宿を出発して30分。汗ばみ始め上着も脱いでしまった。気がつけば海沿いのそれなりに規模のある都市部の道になっていた。55号線はいくつの顔を持っているのだろう。

向こうに街境を示す道標が見えてきた。
                                          ここからが安芸市

辺りの光景がどんどん都会になっていく。家やビルを見てもしょうがない。だから左に目をやった。海がきれいだ。

道沿いに海岸線に降りる階段があった。普通の旅行なら興味はわかないが、今の俺は旅人だ。いろんなことに好奇心を持った旅人だ。時間が急いてはいるが、好奇心が勝った。
海のすぐそばに小さな小さな洞窟があった。中にはお地蔵さんがいた。細部にわたって信仰と過去を敬う四国の素晴らしさをまた実感した一瞬だった。








この小さな割れ目が洞窟の入り口

                   



正午が近づいてきた。空はますますさえ渡り海も静かだった。私の心も四国の雰囲気の中に静かにしみこんでいた。
      

街並みはますます都市化していくのに、人の姿をみない。時折車が猛スピードで走り去るのみだ。
気がつけば左に単線の鉄道があらわれていた。それなりの都心なのにまだここでは単線である。
            

やがて道は二股に分かれる。左に曲がると桂浜、真ん中は28番へと続く遍路道であり、右は高知市内へむかう。正直桂浜を見てみたかった。室戸岬では中岡慎太郎像を見たが、坂本龍馬像はまだだった。

が、寄り道をしている場合ではない。残りまだ30キロの道のりがあるのだ。この旅では実はほとんどの宿を年末ゆえ予約をしていたのだ。時間的制約を自分で作ってしまったことに改めて気付いた。次回は、行き当たりばったりで行きたい。

真ん中の道をゆく。

二つほど大きな川を渡りさらに安芸市内へ向かう。
私は三つの店を探していた。写真屋にスポーツ用品店と薬局である。     
上の街中に写真屋をみつけた。おととい港でカメラを転倒させたものの、そのまま写真を撮り続けている。ちゃんと撮影されているか気がかりなのだ。現像を待つ間にスポーツ用品店も発見した。
「きつ目のサポーターね。あるにはあるけど、兄ちゃん、何してるの?」
「歩き遍路です。」
「あのねえ、君の歩き方見てたらやばいよ。サポーターどうのこうのじゃなくて、安静にするレベルやけど、それでもあるく気?おっちゃんはどうしても止めたい気分やねんけどな。」
「でも、はやく結願しないといけないんです。僕は歩きますからサポーターください。」
「なんか事情ありそうやね。腿と足首用のサポーターやね。じゃあこれ。」
「それもらいます。」
「それからね、これ。よかったらつかって。そのヒヨコの横にでもぶら下げれば車よけになるよ。」
反射板を貼り付けたキーホルダーをもらった。おっちゃん、ありがとう。僕、どうしても歩かないといけないんです。おばあちゃんに再訪を約束したから。早く結願しないといけないから。



そののち写真をとりに行った。
「これ、全部写真にフレア(光線)が入ってるね。カメラの裏ふたがゆるんでるよ。こっから光が入るわけ。とりあえずこうしておこうか。」
カメラ屋のおっちゃんが店の奥からわざわざビニールテープを持ってきて、応急処置をしてくれた。ありがとう。
「兄ちゃん、歩き旅か?」
「そうです。」
「いい写真とってるな。気をつけてな。」
「お兄ちゃん、気をつけて行ってね。」話を聞いていた横のおばちゃんも声をかけてくれた。
四国の人、みんないい人ばかりだ。どうもありがとう。

この旅の写真の左下に大量の光が入ってるのはカメラのせいである。


美しく整備され、かつレトロな雰囲気の街中にさらに薬局を見つけた。
「痛み止め?バッファリンとかならあるがよ。」
「いえ、それでは全然効かないので、もっと強いのをください。」
「強いががいいですか。」
高知弁のおっちゃんが対応してくれた。
「じゃあ、これならいいかもね。でもね、歩いて脚をいためたのなら安静にするのが一番だよ。予定かえるとかしないの?どうも君を見てると薬を売る気、しないんだけどなあ。」
「はやく結願しないといけないんです。お願いです。それください。どうもありがとう。」
行く先々で旅を止められている。


さてと・・・・・、このサポーターをどこでつけるかだ。ズボンを脱がないとな。ふと見ると自転車専用道がある。車の通らない道は好きだ。歩いてる人が通ってもいいのかな?まあ、いい。お邪魔するとしよう。

どこまでもまっすぐに続く気持ちのいい道だ。
誰もいない。ここなら大丈夫だろう。思い切ってズボンを脱いで左の太もも、右の膝、左の足首にサポーターをはめる。短い脚にこんなに大量なサポーターをまいてる光景は異様である。
横を自転車に乗った高校生が不思議そうに私を見て走り去っていった。

地図を見るとこの旅心をそそる道は延々と続くようだ。
この道沿いでまたも素敵な「ありがとう」に出会うのだ。そのお話は次回で。

これまでもそうだが、今日はいくつのお礼を言えばいいのだろう。
すぐ左には、これもまた感謝したくなるような癒される光景が広がっていた。
      

         

                                                四国八十八ヶ所お遍路セット(スターターセット)

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