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          みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 

                              2003年夏編 第29回

  



                         その雛鳥はまだ羽毛もなく肌色をしていた。死んでいないことは

                         もごもごと体をくねらせていることでわかった。遍路道のちょうど

                         ど真ん中に落ちていた。頭上の巣から落ちてきたのだろう。

                         見上げてみたが、枝の密度が濃すぎてどこに巣があるのか

                         わからなかった。 私はどうすればいいのだろう。このまま放って

                         おいたら死んでしまう。でも鳥の雛をひろうことは禁止されていると

                         何かで読んだ。ちゃんと母鳥が巣へもどすそうだ。本当だろうか? 

                         どうやって持ち上げるのだろう?

                         座り込んだままの、正確に言うとしりもちをついたままの私の

                         目の前に青みがかった鳥が飛んできた。 これが母親?

                         その鳥はすぐにいなくなった。違うのか・・・・・・。

                         ならば、向こうの枝に止まっている大きな鳥だろうか?意識してみると

                         あちこちに鳥がいる。どれでもいいから早く母親に迎えに来て

                         ほしい。でなかったら衰弱死してしまう。それとも、私が連れて

                         行くほうがまだ助かる確率が高いのだろうか?





                         二つの選択肢が、荷物の重さよりも、右ひざの痛みよりも、

                         無視された心の痛みよりも大きく私を覆った。この雛は必死で体を

                         くねらせている。生きるための本能だろう。


                         おいていこう。自然に任せるほうが助かる気がする。だが、せめて、

                         道の端のに寄せておこう。私は雛を手に乗せた。




                         あ・・・・・・・・



                         温かい。





                         いや、むしろこの雛の体は・・・・・・・・・・





                         熱い・・・・・・・・・・・・・・・。 





                         気のせいではない。本当に燃えるような体温を持っていた。

                         その熱さを通してこの小さな生き物の命が私の手のひらに、今、

                         伝わってきている。

                         そして体をくねらせることで、巣から落ち遠く死の世界へ放り出された

                         命運に抵抗している。生きるとはこういうことなのかもしれない。




                         この体験からもう半年以上がたつが、四国と聞いて思い出すのは

                         札所でも出会った人でもなく、今も両の手のひらに残る小鳥の

                         熱さなのだ。




                         私は雛を地面に置いた後、ゆっくりと遍路道を歩き出した。

                         古のお遍路さんと、今生きて歩いている命と、これから死んでいくかも

                         知れない命をすべて包み込む遍路道を歩き出した。

                         私は何分もの間振り返らなかった。もし、振り返ったなら

                         つれて帰ってしまうかもしれない。



                         不意に後ろから甲高い小鳥の声がした。立ち止まって振り向いた。

                         だが、鳥はいなかった。




   

                         山を下りきると道は街中に吸い込まれていく。1時間ほど歩いた。

                         あまりきれいとはいえない川のほとりを進むと、古めかしいけど

                         優しい感じのする街路へ入った。

                         四国の札所は山の上や岬の突端にあるイメージが植えつけられて

                         いたが、この立江寺は子どもたちの歓声を聞ける位置にあった。


                             
                                四国第19番霊場 立江寺 2003年8月13日 15:59

        


                        そんな街中にあるにもかかわらず、本堂の規模は相当なものであり

                        まさに大伽藍であった。
                         


                        この19番霊場で自分の変化にひどく驚愕した。今までの私はお遍路さん

                        といえど、歩くことや道中の出会いに興味はあっても、実のところ建物には

                        あまり関心がなかったのだ。だが、お寺の建物を写真にとり出している。

                        普段着の私はお遍路さんとしてはもっとも外側を歩く存在であろうが、

                        このあたりから、外見はともかく心情的に霊場に安らぎを感じ始めるという

                        内からの変化を見せ始めたのも事実である。




                        今日の札所はこれで終わりである。次の20番は難所であるため、

                        ふもとの宿に一泊するのだ。歩き始めようとした時、小さな女の子を

                        つれたおばあさんが突然話しかけてきた。

                        「20番まではこの前の道をずっと行きなさいね。この辺の人は

                        みんな親切だから、迷ったら遠慮せずに聞きなさいね。」

                        短い言葉だが、私は安心して歩くことができた。そう、迷っても大丈夫だ。



                        それにしてもまたおばあさんだ。この旅ので出会いを、無意味では

                        あるが分類すると圧倒的におばあさんが多い。どうしてかはわからない。

 


                        あのおばあさんの案内どおり橋を渡ると小さな医院に出た。そこを

                        左に曲がる。家がなくなった。替わりにどこまで続く田んぼ。少し黄色がかり

                        空の青に映えているその光景が実に美しい。なによりこの広さだ。

                        

                                       


                         そんな感動も長くは続かなかった。すっかり忘れていた「奴」が

                         私に忍び寄っていた。




                         道はやがて田んぼから離れすこしの登りとなり、また下りだす。

                         無人の境だったのがまた家並みが見えてきた。と思うと、また

                         誰もいなくなる。そんなことを繰り返しているうちに、辺りには

                         闇が忍び寄っていた。まだ5時過ぎなのに闇が訪れてきた。

                         「やばいな・・・。」でも歩くしかない。



                         前方に三叉路が見えてきた。その時前から来たトラックが

                         私の横に来ると停止して中にいるおっちゃんがこういったのだ。

                         「これ、お接待です。どうぞ。」

                         「え?」 

                         「ご苦労様です。お気をつけて。」そういうと、どうもお坊さんらしき

                         (坊主頭だったから)おっちゃんは去っていった。

                         私の手にはお接待が残された。はじめての経験だった。宿の人に

                         おにぎりを頂いたりはしたが、道を歩いているお接待には、普段着の

                         私は無縁だろうと思っていたのだ。

                         この時の喜びは言葉では言い尽くせない。ただ、道のど真ん中で
 
                         わざわざ三脚を立て、こんな写真を撮っていることから私の心の

                         高揚が見て取れるだろう。

                    
                  そのときの写真。こればっかりでまったくもって芸がないのだが、やっぱり、あれを

                      やってしまった。(マウスを乗せて味噌漬け・・・。)



                  
もちろん、ちゃんとお接待の品を指差している。(拡大写真↓)

                                

                         などと興奮している場合ではない。本当に奴が近づいてきている。

                         歩みを速めた。

                         だが、やっぱりダメだった。追いつかれてしまった。私は心の中で

                         静かにまたこんな図を思い浮かべた。

            

    二 雨を呼び込むべからず  


                         なんと今回も初日から雨が降り出した。ほぼ100%の確立で雨天だ。

                         またも破戒!忘れていた右ひざの爆弾が音を立てて活動を始めた。

                         喜んだのは田んぼのカエルだけだった。
                                          

                                                                                                              


                                
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