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みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
  

                     2004年冬編 
 第2回

ひとり、
立ち尽くしている。

すでに町は動き出している。
みんな、動いている。
私一人固まっている。


電柱になんで俺の名前があるねん。

              再掲

とにかく歩いた。
すると一件のオフィスの前に



また私宛のメッセージがあった。


「遠慮せずに中に声をかけてください」




              




また固まってしまった。この地に知り合いはいない。


どうしよ・・・・・・・・・・・・・・?
私は決して外交的ではない。



じっと門の前で固まっていた。



すると中から一人の女性が出てきた。
「まあ、ようこそ、ピースケさん、お待ちしていました。HPをいつも見てますよ。」



この方は私のHPをいつも見てくださっている方で、そろそろご自分の自宅近くを通るだろうというのでメッセージを残してくださっていたのだ。
うわあ、すげえうれしい。そして光栄である。

ご自宅で幾ばくかのお接待を頂いた。この家の娘さんともお会いした。彼女も私のHPを見てくださっていた。
なんと言っていいかわからない。
ただ、旅での出会いでのありがたさ、すばらしさ、そして美しさをかみ締めていた。
自分もいつか誰かに恩返しをできればと考えていた。

1時間ほどお邪魔していただろうか。お別れのときがきた。
出掛けに、その方は私のために用意してくださっていたお弁当を渡してくれた。

「あ!これがピースケっち君ですか、本当にヒヨコをぶら下げて歩いているんですね。」
そういって写真を撮ってくださった。

                     

今日、遍路を再開したところだ。なのにいきなりこんな素晴らしい出会いを頂いてしまった。



単純だけど


やっぱりこの言葉でしか表現できない。




               ありがとうございました。





去りゆく私の後姿をずっと撮影してくださっていたようで、後日写真を送ってくださった。
     




緩やかな登りととカーブが混ざり合った道を進む。

ふとみるときれいな休憩小屋がある。まよわず休憩する。
へんろ道沿いのこんな東屋には、ほとんどといっていいぐらいノートがおいてある。
そんな先達の書き込みを読むのも楽しいことである。
でもって、この休憩所にも多分にもれずノートがおいてあった。

一ページ目に見覚えのある名前があった。


岡田光永・・・・・・・・・・・・・・?

あ、彼や。


中学校を不登校ですごし、自分を帰るために遍路に出た少年。
ひょんなことで彼の存在と、彼のHPを知り、メールで連絡を取ったりしていたのだ。
今も相互リンクをしてもらっている。
すでに結願をした岡田少年の軌跡を見てうれしくなった。
いつか私も誰かに私の軌跡を見つけてもらえるのだろうか。

この休憩所の名前も彼がつけたという。
         
名づけて「登光亭」
彼のつけた美しい名前の休憩所はこれからも、遍路をする人をやすませることだろう。





ええなあ、この幅の広さ。


いろんな立場のいろんな人を

すべて包み込むのが遍路なのだ。



そういえば、今日5時のニュースで彼のことを特集すると事前に聞いていた。
うわ、このままだと間に合わない。急がねば。



とはいうものの遍路を急ぐのはもったいないのだ。
「今、歩いている」という状態が遍路そのものの素晴らしさだと思うのだ。




間に合うかどうかはわからないけど、急ぎつつも道中を楽しもう。



だって、こんなに空はきれいなのだから。

風が優しいのだから。

自然が命を主張しているのだから・・・。


    



            

腹減ったなあ・・。そういえばお接待のお弁当を頂いていた。
内子町の運動公園のベンチでこれをいただく。
おいしいおにぎりと、私宛のメッセージ。そしてヒヨコのおもちゃがあった。
また「ありがとう」という言葉が浮かんできた。



たった一日である。わずか12時間ほどしかたっていないのに、もう私はお遍路の世界に浸っている。
四国の人たちに癒されている。
四国の景色の中に溶け込んでいる自分を感じていた。
 
それにしても大洲から小田町に向かう、小田川沿いの道のなんと美しいことよ。
                
心の中にこんな歌が浮かんできた。


           どこまでも行こう 道はきびしくとも
           口笛を吹きながら 走って行こう

           どこまでも行こう 道は険しくとも
           幸せが待っている あの空の向こうに

           どこまでも行こう 道がなくなっても
           新しい道がある この丘の向こうに

「どこまでも行こう」 小林亜星作詞・作曲より引用



すでに時間は夕方をさしている。
時間のたち方の速さに驚愕した。
でもこれでいいのだ。時間のたち方が遅いときはろくなすごし方をしていない。

            

ずっと小田川沿いを歩く。
いいなあ、この家並み。
みんな、一生懸命生きている・・・。





岡田君のテレビ放映まであと90分。今日の宿まであと10キロ。

あせる〜。

絶対に歩いていては間に合わない。


でも、それでも、最後まであきらめるまい。
たかがテレビだ。でも遍路の先輩の姿を見逃したくはなかった。
されどテレビである。


16:20分に小田町に突入。
今日の宿泊地はこの町のどこかにある。


ついに私は走り出した。正確に言うと小走りである。
一度見たいと思った以上、どうしてもそれを達成したかった。




その町が都市部なのか農村部なのかの明確な基準を、私は未熟な旅の経験で得ていた。
それは街中で時刻を知らせる「チャイムが鳴るか否か」である。

チャイムが鳴ってしまった。時計を見なくてもわかる。
なぜなら私の住んでいるところでも午後5時になるとチャイムが鳴るのだ。放送が始まってしまった。

もういいのだ。遍路の原則もクソもない。走ろう!
かくして私は10キロ以上の荷物を背負ったまま走り出した。

いったい何をしているのだろう。俺は。

実は旅の日記で「テレビ」の話題を持ってくることへの抵抗がかなりあった。
なんか旅とテレビって相反する気がするからだ。
でも、ここまできて私の旅の話を高尚化することもないだろうし、
ありのままを知ってもらいたくてかいた。
この時はテレビを見たくて私は走ったというのが厳然たる事実である。


宿の到着時間、5時10分。



                「こんちはー、大阪のピースケです。」
「まあ、ようこそ、遠くから。」
                「あの、テレビ見せてください」
「はい?」

テレビをつけた。


・・・・・・・・・間に合った。5分ほどだけど岡田君の結願の様子を見ることができた。



そう結願の様子を・・・。

結願か・・・。

俺はいまどの辺りにいるのだろう。



ようやく人心地ついた。
さらに心を落ち着かせるためにリュックの一番奥に入れていた本を読む。


今日泊った宿はかなり歴史あるところらしく、「サンダル遍路旅日記」でも紹介されている。


このレトロな感じがなんともいえない。
                   
廊下を歩くたびに、どこかからぎしぎしいう音が聞こえる。
それ以前に部屋を歩くだけでもすごいきしみがあるのだ。
でも、それでもよかった。
これも旅の一幕である。

階下から、大勢の人の声がする。

そういえば宿の女将さんが「うるさかったらごめんね、今日は地元の団体さんが宴会で来てるのよ。」といっていた。


夕食がおいしかった。

鍋である。









でも宿泊者は私一人。
私のためだけの鍋料理。
向こうからはおっちゃんたちの騒ぎ声が聞こえる。
ここに一人ぼっちのお遍路さんがいるなんて思いもしないだろうな。



食事の後、私は外へ出た。
知らない街の夜を感じたかった。


旅に出ると私は例外なく、夜の街を感じたくなる。

見たくなるのではない。感じたくなるのだ。





近くの店にはクリスマスのイルミネーションが飾ってあった。
今の私には最も遠い存在だ。

今日一日は素晴らしかったと思う。

私を支えてくれる人に出会えた。
なにより、遍路として歩き出せた。
その事実に感謝しながら布団の中で目をつぶった。まだ午後8時だ。これが今日の就寝時刻である。


言葉ではうまく言えないけど、

なんか

今日は、静かで


そしてきれいな一日だったな、



遠のく意識がそう考えていた。


                 


四国八十八ヶ所お遍路セット(スターターセット)
                             


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