掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール

失われた学校、村、道、鉄道を訪れた日の記録
   





無人だけど無人じゃない 別子銅山0泊2日の旅      最終回








 かつては人であふれていた道も

 今は雪のみがその場所にあった。

 よく見ると、右側に石垣がある。

 これは・・・・・・?



 手前には大階段がある。
 ここは実は娯楽施設であり、さまざまな演劇や芸能が行われていた。

 おそらくはこの銅山で、最も活気があった場所。

 上には何もないとわかってはいたが、それでも登ってみたかった。
 見下ろすとお二人の姿がある。


                 口にはしなかったが、心の中でカウントダウンをしている自分がいる。

                 現実まで、あと4時間。

                 どこかで引き返さねばならない。

                 この道はまだまだ続くが、私たちの旅はまだまだは続けられない。

                 見切りをつけるというのは実に難しい心の作業である。

     なぜなら、帰ろうと思うとこんな素敵な滝が現れるのだから。 


                                滝の真上に行ってみた。








        
  この先にきれいな湧き水があるという。

  そしてまだまだ遺構も存在する。


  だが雪の壁がそれを阻んだ。

  これ以上進むと谷底に滑り落ちそうなのだ。

  こんな無人の境で遭難することなどできない。




                                         ふもとに下りた・・・・・。




  前方の山の美しさをしばし堪能し
          ここにたどり着いた。

 「マイントピア別子」である。

 かつての銅山を、建物や鉄路を残し、今に伝える施設なのだ。





 だからこんな素敵な建物が普通に存在している。
  
 もちろん、こんなのもある。
              今にも朽ち果てそうだ。

             上に乗ることはすなわち

              危機を意味する


















                         





















タイムリミットがきた。



これで、0泊2日の旅は終わった。
あの遺構たちはすごかった。かつては人であふれていた土地が、今は無人なのだ。

でも、だ。

寂しさをあの場所から感じることはなかった。
だって、人の息吹が今でも伝わってきたのだから。
地元の人の手が今も入り、その当時の人たちの思いを今に受け継いでいる。

目に見える人の姿にあふれていても、孤独なことはたくさんある。
遺構が古いのは物理的事実だ。
だが、それを無用の長物とするかは、後の世に生きる人の心にかかっている。


古きものを古きものとして愛し、


古きままに光を失わせまいとする心があればこそ、


無人だけど孤独ではない空間が生まれるのだ。







もうすぐ目の前に人であふれた利器が現れる。
おそらくそれは、有人だけど、無人たる心しかない存在なのだ。


そして、私は明日もそんな都会で息をし続けることだろう。


それでもいい。
人ごみの孤独には慣れた。

だからこそ私は旅に出る。
無人の境に人の息吹を感じに。



                    

                           「無人だけど無人じゃない、別子銅山0泊2日の旅」


                                          



              別子銅山 目次    

  

 掲示板  日記帳  リンク 更新記録  メール    

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送