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            みんなありがとう 普段着お遍路歩きの記

                                                   
第6回




体の血が沸騰したように熱くなった。

これまでいろんな苦難に出会ってきた。だがそれは努力で解決できる範囲だった。雨であったり、坂道であったりだ。


だが、さすがに暴走族にからまれたら、さあどうすべきか?
出発前に読んだ
「僕が遍路になった理由」(早坂隆氏著)によると、歩き遍路の敵は3Yだという。幽霊、野犬、ヤンキー。そのいずれも出会ったことがないが、ついに3Yの一つに出会ってしまったのだ。
これがなんらかの乗り物、バイクでも自転車でもいい、それを利用していればなんとか逃げられるかもしれない。だが、重量のあるリュックを背負った歩き遍路には逃げるすべはないのだ。



パラリラ、パラリラ、パラリラ

・・・・・・・・・が近づいてきた・・・・・。





お願いだから、通り過ぎてくれますように・・・。




こういう祈りは大概裏切られる。

エンジン音がすぐそばまで来たかと思うと、不意にこう呼びかけられた。




私の心音がバイクのエンジンの音よりも

大きく聴こえてくる。






びびってる・・??・・・・・・・・・・・そのとおりだ。
情けない?・・・・・・・・・・・・そうだ。

「兄ちゃん、歩いて回ってるんか?」
バイクにまたがった青年だ。なんか知らんけど、バイクにはかなりユニークな飾り付けがしてある。青年の顔は分からない。ヘルメットはかぶっていないが、あたりが暗すぎるのだ。
「さようで。お遍路さん、やってまんねん。」
(訳=そうですよ。お遍路さんをしているのですよ。)
なぜか滅亡寸前のすごい関西弁を使って返答した。こんなときは、不思議と関西弁なら対応できる気がするのだ。もしかしたらなにかたかられるかもしれない。そんなときは拒絶できるだけしよう。そして、その後は・・・・成り行き任せだ。どうでもよい。

いつの間にか、数台のバイクが私のそばに停まっていた。どうしようもない・・・。



つづいて彼はこう言った。
「大阪の人?」
「せやで。」 
(訳=そうですよ)

「へえ、ええなあ・・・。兄ちゃん、がんばりや!それにこの辺、物騒やから気をつけや!」



彼はそういうと
私に向かって小さく頭を下げた。そして走り去っていった。






・・・・・・・・・・・・この辺、物騒やから気をつけや・・・・・か・・・。

どう答えていいのかわからない。暴走族に注意される内容がこれとはね。

数台がそれに続いた。

そして、一番最後にいたバイクの青年が走ろうともせずに、じっと私のほうを向いている。

そしてポケットに手を入れて何かをしている。


「どうしたの?友だち、行っちゃったよ。」思わず聞いてしまった。この時の私は関西弁ではなかった。平常心だったのだろう。

これ!俺のばあちゃんの分!」そういうと、ポケットから手を出し何かを私に向かって放り投げた。
チャリンという乾いた金属音を残して彼も走り去った。





しばらく私はその場所にたたずんでいた。いったい、私の身に何が起きたのだろうか、と考えていた。
彼らは何を言いたかったのだろう・・。

先頭の青年は、どうしてわざわざバイクを停めてまで私に声をかけたのだろう?
それはまあよい。歩き旅がこの季節には珍しかったのだろう。





それにしても、私は・・・・・・・・・・・・、










暴走族に注意され、励まされてしまった・・・・・・。


さすがに人生初の体験だ。







一番不可解なのは最後尾の青年の言葉と行動だ。
足元を見た。最後尾の彼が放り投げたものを確認したかったのだ。






そこには、







500円玉が落ちていた。
彼は私にお金を投げてよこしたのだ。





まさか、暴走族からのお接待?





いや、「ばあちゃんの分」とたしかに言った。
私はそれを手にとって歩き出した。バイクの音はもう聴こえない。他の車も通らない。真っ暗な道を歩きながら私は考えた。
もしかしたらあの子のおばあちゃんはお遍路に行きたくても行けないくらいの病気なのかもしれない。あるいは、もう亡くなってそれの供養をしてくれということなのだろうか?いや・・・・・・彼は昔からお遍路さんにお接待をしているおばあちゃんの姿を見て、それをまねたのだろうか・・・?

分からない。

でもいいのだ。この500円は次の札所まで大切に持っておこう。そしてちゃんと賽銭箱に入れるのだ。そうおもいながら、私は真っ暗な道をさらに歩いた。

前方から再びバイクがやってきた。戻ってきたのかな、一瞬そう思ったが、普通のカブだった。



足の痛みのせいで、ほとんど機械のように歩いている。

途中いくつかの集落を通り過ぎたが、ほとんどが廃村のごときに、暗く静まりかえっていた。まだ6時半なのに。いっそうの心細さを感じながら歩き続ける。



朝方、バスの中から確認をした角を曲がる。もうすぐのはずだ。

人気のない道のはるか向こうに明かりが見えた。あれに違いない。


目的の宿の玄関についたとき、そこには幾本かの金剛杖がおかれてあった。他にもお遍路さんがいるのだ。

「あららあ。なかなか着かないし、風も強いから心配しとったんですよ。」左手から、80に手が届きそうなおばあさんが歩いてきた。やっぱり電話の声を聞いたときの判断は当たっていた。
「すいません。道中いろいろあって。」
「お風呂、沸いてるから入ってくださいね。」

2階の一番奥が私の今晩の宿だった。布団は自分で敷いた。


案内された風呂は、夏に泊った尾崎の宿よりもさらに大きな浴槽があり、冷え切った体を温めてくれた。風呂好きの私は、本来ならたっぷりと楽しみたいところだが、疲れきっていたため、うっかりすると浸かりながら寝てしまいそうだった。
                    
                  
      また公開してしまった・・・私の入浴シーン・・。



食事もおばあちゃん手作りの、心まで温かくなるものだった。旅に出たときに、宿で冷凍食品が出たらかなり凹んでしまう。
が、こんな風に「手」を使ったものがでると、豪華料理でなくとも力が出るのだ。


おばあちゃんが出てきて、いろいろと話しかけてくれる。
「たくさん食べてくださいよ。」
「この宿は、お母さん一人でなさってるのですか?」
「そうよ、嫁に来てから50年になるわねえ。その間に遍路宿としてテレビにも出させてもらったこともあったんですよ。」
「すごいですねえ・・。」
「それにあなたみたいな、孫みたいな若いお遍路さんにも出会えて、元気をもらえるから78歳の今でも、こうして一人で宿を続けられるんですよ。それも全部・・・・・。」
「全部・・・・・?」
「お大師さんのおかげですよ。」
「お大師さんの・・・・・・・おかげ・・・・・・・。」
「お兄さん、区切りで回ってるの?」
「はい。あ、でも、また機会があったらお母さんに会いにきますよ。」
「それはうれしいけどね・・・。もう、いつまで続けられるかしらね・・・。」



部屋に戻ってその日あったことを思い出していた・・。


美しい景色でもなく、自分の満足感でもなく、出会った「人」のことに集約されていく。


船の中で声をかけてくれた人のこと、道で出会った知的「障害」をもった女性とその家族。暴走族の人たち。そして・・・・・・宿のおばあちゃん。
みんな、僕の遍路を支えてくれている。
そう思うと、心の底から感謝の思いが湧いてきた。
みんな、ありがとう・・。これが遍路初日の最後の記憶であった。
まだ8時前だったがいつしか私は眠りについていた。




9時くらいに、どこからか声が聴こえてきた。
これが田舎の名物の有線放送なのか・・・・・。それは夢だったのか、それとも実際の声だったのか今でも分からない。



・・・・・・・・・・・・・・・ハックション!

夜中に寒くて目が覚めた。南国土佐といえどやはり朝方は寒い。知らない間におばあちゃんがつけてくれたストーブが消えている。手をかざしたが、冷たくなっていた。なんとかつけようとした。

                          
が、これはどうやってつければいいのだろう?火のつくところが網になってるやつである。しばらくチャレンジしたが、どうしてもつけることができずそのまま布団にもぐりこんだ。


時計を見たら4:30だった。
かすかに階下から音がする。
まさか、もうおばあちゃんが起きて食事の支度をしているのだろうか。
おそらくそうだろう、私のために、私たち遍路のために。他人のために。




自分の右足のつけ根の痛さで目が覚めた。6時過ぎだった。やばいなあ・・。初日で、もうこうなるか・・・。自分の弱さを、どうすることもできない虚弱さに悩みながら窓を開けた。
窓の外はまだ明けきらぬ四国の空が、夜と朝の境目の迷いに満ちた色をしていた。


薄暗がりの中に、命の気配を感じない、刈り入れの終わった田んぼがみえる。
この足を引きずりながら今日は27番札所へ向かう。
その遍路道の通称が、
真っ縦とは!?

                                       
              

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