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                みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記 

                                  2003年夏編 第25回



                          その刹那、なぜか私は空を振り仰いだ。四国に来てはじめての

                          深い青空だ。不意にその中に落ちていくような恐怖を覚え、手に

                          持っていた杖を握り締め体の支えとした。


                          が、私はまたも手ぶらだった。杖はなかった。



                          まじ、やってもうたぞ。どうしよう?忘れたとしたらどこやろ?

                          ずっと手に持ってたつもりやのに・・・。

                          あ、そうか。納経や。納経所でたしかに俺は杖立ての中に入れた。

                          あそこしかない。

                          うわ、間に合うかな?電車の時刻が迫っている。



                          目の前をゆっくりと、枯れ葉が落ちてきた。風に舞っている

                          その枯れ葉を見つめた数秒間に目まぐるしく思索が動いた。

                          このまま行ってしまうべきだろう。杖はまた買える。だが、今日

                          帰らねば大変なことになる。明日のバスがあいてるとも限らないのだ。

                          とはいっても、あの杖は二度と戻らない。新品を買ってうれしいか、俺は?

                                   


                          現実の問題と今までの思い出のどちらを選ぶべきか。さっきの

                          枯れ葉が音もなく着地し、落ち葉と名前が変わった瞬間に、

                          私は観音寺に向かってリュックの音をたてながら走り出した。

                          電車にはもしかしたら間に合うかもしれない。でも、今、見捨てたら

                          あの杖とは永久に出会えないのだ。


                          めちゃくちゃに速く走ってるつもりが、さっきとあまり変わらないペース

                          しかでない。疲労のピークであった。杖はやはり納経所にあった。

                          間違いない。この墨のかすれ方、俺のだ。再開に浸る間もなく

                          再びきびすを返してかけだした。おそらくあと70分ほどである。



                          嫌なる位完全に見覚えのあるなじみの田んぼ道で、Kさんと

                          すれ違った。

                          「杖あったか?」・・・・・・・・・・・いきなり駆け出した私を見て

                          なにをしに帰ったか見破っておられた。そのときは鋭い人だと

                          思ったのだが、もしかしたらKさんも杖忘れの経験者なのかも

                          しれない。



                          走るのがもったいなかった。夢にまで見た遍路の幕切れが

                          (もちろん再開はあるとしても)こんな風にあわただしく終わる
 
                          のは耐え難い。つまりはこんな耐え難いことが当たり前の

                          ように存在している日常生活に戻るために私は走っているのだ。


                          不思議なことだ。頭が死ぬほど焦り、また体が汗だくになって

                          走っているのに、そして背中のリュックまでがガチャガチャと

                          叫んでいるのに、目だけがいろんなものを追い求めていた。

                          おそらくはもう二度と通ることのないこの道を刻み込みたがって

                          いるのだろう。

                          あれは何日前だっただろう、雨の日の朝、人が通らねば道は死ぬ

                          と私は思った。今もそうだ。空は晴れ渡り、鳥たちが舞っているのに

                          人がいない。ただ、私だけが一人、よろつきながら走っている。

                          さっきの繁華街から取り残されたかのこの遍路道に見るべき名所など

                          ない。でも、私の目はそんな景色をも慈しんでいた。

                          小走りのため、視界が目まぐるしく変わっていく。黒ずんだ板塀の

                          家並みが続いたと思うと、倉庫だか家だかわからない小さな家が

                          そっぽを向いてたっている。四国では何度も見た光景だ。でも、もうすぐ

                          お別れだ。

                          道端の稲が風もないのにゆっくりとゆれている。どこかから電話の音が

                          聞こえてきた。



                          道端の倉庫に金髪のお遍路さんが休憩していた。何度も札所で

                          見かけた人だ。

                          「さようなら、僕、いったん帰ります。」

                          「あ、どうも、またどこかで。」

                          こうして出会った人のために今度は納め札にちゃんとメールアドレスを

                          かいて用意しておこう。この人には渡せなかった。


                          前方に線路が見えてきた。ああ、ついにだ・・。駅の場所が

                          わからなかったが、近くのケーキ屋さんに教えてもらった。


                          着いてほしいけど着いてほしくない。札所を出てから30分後に

                          徳島駅に至る府中駅に到着してしまった。

                    

                         あと数分で電車が来る。間に合った。無人の小さな改札をくぐり

                         ホームに荷物を置いた。


                                     


                         力が一瞬にして抜けた。何日ぶりの乗り物だろう。もう歩かない。

                         歩かなくなった瞬間に私はお遍路でなくなったのだ。

                                        
                                   

                                   


                         列車はワンマンだった。乗り込んでからのことは特筆することも

                         ない。ただ満員の乗客のマナーが以上に悪く大阪なんか

                         足元に及ばなかったこと、(誇張ではない。大音量で携帯の

                         着信音を比べあったり、荷物を座席に置いてる人がたくさんいたのだ)

                         徳島駅のレストランで隣に座っているおっちゃんが親切にして

                         くれたこと(これも杖の功徳か。)くらいだろうか。


                       

                          バスは予定通り着き、予定通り走り出した。時間については

                          行き当たりばったりのお遍路にはそのことがひどく不思議に思えた。

                          横に座ったおばちゃんがいろいろと聞いてきた。
                         
                          やっぱりこういわれた。

                          「若いのにお遍路?えらいね。うちの息子もそれ位してくれたらな。」

                          降りしなにおばちゃんはこう言ってくれた。

                          「成功を祈ってますよ。」


                          一人になってから私はゆっくりと目を閉じた。そして大阪に着くまで

                          目を開けなかった。


                          四国について最初に出会ったお遍路さんの顔を思い出そうとしても

                          なにも浮かんでこなかった。宿で二回も会ったNさんはどんな顔

                          だったろう。でも、まあいい。俺はみんなに出会ってお遍路さんを

                          した。そのことだけでも幸せだった。

                          目をつぶったままで、雨の中で出会ったおばあさんや、おにぎりを

                          作ってくれた宿のおっちゃんを思い出していた。

                          あの人たちはみんな俺のお遍路を何年も前からずっとそこで

                          待ってくれていたのだろうか?ふとそんな考えが浮かんだ。

                          そう思うと遍路道に存在しうるものすべてが好きになった。

                          遍路シールも倒れかけた稲も、そしてあの台風でさえも

                          好きになっていた。分かれることはとてつもなくさびしいけど、

                          みんな我慢して歩いているんだ。そう、みんなさびしいに違いない。

                          もしかしたら、俺と別れたあのおっちゃんやおばちゃんも少しは

                          さびしいと思ってくれてるだろうか?だったらうれしい。


                           

                          再び目を開けたとき、灰色の大阪のビルが目に入った。

                          振り返ったが徳島の空は見えなかった。僕の大好きな徳島は

                          遠くに行ってしまった。

                          普段はきれいに思えるオレンジの空は遍路と現実を隔てる

                          カーテンに見えた。私はこの感覚に唇をかみ締める。

 
                          でもかまわない。俺はまた歩くのだ。遠くの人たちに出会うために。

                          同じ人たちに出会うことは二度とないだろう。実際には

                          大阪と徳島の距離でしかない。でも偶然めぐり合う確立は

                          途方もなく小さく、距離も遠くなる。それでもかまわない。

                          旅をするとはそういうことなのだ。遍路とはそういうものなのだ。

                          もしかしたら生きるというのもそういうことかもしれない。

                                       

                                       

                          なにより今までお遍路に無縁だった私が今、偶然お遍路に

                          出会ったことにも、感謝したい。

                          私が出会った人と、物と、自然と、そして遍路にめぐり合わせて

                          くれた人にこの思いのたけをささげたい。





                          そう遠く離れていた人が偶然出会い、そしてまた遠く離れて

                          いく。

                          これがお遍路なのだ、そう考えながら私は見慣れた大阪の町を

                          歩いていった。
                      

                                                                                                                             






















                                                               

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