みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
2004年冬編 第7回
左には田畑があるのが感じられる。右は真っ暗で見えない。
ライトを出して辺りを探ろうと思ったが、見えてしまうのもなんか怖くてやめた。
どこまで臆病なのだろう。
足の冷たさが全身に伝わってきた。
これまで気付かなかったが、遥か向こうに広大な市街地の明かりが見えた。
あれは松山市だろうか。光そのものが凍りついた感じがする。あまりに遠すぎて私を慰めるには足りなかった。
上を見上げる勇気はなかったが、淀んだ黒い空が覆っているに決まっている。
人里を遠く離れたこの全てが真っ黒な空間を私一人が歩いている。
巨大なリュックを背負い、小さな体で歩いている姿を、淀みきった黒い空の上から誰かが見つめている。巨大な顔がじっと見つめている。
前方に看板らしきものがあるのがわかった。さすがにライトを出そう。
朝の荷造りの失敗だ。リュックをおろさねば届かないところに入れてしまった。
やっとの思いで、LEDライトをつけた。
見えない。正確に言うと光はさしているのだが、あまりに拡散していてすぐ前方の看板の文字が読めないのだ。ためしに手元の地図を照らすとこれはよく見える。
LEDライトの特性ではあるのだが、闇夜に遠くのものを照らすのにはむいていない。
光が全て真っ黒な空間に吸い込まれていくのを感じ、余計に怖くなった。
しかし、今はこれしかもっていなかった。
残り、5キロ。まだ、たっぷりある。
明かりが見えた。懐中電灯のようだ。
向こうから近づいてくる。姿はわからないが、お遍路さんだと直感的にわかった。
「あの、この向こうに遍路小屋、ありますか。」
そう聞かれてもどうしても思い出せなかった。後で地図を見ると「坂本屋」というのがあったようだが、見落としていた。
夜間の遍路は方向音痴には辛い。
シールや看板に頼りまくっているが、
それが全て封じられるからである。
ようやく民家が見えた。人の声がする。
夕食の支度だろう、食べ物の匂いが漂ってきた。それに庭先では子どもたちが遊んでいる。
その事実に混乱した。さっきまでの私はいったいなんだったんだろう。
しかし、時間はまだ6時過ぎだ。冬休みの子どもたちが遊んでいてもおかしくはない。
それでもあまりのギャップに、驚きあきれる思いで歩き続けた。
橋を渡った。
ああ・・・・・・。
力が抜けた。体ではなく、心の力が抜けた。
もう歩かないでいいのだ。
迷わずお風呂。でかい。
しかも独り占めだ。30分以上入っていた。
広い座敷を占領して食事をした。
ちょうどテレビでは「釣りバカ日誌 お遍路大パニック」をやっていたが、
知らぬ間に寝ていた。
あまりにも濃い一日、終了。
一度4:50に目を覚まし、また寝た。愛する二度寝だ。 6時に起きるとまだ外は真っ暗だ。 食事を頂き、部屋に帰ると、景色は一変しており、山の稜線が際立ち始めていた。 この光の変化の急激さに気付けるのも旅中ならではなのだ。 46番浄瑠璃寺は宿の目の前にあるこじんまりした寺だ。 12月30日 午前7:40 四国霊場46番 浄瑠璃寺到着 納経を済ませたとき、窓口のおじいさんが(ご住職だろうか)、両手で拝むようにして私に納経帳を渡してくれた。 これまでで一番好きなお寺になった。 47番への道は、趣きある田園風景だ。振り返ると 昨日越えた山から朝の光が差し込んできていた。 この日の光と、雲の灰色、そして山の黒い色のコントラストにしばし見とれた後、私はまた歩き始めた。 以後、さまざまなコントラストを感じる旅となる。
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