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みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
  

                     2004年冬編 
 第9回



すばらしい朝ごはんをありがとうございました。


バイキングって大阪人大好きなんですよね。ビジネスホテルなどではよくある朝食バイキングを、ユースホステルで経験できるとは思ってもいませんでした。
すごいなあ。






外に出たとき、



なんの疑いもない





そして




よく見慣れた状況が広がっていた。











はいはい、わかってるって。そんなに気合入れるなよ。
どこへ行っても雨に見舞われるのは自分でも不思議だった。
そういえば俺、傘もってない。
「お兄ちゃん、これもっていきなさい」ユースのおばちゃんが一本の傘を差し出してくれた。
ありがとうございます。





町中を行く。

雨は弱ることがない。どぶ川がもっとどぶっぽい色になっていた。
歩きながら、さすが愛媛だと思える光景が広がっていた。

日本を代表するポンジュースの本拠地はやはり愛媛だった。

私は大阪人である。
道頓堀の食いだおれの人形や、グリコの看板前で記念写真を撮っている人を見て、
なにしてるねん、と思ったりもするのだが、旅にでるとその心境が痛いほどわかる。

おそらくポンジュースの工場前での写真のほうが奇異であろう。


この看板を見られるのは、今しかないかもしれない

だから、だから写真を撮った。





心に渦巻いていた昨日からの悲しみは、雨によってより増幅されていた。

その時の日記の実物、スキャナーで取り込んでみました。
      

3日も歩いていたら、納め札を交換したり、一緒に写真をとったりする人も、数人はいるはずだ。
この冬の遍路はゼロだ。
長い長い坂を上がった52番札所で出会ったのは一匹のわんこだった。

     
     四国霊場52番札所 太山寺 12月31日 11:28着

愛に餓えた孤独な遍路は、一時の思いを、偶然の出会いに賜りし犬に全ての思いを注ぎ込んだ。
初めて他者と一緒に写真をとれた。


雲に切れ目ができ、すこしだけ青い空が顔をのぞかせた。
が、地上はまだ灰色である。

曰く「陰鬱」。他の言葉を知らない。




 実はこの付近かなり遍路シールが少ない。
 私は52番へつくまでと、53番への道で
 相当迷った。
 方向音痴の方は、この付近を歩くときは要注意である。






道に迷ったおかげで腹が減った。
けど食堂に入る心の余裕もなかった。
そういやあ、昨日銭湯に入るときに、いただいた餅があった。
今食べてしまおう。
生の餅を無理やり食べた。
札所のベンチに座って。



四国霊場53番札所 円明寺 12月31日 12時36分着


歩き出して一人のおばあちゃんに話しかけられた。
「若いのにえらいね。」
これまでに遍路を3階経験しているそうだ。
「今年は大変よね。あなたもえらい年に四国に来たね。」
10メートルほどして「じゃ、がんばってね。」
おばあちゃんはそういったのだが、なぜかまたついてくる。
「ね、ほら見てごらん、あの山、あんなに白くなってるでしょう。今年は特に雪が多いわ。」話は続く。
「じゃあ、がんばってね。」
「あ、はい、さようなら。」


とおもったら、おばあちゃんは着いてくる。しかも歩くのが遅いのだ。
でも振り切るわけにはいかないし、結局立ち止まって話を聞く。
「このまままっすぐ行くとね、おいしいうどん屋さんがあるわよ。」
「あ、はあ。」

・・・・・・

こうしてずっと私は話を聞き続けた。



わあ、すっげえおそくなった。
               


四国八十八ヶ所お遍路セット(スターターセット)                          

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