みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 2003年夏編
最終回の一つ前の回
たった十日間の出来事を、私は9ヶ月に渡って書き続けた。最初は一日の内容を一回で書くから、合計10回、そんなものだろう。そう思っていた。
だが、書いていくうちにどんどん思いがわいてくる。そのどれもが省略することのできない出来事ばかりだ。
HPを立ち上げた当初は、いろんな旅の記録を書くつもりだった。が、なんとなく遍路に特化した内容のHPになったのも否めない。良し悪しではなく、自然とそうなったのだ。そして、私の生活の中には、もう遍路は欠かすことのできない存在となっている。最初は興味本位で始めた旅だが、生涯をかけてかかわっていきたいとすら思っている。
そんな、長く続いた遍路日記も、ここでいったん区切る。9ヶ月に渡った長い日記をお読みいただいた方々には感謝してやまない。
では、最終回の一つ手前の回である。
話を原点に戻そう。あなたは、十戒をご記憶だろうか?この遍路で破ってはならない十個の戒めである。数日を得て次々と破戒をしてしまった。
一 道に迷うべからず
二 雨を呼び込むべからず
三 宿には遅れずに行くべし
四 やたらと冷たい物を買わない
五 足に無理をかけない
六 人見知りをしない
七 荷物を大切に
八 弱音をはかない
九 泣くな
十 ころぶな
残る一つはどうでもいいやつである。ゴール間近ではいくら困っても、泣くこともあるまい。結局十戒は一戒になってしまった。
一度、5時に目が覚めたが、疲れが残っていて6:30に頼んでおいた朝食の五分前に目が覚めた。
「やば!」
到着があんなに遅れたのだ。朝食の時間が守らねば。飛び起きて立ち上がろうとした。
「いだ!!」
両足に猛烈な痛みがはしる。覚悟はしていたが、さすがにすごい。膝だとか足首だとか、どこかに固定された痛みではなく、もう脚の存在そのものが痛みである。それでもゴールは近い。どうにか歩くしかない。これまで触れてこなかったが、私はずっと鎮痛剤を服用してきた。それも底をついた。
階段をやはり手だけで降り、朝食を頂く。
歩き出したのは7時過ぎだった。心は実に晴れやかだった。空は晴れやかではないが、雲の隙間から朝日が静かに差し込み、昨日の威光を保とうと無理に私を威嚇してとどろいている波を戒めていた。
なんとか天気が持つことを祈る。
歩きながら気になっていたものがあった。昨日夕闇の光の中に見えていた、黒いシルエット。近づくにつれてその正体が見えてきた。四国を旅された方なら、私の疑問が何なのか最初から気づいておられたことだろう。
古来よりここにあった夫婦岩は、いまや崩壊の危機に瀕しており、その補修工事中だそうだ。人間が巨大なものに畏敬の念を抱くのは、今昔通じてかわらない思いなのだろう。
振り返ると、はるか先に室戸岬が見える。今までずっと「室戸岬っぽい」岬が見えては裏切られ、がっかりしていた。
が、今度は絶対に間違いない。あれだけとんがっているのだ。だから突端に違いない。私は確信する。
ちなみに私の左肩にタオルが巻かれているが、ザック麻痺を少しでもやわらげるためである。故障は脚だけではなかったのだ。
一時間ほどたった。
先ほどの確信は悪いほうに動き始めた。やっぱり室戸岬はまだ先なのだ。一時間歩いても、やはり岬が左の海の上に増殖してくる。
そして増殖するのは、岬だけではなかった。その岬の隙間から雲が続々とわいてくるのだ。もう雨はいらない。
道は緩やかにカーブを描き、海から離れ始めた。また単調な景色に舞い戻った。
歩いても歩いても何もかわらない。目的地に着かない。癒される海も見えない。本当に苦行である。だが、それに負けることはもうない。あと少しだ。本当に、あと少し・・・。
一昨日の宿で見かけたメガネをかけたお遍路さんが、前を歩いていた。久しぶりに仲間を見た。こんなさびしい道で歩く人を見たのは、いつ以来だろう。
十日間の旅の中で八割が雨天であった。それだけの気候を体験すると、不思議な勘が生まれてくる。そしてその勘は悪いほうに当たりをはじき出した。
全国の女子高生の皆さん、おまちかねの雨である。
またまたまたまたまたまた、降り出した。
ど〜もありがと〜。
あわててカッパを着込んだ。
その瞬間、雨がやんだ。
・・・・・・・・・・・・・・!?
ウソではない、本当にやんだ・・・。
なめてんか〜!
とはいっても、再び降ることは予測されたので、合羽を着たままにしておいた。そして私は歩き出す。合羽を着たままで歩き出す・・・・・・。
そう、合羽を着たままで歩く・・・・・。
あつ!
こんな長袖、きておられるか!結局はまたTシャツになると・・・・・・・・
なめてんかあああ
ああああああああ
あああああああ!!
!!!!!!!!!
ウソではない。本当にこれの繰り返しであった。
その後、雨は降り続けたため、合羽を着たまま歩くこととなった。
体がだんだん冷えてきた。ぽつぽつと家並みが見え始めた。一軒の喫茶店が目に入った。ここで雨宿りを兼ねて、暖まろう。
中にはどこから来たのだろう。人がいっぱいいた。近所の人という割には人数が多すぎる。でも旅行者とも思えない。では、この人たちは?今でもこの疑問は解けずにいる。私はホットを注文したが、おばちゃんが100円高いだけだから、モーニングにしたら、といってくれたので素直に従う。
しかし・・・・このモーニングもユニークだ。トースト、散らし寿司、そうめん、サラダ、コーヒーなのだ。パン、ご飯、麺類の主食がすべて一つのお盆に載せられていた。
外にでた。
ああ・・・・・・・・・・・・・・もう・・・・・・・・・・・・・・・・・・やめて・・・・・・・・・・・・・・・・、
この・・・・・・・・・・・・・・・・・
は・・・・・。
もう、笑うしかない。
続々と増殖する遠くの山は見飽きたため、右の近くの山の上を見上げた。白いプロペラが見える。あれはなんだろう?風力発電のようだ。写真におさめたが、雲の間に隠れてしまっていた。実に残念である。
さらに歩き続けた。ゴールが感じられるのに着かない。この感じが実に嫌だ。正直、このとき、車接待を申し出られたら乗っていたと思う。体の壊れ方はそこまでいっていた。いや、心が壊れていたというべきか。
青年大師像が見え始めた。
でかいなあ・・。21メートルもあるのか・・そうか・・。
本当はこのすぐそばに大師ゆかりの洞窟もあるそうだが、すべてに興味をなくしていた。私は今は進むだけだ。一歩でも先に。
右の山はいつしか岩となりつつあった。岬が近づいた証拠だろうか?
これまで、幾多の勘をはずしてきたが、これだけはビンゴであった。左にも岩波が迫り、その向こうには二日間私を狂わせた岬の連鎖は消え、海だけが広がっていた。海しかないということは・・・・・・、そう、突端の岬が近いのだ。
湿ったアスファルト道路と、湿った木々、そしてその間から湿った看板が見えた。そこには2日間の海を見続けた歩き旅のゴール、いや・・・・・・この遍路そのもののゴールである24番札所を教える文字があった。
ここから山道に入る。すぐそこに小さな小屋があり、私の心を和ませるものがいた。フナムシ以来の小動物との出会いだ。そしてそれはフナムシよりもずっとかわいかった。
この写真をこの回の締めくくりとして、最終回へつなぐことにしよう。
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