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         みんな、ありがとう 普段着お遍路歩きの記
                                第1部 第9回

「もう、こんなことはやめたい」と思うことは人生でどれくらいあるのだろう?
自分で書くのも変なのだが、私は物事を途中で投げ出した記憶がない。
だから、いろんなことに対し初志を貫徹し、努力で目標を達っするという自分の生きる大原則をもっていた。

したがって今回の旅について、絶対に投げ出すことなどないし、そんな気持ちにすらならないと思っていた。




            が!






どうにもこうにもいけない。いつかはどこかが痛むとは思っていた。
しかし、早すぎである。 

普段、こんなに長距離を歩くことなどない。しかも50キロの体重に10キロの荷物が加わっている。
今朝起きたときには筋肉痛は治まっていた。が、そのもっと奥の関節がとっくに負けていたのだ。
一歩踏み出すだけで、右ひざの深部が

      ズキッ


と音を立てる感じがする。無理して少し早足で歩いてみた。







今度は・・・・、






        ゴ キ ン!









うげ!ダメだ、痛すぎる!



どこかで休憩しよう。もうどうしようもない。




そう、どこかで・・・・・・・ってどこにも雨宿りできる場所はなかったのだ。座る場所も何もない。



実に広大な田園風景だ。そう、左右はあまりに広々とした田んぼであり、その真ん中に無機質に一本道路が通っている。しかも、こんなときに限って建物がほとんどない、だから雨宿りもできない。



どうしてこんな台風がきてるのがわかってるのに旅に出たのだろう。
「歩き遍路」というかっこいい響きだけで有頂天になって強行した自分を初めて悔いた。
もっと日を改めるとかできたはずだ。勇んで何を血迷っていたのだろう。




雨足はどんどん強くなる。もはや、すぐ前すら見えない。





やめたい・・・・・帰りたい・・・・・・・。




ついにこの言葉が出た。




はるか向こうに一台の車が走っているのが見える。あの車、停まってくれへんかな・・・? 「どうしたの?乗っていきなさい。」っていってほしい。もし乗せてもらえるなら「坊や」とでも何とでも呼ばれてもいい。そんな歳でないにせよ。

その車はずっと遠くの曲がり角を曲がっていってしまった。
ふっと「限界」という文字が浮かんできた。
いずれにせよ今歩くのは危険な感じがする。
私はずぶぬれのまま道端に座り込んだ。
無意識のうちに、ゆっくりと目をつぶった。再び目をあけたときひざの
痛みも雨もすべてが消えているかもしれない・・。



私は真っ暗な状態の中でなぜか新卒で就職した時のことを思い出した。
実はすさまじいいじめにあっていた。理由はなかった。
ただ、あまりにひどい管理体制に心を合わせることができなかった。すると
私はその集団の中では邪魔な存在となり、抵抗のできない若輩者は毎日中傷と雑言の中でいきた。
あの時は死にたいと思う寸前までいった。

生まれて初めて感じた「絶望感」だった。そして生きることへの「限界」を思った。

まだ、体に当たる雨はやまない。体が冷たい。


しかし、なぜか胸のうちが熱くなってきた。あの時、私を死を賭するまで
追い詰めた者たちへの憎悪が燃えてきた。その憎しみの思いは形をかえ、
そのギリギリのラインを耐えた自分の意識を呼び起こした。

あの時はそうだ、いじめに一年間耐え、かなりの上の部署に直訴した。
結果、私は職場を変われたのだ。


私は耐えた。あの時の加害者は今でも同じ町におり、高い地位にあるという。そして似たようなことを繰り返しているという。
許せない。そして・・・。俺は彼らより幸せになるのだ。
あいつらはこんな素敵な旅の世界を知らないはずだ。
人を沈めて優越感を得ている人種にはわからない、努力で苦難を乗り切る
高い世界に行くのだ。

どうして、いまそんなことを思い出したのかわからない。

しかし、あの時の「絶望感」が再び私の目を開けさせた。


目を閉じているときと変わらないくらいの暗雲たる天候だ。
だが、かまわない。
私は必ず目的を達っする。ひざの痛み?まったくやわらいでいない。それもかまわない。進むのだ。私には体力はないが過去の努力がある。あの時いじめに耐えた自分がいるかぎり、努力し続けることができる。過去を変えることはできないとよく言うが、逆に努力の記憶ある過去は自分を裏切らない。

 「必ず結願します。」いままで自分を苦しめていた雨に向かって私は言った。



再び歩き出した。向こうのほうに看板が見える。そこにはこの文字があった。


                     
←第九番札所 法輪寺

恐ろしくまっすぐな道に一枚の看板だけがある。本当にその看板以外には何もないのだ。逆にその光景がとても面白いものに思えた。大阪にはこんな開放感ある道はない。


                


その矢印に沿っていくと向こうのほうに森が見える。あれにちがいない。
霊場も9つ目ともなるとなんとなく存在がわかるものなのだ。

あたりであった。




                  
四国第9番霊場 法輪寺 2003年8月8日 午前9時28分


どことなく素朴な感じのするお寺だった。豪華絢爛なものより私はこちらのほうが好きだった。 こうやって写真を撮っていると、なぜか続々とタクシー
でお遍路さんがやってくる。嵐なのだから当然車だろう。
でも、うらやましいとはもう思わなかった。百人いれば百人の遍路のやり方があるはずだ。私は私なりのスタイルで行くのだ。にしてもさっきまで車を見なかったのに一気に増えたものだ。

しかし、おなかが減ってきた。朝食が早かったせいだろう。門の前の茶店で食べ物がないか聞いてみた。
 「ごめんね。今日は食べ物は仕入れてないのよ。十番に行く途中にお菓子屋さんがあるからそこで買ってみたら。」親切に教えてくれた。





さっきまでの広いアスファルト道は消え、再び田舎道をゆく。本来なら道行く人と話したりするのが楽しみなのだろうが、歩いてる人はまったくいない。車も国道を通るのか、やはり見かけない。

あぜ道にこんなものをみつけた。古い道しるべだ。
歩きだからこそ、気ままに立ちどまり小さなものに心を寄せることができる。


                     




さらにこんなものもみつけた。驚かないでほしい。古い道しるべも現代の看板も周りの景色に素敵に溶け込んでいた。



                              
何度も書くが、目に映るすべてのものに慈しみを感じ、記録するのが今回の私の旅の「スタイル」である。

そんな感傷に割って入った不愉快な音がある。体のすぐ
外側、カッパの内側でぐじゅぐじゅと音がする。汗だ。 
雨が吹き込んでいるのではない。
いまや私の写真のトレードマークとなった赤いカッパはかの偉大なるゴアテックス製である。確か、汗は蒸発させ、雨は弾くはずなのだが、人間の知恵を結集させてつくった素材を上回る勢いを台風は持っていた。
気持ち悪い・・・。早く札所に行って着替えたい。



あ、そういえば茶店のおばちゃんの言ってたお菓子屋、ないぞ・・。
教わった場所はとっくに過ぎていた。

三十分ほど歩くと右への曲がり角があり、そこに標が出ていた。
少し上り坂になっている。私の苦手なやつだ。でも、まあこれくらいなら・・。
大丈夫、大丈夫♪ 

    いける♪



道の両脇にはいろんな店や旅館が並ぶ。切幡寺への参拝者だけでこんなに多くの商いが成立するのか。他の札所では見当たらない光景であった。
どの店にも人はいない。お客さんがいないのはわかるが、どうして店の人もいないのだろう。なんだかさびしい道である。さらにのぼりがきつくなる。
でも、まあいい。 あと少し歩けばいいのだ。

            大丈夫、大丈夫♪ 

            いけるいける♪


店の並びが消えた。お寺まではあと少しの距離のようだ。ここで徒歩と来るまで道が分かれる。ちょっと嫌な予感。

急なのぼり?
アスファルトの車道を歩く。こののぼりはきついぞ・・・。しんどいなあ・・。
あ、でも山門が見えてきた。よかったあ・・。なになに?案内板によるともう少しだ。さっきより傾斜はきつい登りだけど、




        いけるいける♪


小さな橋があり、その下には普段は穏やかなのだろうが、今は激流となっている小川があった。
しかし、なかなか本道に着かないなあ・・・。足が痛い。
それに登りだらけ、でも、もうすぐつくもんね・・。つくよ、必ず・・・。


     ん?

なに?この石の看板・・・・・。

大丈夫じゃない!これは!
 い〜か〜れ〜へ〜ん!

                   

今までの気休めを瓦解させるおぞましい文字が
その看板には・・・。



                       

                                                 

                      


                           

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