第5回 出会いはすべてすばらしい
今俺はかなり凹んでいる。
ユースとはいろんな旅人同士が出会い、はじめましてのあとにいろんな会話がつながり
お互いの旅を尊重しあい、そして別れたと思ったらどこかで一緒に呑んでまた関係が続く、
そのきっかけとなる舞台だと思っていた。
でも、みんながいい人とは限らないのだ。それを学んだ。
またあとで詳しく記す。
俺の心のイメージ。
日が傾き始めた頃、向こうからリヤカー?いやちがう。トラクター?たぶん違う、
ともかくも私の記憶の中にはない形の乗り物が向こうからやってくる。
「Hello!」
はい?
中からいかにもヨーロッパ的なおっちゃんが出てきた。
最初の「hello」は英語だったけど、そのあといろいろといってくる言葉がどうしてもわからん。
英語じゃないのかな?適当に「Wher komen Sie?」
「Ich kome aus Deutschland.」
彼はドイツ人であった。
そして私の知ってるドイツ語はこれで終わった。
ところがおっちゃんは僕がしゃべれると思って、めちゃドイツ語で話しかけてくるんだよな~。
すいません、おっちゃん、僕これで限界です。
あとは身振り手振りと、お互いに下手な英語でしゃべった。
聞くとおっちゃんはものすごい日本びいきで昨年末は石垣島をこのトラクター、もとい自転車で走ったそうな。
お互いの検討をたたえてお別れする。
←これがドイツ人Kさんの愛車。
2000€だそうな。
寝っころがってこぐスタイルである。
いきなりドイツ人チャリダーと知り合えるとは思わなかった。これこそが旅の醍醐味。
ちなみにKさんに上記の写真を送ると、その後彼から実に丁寧なドイツ語の返信が来た。
そして今年(2010年)正月には年賀状(とドイツでも言うのだろうか)を下さった。
旅の出会いのすばらしさである。
いやあ、昨日のTさんといい、ドイツ人のKさんといい、出会う人とみんながいい人だ。
まさに私の旅のテンションはマックスとなっていた。
よおし、こうなったらさらに今晩泊まるユースの出会いを信じて、早い目に入っちゃお。
僕は屈斜路湖のそばにあるユースホステルに入った。
もちろん相部屋。個室はチャリダーピースケには似合わないのだ。
6人部屋のそこには50代~60代と思われるおっちゃんたちが3人ほどいらっしゃった。
「こんにちは。」
「おお、こんにちは。君もレンタカーで旅してるんですか?」一人のおっちゃんがいった。
「いえ、チャリです。」ピースケは「も」に違和感を覚えつつもさわやかに答えた。
「この広い北海道をチャリで旅するなんてねえ。」
もう一人のおっちゃんは俺の顔を見ずにこういった。
夜が来た。
このユースの売りは何よりも食事である。
シェフがいてお品書きが出てきて、コース料理がホステラーの前に次々と出てくるのだ。
お品書きですよ、お品書き。
食事は本当にすばらしかった。
テーブルには同室のおっちゃんたちがいる。みんな初めて会ったようだ。
そして一人が俺に話しかけてきた。
「兄ちゃん、どこを目指してるんや、チャリで。」
「できれば知床岬の先まで行こうかと。」
「あそこまではチャリでいけないぞ。」
「はい、だからトレッキングで。」
「いかん、いかん!君は何を考えてるんだ。あそこは世界遺産だぞ。君みたいな人間が環境を壊すんだ。」
「・・・・・・・・はあ。」
周りにいたおっちゃんたちもそれに同調した。
「そうなんだよな、世界遺産は国の力で周りの国に勝つためにあるんだから、おいそれと立ち入ってほしくないよな」
世界遺産は勝つためにある?そうじゃないと思うけどな・・・・・。
「そうなんだよな、チャリで自然遺産に入ると北海道が壊されるんだよな。」
そうなのかな・・・・・・?
だんだん凹むピースケ。俺は北海道を壊しにきたのか、そうだったのか。
これまでの旅人生で一番つらくなっちゃった。
さらに追い討ちをかける言葉が誰かの口から出てきた。
「ところであなたはどんな車で?」俺への質問に飽きたのか、一人のおっちゃんが別の人に話しかけた。
「いやあ、今回はレンタカーで北海道を走るつもりで、でかいワゴン車を借りてますよ。」
「お、いいですね、私も今回は大きめの車を借りましたよ。」
「北海道はなんといっても車での移動がいいですよね。」
なんじゃ、そりゃ~?
あなたたちはみんな車で移動ですか??
それでどうしてチャリダーの僕を攻撃するんですか、環境破壊が聞いてあきれる。
どうしようもない空気の悪さを感じて僕はおしっこにいくふりをしてその場を離れた。
そしてさりげなく外へ出た。
まだ明るいではないか。そうか、こんなに寒くても今は夏なのだ。
視線の先には俺のチャリがいる。決してアメスケ(俺のチャリの名前)は環境を破壊したりなどしない。
時々は持ち主が立ちションをするけど、それ以上のことは決してしない。
ましてやアメスケ自身の存在は北海道の邪魔にはならないのだ。
私は幼少期から感受性が鋭い、といわれて生きてきた。
旅に出るとその鋭さをより武器として多くのことを感じ、考え、旅に深みを与えてきたように思う。
しかしその鋭さは時に寝返りを打つかのように私を傷つけてくる。
「気にしなければいい。」とみんなは言うかもしれないが、年長者に言われた言葉を私の感受性が変にまじめに受け止めてしまっていた。
再びチャリにまたがった。
もう一度猛烈に屈斜路湖を見たくなった。
ひたすら走る。
え?
これは?
おおおおおおおおお!
屈斜路湖の面に夕日が差し込み、当たり一体をピンク色に染めていた。
見る間にあたりは濃い紫色になりやがて夜の帳がすべてを多い尽くしてしまった。
日没をじっと見つめることなど、めったにない。
特に大阪では絶対にしない。
周囲で狂瀾怒涛の叫び声があがっていても、屈斜路湖は時間がくればこうして自分の色を美しく輝かせているのだ。
私も誰に言われようとも自分の色をもって走り続ければいのだ。
一瞬しか見えなかったピンクの湖面にそれを教えられた。
今日は感動したり落ち込んだり感動しなおしたり、忙しい日だった。
さあ、部屋に帰ろう。
部屋に?
あのおっちゃんらと一緒の部屋で寝るんだよな。そりゃ相部屋だから一緒だわな。
まあ、いいや、寝るだけなら。俺は気にせずに寝る!
その考えが甘かった。
北海道の旅 目次
SEO | [PR] !uO z[y[WJ Cu | ||